将人とともに together with Masato

For the parents in the world, whose children have autism.

カメラのシャッターを押す時

2008年01月22日 | 想い
10数年前、それまで30万円もしていたデジカメが数万円台となり、新し物好きの私は早速買って、将人の幼稚園時代をデジタル画像で残した。カレンダーにもしたし、スライドショーにしてみんなでテレビで見た。

デジカメはまさに日進月歩で毎年進歩して行ったため、毎年というか、半年ごとに買い換える事となった。幸い、ネットオークションが流行り始めた事もあり、買い換え自体もスムーズに出来た。

今では年15000枚程度(約20ギガバイト)撮るのが当たり前になった。それでも、パソコンで見るので、すぐ探し出せるし、写真の保管場所もいらない。実に便利な世の中になったものだ。

ただ、将人や家族の写真は山のようにあるものの、極端に少ないのは私自身の写真だ。特に、職場での写真などほとんど皆無だ。学生時代の写真も、せいぜい身分証明書に貼っていた写真くらいのものだ。たまに自分の写真があったりすると、気恥ずかしい気さえする。

そんな時、また読売新聞の編集手帳にこんな記事が出ていた。


きのうの朝、駅に向かう道で、「早く、早く」という声を聞いた。晴れ着姿の娘さんがカメラを構えた父親をせかしている。成人式へ出かける前に玄関先で記念の一枚を、ということらしい◆犬の散歩をする人がひとり、ふたり、足をとめたので、白い襟巻きの中の顔が照れている。中腰で念入りにアングルを探る父親と、傍らでほほえむ母親と、家族の姿を丸ごと遠景から写してみたいような、ちょっといい場面だった◆吉野弘さんに、「一枚の写真」という詩がある。ひな飾りの前で、幼い姉妹がおめかしをして座っている。「この写真のシャッターを押したのは/多分、お父さまだが/お父さまの指に指を重ねて/同時にシャッターを押したものがいる/その名は『幸福』」◆クリスマスから正月、「成人の日」が終われば、桃の節句に入学式の季節が控えている。指に指を重ねて家々を回るのが仕事のその人も、冬から春は書き入れ時に違いない◆古いアルバムをひらき、幼い自分の写真を見ながら、シャッターを押した父や母の表情に思いをめぐらすときがある。写真とは思い出の記録だが、困ったことに思い出したいものはいつも写っていない◆あの娘さんもいつか、玄関先の一枚を眺めては、シャッターを押す指に指を重ねていた“もうひとり”に気づく日があるだろう。
(2008年1月15日01時45分 読売新聞)

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