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 現在584本の映画のあくまで個人的な感想をアップさせていただいています。ラブコメ、ホラー、歴史映画が好きです【^_^】

バリー・リンドン(スタンリー・キューブリック監督)

2008-01-03 | Weblog
ストーリー ;18世紀。アイルランドの片田舎で農夫のバリーは従姉妹の女性から誘いをかけられてものりきれない青年だった。その後「思い」を裏切られたバリーは進駐してきたイングランド軍大尉と決闘し、ダブリンへ。そして7年戦争が続いているフランス戦線へ遠征する。
出演 ;ライアン・オニール、マリサ・ベレンソン 、ハーディ・クリューガー
コメント;壮大なヨーロッパの叙事詩ともいえる。ジョージ3世の時代に生きた人々の争いを描く。
 家庭教師であり牧師のランスがときに悪魔のようにも見える。黒い喪服に彼がみにそまった瞬間に真の地獄が始まるがその瞬間に画面は黒と白の世界になる。
 アイルランドの古式ゆかしき「決闘」の場面から始まり、イングランド軍の練習風景。そしてフランスの侵略におびえるアイルランドのイングランド軍の様子がうかがえる。美術はあきらかにロココ様式。緑の木々が画面にはえ更に衣装と役者がそれに華をそえる。7年戦争とその後が舞台だがフランス映画「花咲ける騎士道」の「裏側」ともいうべき侵略や強奪といった物語もさりげなく挿入されている。アイルランドの農家の様子もみえるが、経済的に困窮しているという様子以外はあまり実態がでてこない。ただしアイルランドから英国やヨーロッパなどへ流出した人間もそれなりにいたのだろう。その後、英国に従軍してフランスにわたり、さらにプロイセン軍。そしてベルギーでジョージ3世につかえた外交官とのトラブルや、その後英国貴族の「夫」としての名称が与えられる。美術品などにも贅沢がこらされており興味が尽きない映画だ。「花咲ける騎士道」はフランス側から英国やプロイセンを風刺したものでコメディタッチだったが、この映画ではかなりシリアスだ。そして度重なる戦争で軍隊が疲弊しており、従軍希望者をつのえる場面がこの映画でも「花咲ける騎士道」でも共通してでてくるのが興味深い。また大砲の用い方や銃の発砲のしかたなども面白い。
(衣装のポケット)
 登場人物の衣装にちゃんとポケットがある。ポケットが用いられるようになったのは17世紀とだいたいこの時代の最新ファッションとみてよいのだろう。
(鉛筆)
 鉛筆をめぐる「争い」が途中ある。これは当時鉛筆が相当に貴重だったという時代考証のあらわれではなかろうか。1760年ごろにできたのが近代での鉛筆の始まり。イギリスで黒鉛をもちいて筆記するのが始まったのが1560年。
(白い化粧)
 登場人物が妙に白い化粧をしている。おそらくは、純銀、水銀などで製造した顔料だろう。「つけぼくろ」はムーシュとよばれるもので本当はこの純銀で痛んだ肌の「あれ」を隠すためのものだったのがファッションに転じたものと推定される。
(決闘)
 「慣習」としての決闘がこれだけ描かれるのも珍しい。しかもキューブリックはさまざまなバリエーションをこの映画で紹介している。もともとはゲルマン人の慣習だったものが、民族移動で広まったとされる〈モンテスキューの説)。
(7年戦争に至るまでの個人的なまとめ)
日本の普通地方自治体はある程度中央からの地方交付金をあてにしなければならないが、連邦制をとるドイツでは地方自治体相互の連携をとる財政制度によって地方自治体の財政的基盤の確立に成功している。州ごとに特色ある地方自治制度のあり方も日本にとっては学ぶべきところが多いといえるのかもしれない。ただし、現在欧州連合が財政赤字について一定の枠を定めており、地方自治体もまた緊縮財政を余儀なくされている。欧州連合に加盟するために地方自治体の行政をある程度市場効率化するか、あるいは地方自治体の「本旨」をいかして財政赤字には目をつぶるかといったトレードオフの問題についてはドイツはまた興味深い材料やデータを呈示してくれる。もともと連邦制をとる下敷には神聖ローマ帝国時代のカソリックの7人の貴族をはじめとする群雄割拠の時代からの「伝統」でもある。プロイセンとイングランドが同盟して、ブレーメンに使者をおくるというくだりが「バリー・リンドン」にはでてくるが、このブレーメン(ボヘミア)はハプスブグル王朝の支配地であると同時に、プロテスタントの地盤にカソリックの王が統治するという特殊な形態の土壌。ブレーメンの反乱(1619年)には、プロテスタント保護のためにフリードリヒ5世などが援軍を派遣したという経緯もある。
 また三十年戦争の時代にはスウェーデン王グスタフ・アドルフがフランスの援助と共に北ドイツ地域を支配したこともあった。この30年戦争終結時にウェストファリア条約が締結され、スイスとオランダが独立を果たす。16世紀から17世紀までの7年戦争にいたるまでは西ヨーロッパでは農奴制度が崩壊し、東ヨーロッパでは農奴制度が強化されるという二つの傾向を生み出す。とくにプロイセンでは豊富な財政状態と強力な軍隊がフリードリヒ1世、2世の活躍の基盤をうみだす。7年戦争の複雑な外交政策を読み解く一つの材料になるとともに、不可思議な外交関係がある程度「みえてくる」気もする。戦乱と海の向こうでのアメリカという複雑な情勢の中で、アイルランド人のバリーはアメリカではなくヨーロッパに身を投じている。これまで映画の中で描かれてきた18世紀のほとんどは新しい大陸での冒険だったがこの映画では、複雑怪奇で爛熟した18世紀のヨーロッパ。完全主義にいろどられた衣装や舞台装置などとてつもない豪華さである。
(ジョージ3世)
 1760年~1820年 ジョージ2世から王位を受け継ぎ、アメリカ独立戦争当時の王をつとめる。後に精神的な要因から摂政をおくことになる。英国の王位ではハノーバー朝からウインザー朝へと名称を変更するがもともとはドイツの流れを汲んでおり、7年戦争で英国とプロイセンが同盟するのは無理なからぬところ。現在の英国王朝がこのハノーバー朝で誕生する。このジョージ3世はアメリカ独立戦争のきっかけとして増税政策を大幅に採る。サトウキビから製造するラム酒にも酒税をかけ、その後砂糖条例でラム酒が高額になればライ麦からウイスキーをスコットランドやアイルランド系統の入植者が製造するようになれば、さらにトウモロコシからバーボンウイスキーを作るようにも成った。そしてさらに印紙条例で印紙税を課税してアメリカ植民地を追い込んでいったのがこのジョージ3世。税金で収入をえつつもさらに歳出は際限がないというこの当時の状況も映画の中にはそれとなく描かれている。またジョージ3世も映画の中で「一つの役」として登場する。
(ベルギー)
オランダの南西部に位置する。日本との関係がかなり良いことでも知られている。ガリア戦記にもその名前がみられる。国内ではオランダ語(フランデレン人)・フランス語(ワロニー)・ドイツ語などが用いられ、多民族国家の実験などとも評される。ただしドイツ語は人口の1パーセントにもみたないようだ。バリーはここでまた衰退しつつある貴族階級と一つ勝負をうつ。ジョージ3世のもとで外交官をつとめてきたある老人とその若い妻がその対象である。14~15世紀はブルゴーニュ公の支配、その後はハプスブルグ、スペイン、オーストリア、フランス、オランダと支配を受けた。1815年にウィーン会議の結果オランダ公国が成立し、その後永世中立国として独立。
(簡易年表)
1621年 オランダはスペインと戦争。
1642年 英国で清教徒革命
1652年 第一次イギリス・オランダ戦争
1665年 第二次イギリス・オランダ戦争
1672年 第三次イギリス・オランダ戦争
1688年 名誉革命
1701年 スペイン継承戦争
1740年 オーストリア継承戦争
1776年 アメリカ独立
1789年 フランス革命
1790年 ベルギーが独立
1792年 フランスが共和制へ
1794年 フランスがオーストリアにかわりベルギーを支配
1804年 ナポレオンが皇帝へ
1806年 神聖ローマ帝国が滅亡
1813年フランスがオランダから撤退
1814年 ナポレオン退位
(ロココ)
 この映画の「いかさま」にはフランスの画家ジョルジュ・ラトュールを想起させるシーンがある。さらに17世紀のバロック(くずれた真珠)、ルイ14世の統治の影の中、バロック時代と呼称される中でのロココ様式はそのカツラやツケボクロなど不可思議な様式美を醸し出す。
 映画の中でかなでられる音楽はヘンデルのようでもあり、モーツアルトのような古典様式のようにも聞こえる。 
 ロココの語源はロカイユ(貝殻)だが、バロックの一部でもあるようでいて感情と理性という二元論のいびつな結合状態とも個人的にはみえる。オルレアンのフィリップ公が代表的な人物だとすると、その人物こそは「悪徳自慢」(ルイ14世)という位置づけになる。そしてロココの世界ではすべてが演技めいているのでやや過剰にもみえる映画の中の貴族たちはそれこそがまさしくロココ的ともいえるのかもしれない。「悪徳」はこの映画の中ですべての人物がそれぞれに演じ、天使といえるのはある「少年」のみである。時には母親ですら「悪魔」のセリフをさりげなくはく。
 男性がやや女性的にふるまうシーンやつけぼくろのシーン、そして機能性のない装身具などがこのロココによってさらに普及する。賭博の流行というのも理性の問題ではなく「感情」の問題などと二元論でかたづえけていいものかどうか。ただ以下の図式は成立するかもしれない。
軍隊―男性的―近代軍隊様式―喧嘩・決闘―進軍ラッパー非経済的
貴族―女性的―ロココ様式(バロック様式)―政治―宮廷音楽―経済的
 前半ではややロココめいているものの基本的には軍隊の様式美が追及されている。そして後半からはいわゆる宮廷の政治にまつわる話である。もちろん相互に乗り入れはあるのだが、プロイセンの軍服とベルベットの室内着とには大きな対比があり、そして英軍の制服が「赤」でベルベットが「緑」というのも一種の対比だろう。ヘルメットから「カツラ」へもちかえ、そして農奴から軍人、そして貴族の称号の獲得をめざすバリーには18世紀の特異な世界を縦断した魅力を感じる。そしてまたそれが「黒と白」の世界に変わる瞬間がある。
(サッカレー)
1811年~1863年。英国作家。ディケンズとも並び称されるが差貴族階級などを辛らつに描く作品で有名。インドのカルカッタに生まれてケンブリッジ大学中退。「虚栄の市」などが有名。その昔、「バリー・リンドン」はかの角川文庫から翻訳が出版されていたが、現在は絶版とのこと。コアなファンは現在でも多い。
 そして映画のラストでは「醜きものも美しきものもすべて今は泣き人々」というナレーションが流れる。ただし人間のありようはこの18世紀と21世紀とでさして変化したわけではないのだろう。なんのかんがいもなくただ無機質に語られるナレーションもまるで「悪魔のささやき」である。

 何もない大きな部屋に美術品が大きく飾られる。ろうそくの光に油絵がてらされる。そして夕陽に顔をそめたバリーがベッドの上で、斜めをむく。ありとあらゆる光が考証されて、この1つの映画の中に輝くのだが、それが一つとして失敗しておらずストーリーと関係なく場面の一つ一つが絵画のように心にしみる。名作中の名作としか感じようがない。

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