ごとりん・るーむ映画ぶろぐ

 現在584本の映画のあくまで個人的な感想をアップさせていただいています。ラブコメ、ホラー、歴史映画が好きです【^_^】

トーク・トゥー・ハー(ペドロ・アルモドバル)

2007-11-23 | Weblog
ストーリー;こん睡状態に陥ったバレエダンサーの介護を続ける男性看護士ベニグノ。看護士は医学的には回復不可能といわれているその患者にバレーコンサートやサイレント映画の粗筋などを根気強く語り続ける。その斜め向かいに入院した女性闘牛士の恋人であるジャーナリスト・マルコはある日医務室に行く途中、その患者の部屋の前を通り過ぎたときにベニグノと語らいあうようになる‥
出演 ;レオノール・ワトリング、ハビエル・カマラ、ロサリオ・フローレンス
「語る」ということはコミュニケーションでは一番大事だといわれている。だがそうだろうか。この映画の冒頭では、現代舞踊として一言も「言葉」はなく、ただ二人の熟練ダンサーが木製の机・椅子・壁にぶつかりながらもがき苦しむ。そして悲痛な顔をした男性ダンサーが木製の椅子をとりわける‥。映画中にはもう一つサイレント映画が挿入されている。そこにも会話は実はない。そしてまた、「会話」がおこなわれているところにおいては実はコミュニケーションがまったくとれていないことが、映画の中では明らかにされていく。「言語」という現象はやはりただの現象にすぎないことを観客は痛感するシステムになっている映画だ。実は観客もこの映画のシナリオの「語られている部分」にだまされている可能性すらある。「見えるもの」「見えないもの」「語るもの」「語られていないもの」それはすべてダンス・サイレントといったものに暗示され、明示はされない。「恋愛」が「誤解」の上に成立するのであれば、それはもちろんこの映画では立派な恋愛が描かれているのだろう。そしてベニグノはおそらくマルコの恋人だったのだ。
 マルコのはげ頭とカラフルな衣装がスペイン人の「かっこよさ」を見事に表現。長身のジャーナリストと童貞の看護士の屈折した友情は、最後は監獄のガラスごしに、そして最後はあの世とこの世とで直接・間接に繰り広げられる。最初がダンスの舞台であったように、最後もまたダンスをみながらの涙が、コミュニケーションの媒介物として登場する。あまり好きなタイプの映画ではないが、こうしたタイプの映画がもっとあってもよい。ただしこれはスペインという情熱の世界だから描けた世界かもしれない。

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