スローがいい

おろした荷物はゆっくり ほどきました~♪
09・01・18

 入れ代わり立ち代り

2011-04-11 13:13:11 | Weblog     


実家に押しかけた5人のうち一泊で帰った盛岡の甥っ子一人。
数時間後に皆が来てるとも知らずに、その弟が仙台から訪ねて来た。
皆に迎えられそりゃぁ驚き~ 日帰りのつもりが泊まることになる。
そして示し合せの姪っ子(兄の)親子も盛岡より駆けつけた。

弟が持ち運んだ支援物資?などの野菜やお肉に腕を振るう兄嫁ちゃん。



一家に(一人にじゃないのが厳しい!)缶ビール6本の販売制限の地元。
飲兵衛が集まるもんで姪っ子にビールをお願いしたところ~
ビールに岩手の地酒 「 浜千鳥 」 に生ワカメやお刺身の  物資調達!

浜千鳥は 「 自然とひとつになった酒づくり 」 に励む釜石の地酒。
津波被害が無い地域が幸いし工場、蔵及び商品は些少な損傷で
徐々に通常の業務を行っているそうだ。
釜石青年会議所に寄せられた全国各地から送られる災害支援物資の
一時保管場所として社内の倉庫を提供してるという。
よし! これからは地酒を飲むようにしよう!

 

この状況下では疲労が溜まる一方でしょう兄嫁ちゃん。
息子茂さんを呼ぶまでに~ ○○♪ ○○♪ と孫や長女の名前を
呼んで後やっと茂さんの名前が出る。津波前からとか?
そこでOBABA姉妹の案で茂さんの胸に名札をつけた。



にぎやか連夜の屈託ない笑いに    心ほぐれる兄夫婦であった。


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 あの景色はもう。。。 ④

2011-04-10 19:33:19 | Weblog     


          小さい頃から海に遊び馴染んだ弟や甥っ子達。
          海上に浮いてるような細い桟橋の突端で話しこんでいる。        

                   

          

          遠浅続く波静かな浦の浜ビューを誇示したくもなろう  介護老人施設。

          

          それをズームすると。。。 情や報いまで津波がのみこみ酷すぎる光景だ!

          
          
          
          

          この施設だけでも職員さんを含む30名近い行方不明者がいらっしゃるそうで
          ご家族の方や職員さんの方々が捜してらして切なかった。。。

          

          
          
3日の朝食後、小学校下の道を進み田の浜地区に出かけた。

          

          梃子でも動かない防波堤が不可思議合掌造りのようにゴロゴロ!

          

          こんな勢いに火災の追撃を受けメチャメチャな爪痕。

          
          
          

          我々の心も追いやられ~ 少しして釜石回りで帰ることにした。
                           続きます~


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 あの景色はもう。。。 ③

2011-04-09 10:22:10 | Weblog     


          翌2日の朝、前の浜から小学校やお墓にと回ることにした5人。
          木々に囲まれたお墓や高い防波堤で見えもしなかった海に浮かぶ弁天島。
          それがこんな所から見えるなんて~ その破壊力が恐ろしい!

          
          
          
          

          スッポリかぶさる船。。。  引っこ抜かれた電柱。。。 

          
                    

          海を見下ろす高台にある小学校も甚大な被害だ。
          
          
          
                                 

                   建物の隙間に押し流された数台の車。

          
          
                     
          体育館のあまりの惨さに潮風の鎮魂をただ押し黙って見てる我ら。

          
          
               
         
         
 お寺は影も形もなかったが、向かう途中にはアルバムが置いてあった。

          
                              

          どこのお墓も墓石が倒れる程度で良かった。
          五郎花子のお墓にいつもより長く手を合わせ浦の浜方面に向かう。

          

          ウオーキングコースにちょうどいい 【 鯨と海の科学館 】 周辺も凄い!

               

          鯨館の1F展示室には、学術的にも世界的に優れた貴重なものという
          世界最大級のマッコウクジラのほぼ完ぺきな骨格標本(17.6m)が
          天井から約5メートルの高さにつるされている。

          その鯨がよくぞ津波に耐え泳ぎきったと関係者は喜んでいるそうだ。
          1Fには約5メートルの高さまで波が押し寄せた跡があったからだ。
          今は他地域から運ばれる瓦礫の山と化し~ 公園の公の字もない!

          
                  
                    
                         続きます~

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 あの景色はもう。。。 ②

2011-04-07 10:44:10 | Weblog     

 


          有難くて涙が出るほど数知れぬ自衛隊の被災救援車にすれ違う。

          

          山側の道を下りゆっくり左にカーブし始めた。
          ” ここを下りるとそうだからネ ”  覚悟はいい? そう言わんばかりの妹。

          被災間もない生々しさを見てるからだ~ その声が急ブレーキのように消され      
          車内には嘆息だけがもれた! ” あぁあ。。。 !!!  あぁあ。。。 !!! ” 

          
          

          牧場のサクのように立てかかる線路。(釜石~宮古間の山田線は不通)
          所かまわず巻きつく漁具。
          捜索箇所に書かれた生死を分ける印 や 印。
          悲しい現実をず~っと見続け実家に着いた。

          
          
          

          海はただ穏やかに満ち口を噤む。

          

          我が地域の大多数の家は高台に位置し津波から免れている。
          昔の人はスゴイよなぁ~ 家の近くにはこんな石碑がある。

            

          写りが悪く誤字がありそうだがこのようなことが刻まれてる。

              一、 大地震の後には津波が来る
              一、 地震があったら高いところへ集まる
              一、 津波に追われたら何処でもすぐそばの高い処へ
              一、 遠くへ逃げずに近くの高い所を用意して置け
              一、 縣指定の住宅適地より低い所へ家を建てるな

          その教えを忠実に守り上に上にと造られた家々。
          三陸津波(昭和8年)後の昭和9年に建てられた先人の教訓の賜物である。

          待ち望んでいた水道も復旧し~ 避難していた気難しい従兄弟からも解放。
          どうにかこうにか変則日常が戻りかけた矢先にぞろぞろ押しかけた我々。
          炊き出ししたりの疲労を隠し精一杯の笑顔で迎えてくれた兄夫婦。

          心配をかけた兄が吊るし上げをくった土下座の携帯画像も見せられた。
          生きていればこその大笑いが許される家族の絆を強く感じたのだった。
                          続きます~


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 あの景色はもう。。。 ①

2011-04-04 11:11:04 | Weblog     

 

関東にいる甥っ子(兄の)に弟と私、盛岡にいる妹に甥っ子(妹の)と
車2台で実家に向かった。

 

内陸の風景は自然の赴くまま車窓をよぎる。

 

沿岸に牙をあらわにした自然の刹那を知らしめた巨大津波!
 海あっての村落が壊滅的被害に遭ってしまった。
    むかし昔むかし卒業した小学校や中学校付近。。。
  直視できない  惨状だった。



画像を整理し更新することにします。 

 

 

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