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えすみの日記

ふつーの主婦ですが、日本の未来を真剣に考えたい!

古事記を読みましょう

2011-12-11 23:10:37 | 日本
先日、竹田恒秦氏の講演会に行きまして、

来年、2012年が、古事記が編纂されてから、ちょうど1300年目にあたる記念の年であると、お聞きしました。

竹田氏によると、

13歳までに、建国の歴史、つまり神話を教えられない国は
『例外なく』100年以内に滅びるという説があるそうです。

日本は敗戦後、神話を教えるのをやめてしまいました。理由はGHQに命令されたから。WGIP(日本弱体化作戦)の一環ですね。
神話が学校教育から、消えて65年・・・。

残り、35年しかない・・・。

大丈夫かあ・・・!?

しかし、冒頭で述べたように、来年は古事記編纂1300年。
日本各地で、記念のイベントが予定されているそうですよ。


http://kuniumi.or.jp/1300nen/subpage06.html 
古事記編纂1300年記念大祭 兵庫県淡路市 

http://www.shimane-hajimaru.jp/event/2011/12/05/post_362.html
古事記編さん1300年記念フォーラム 島根県出雲市

http://www.atpress.ne.jp/view/21738/
古事記編纂1300年記念『神話博しまね』 島根県出雲市

などなど・・・。

35年しかないけれど、
もしかしたら、これは、チャンス!
日本人が神話を取り戻すために、
天がチャンスをあたえてくれたのかもしれません。

来年は古事記の年!日本人が神話を取り戻すための、多分ラストチャンス!

みなさん、是非、古事記を読みましょう!











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9 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
玉に傷 (古事記研究家)
2011-12-28 21:05:33
 竹田氏の現代語古事記は島根県安来市にある比婆山をイザナミの神陵地とした初めてのもので、一般向けの古事記本で画期的だと言える。
 しかし、一点だけ残念なことがある。スサノオが須賀の宮を建てた地を島根県雲南市としている。須賀の地は根之堅洲國にあるので、これもまた島根県安来市の須賀神社である可能性が高い。そのほうが、(1)後のオオクニヌシの出雲大社への経路が歪にならない。(2)スサノオは出雲王であるから都を開いたことを暗示しており、海辺から遠いところに造らない。(3)雲南市の須我神社は須賀神社とは一字違っているのが正式名である。というとこを根拠にしている。
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古事記研究家さま (えすみ)
2012-01-06 23:50:44
古事記研究家さま

コメントありがとうございます。
古事記についてだいぶお詳しそうですね。
わたしも今竹田先生の現代語古事記を読んでおります。いま、神武天皇の東征のところまで読みました。
古事記というのは、神話なので、いろいろな解釈する余地があり、確定できない部分もたくさんあるのでしょうね。研究する人の数だけ、解釈がある。そんな感じなのでしょうか?
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鋼の里、島根ファン (武士の末裔)
2012-01-24 22:16:15
 今年は島根県でも古事記1300年を記念して神話博しまねがおこなわれるらしいですね。しかしわたしとしては、オオクニヌシノミコトの足取りをたどるので、鳥取県からの旅行プランを考えています。まずは白兎海岸と白兎神社、つぎは八十神のいじめにあったといわれる南部町の赤猪岩神社、次には根之堅洲国ともいわれたお隣の島根県安来市でスサノオの試練をうけたと思われる富田八幡宮、境内社須賀神社へ。その近くにある古代出雲王陵の丘も見逃せない。時間があれば、伊邪那美ノ神が眠る比婆山の久米神社にも行ってみたい。それを更に西に進むと、松江市の揖夜神社の近くの黄泉比良坂へいき、一路、出雲大社に進むというルートです。出雲大社の古代出雲歴史博物館もなかなか見逃せないとのこと、先の安来市で出土した、錆びずに出てきた奇跡の大刀なども展示されているからです。
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先の回答です (古事記研究家)
2012-03-04 17:14:49
 ここが、須賀の宮であるという話は、古事記をよく読んだ人間だと違うと分かる。安本美典氏もいっているように、黄泉比良坂である松江市東出雲町平賀あたりを境にして東部を根の堅州国(根の国)、西部を葦原中国という見立てが合理的である。そうすると、須賀の宮は松江市東出雲町平賀よりも東部に位置しなければならないが、ここは西部に位置する。そこで東部に須賀のヒントになるような神社を探すと、安来市広瀬町の富田八幡宮の境内社に須賀神社というものがある。境内社ながら結構、立派であり、ここを須賀の宮のあった場所とみなすほうが合理的であろう。
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東電がここで出てくるなぞ (安来民)
2012-03-12 20:19:50
えすみ様
 国宝真福寺本古事記には須我という字は発見できませんでした。原子力村の人間が古事記の解釈に強引な説明を与えているように感じている。
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金属法師 (平氏鋼)
2012-04-02 22:41:01
 東電は浅き宮、深きは様々あれどトヨタ自動車。もっとも深きものをものづくり国家にてわすれている。出雲の日立ではないか。
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あそびを遷都や (水雲)
2012-05-07 19:05:13
 安来は古事記では根之堅洲国というところでスサノオの活躍地ですね。正確には十神島根之堅洲国となりますが長いので古事記では省略されています。
 この省略された、十神島というのは出雲国風土記では砥神島という陸繋島であったであろう現在の安来市の十神山です。この島は安来市のシンボルと見いわれ、きれいな円錐形をした小山ですが、古代の人たちの崇敬の島だったらしいです。この十神というのはイザナギ・イザナミを含むそれ以前の時代を、
神世といってその後の神代の時代と分けて表現されますが、神世七代には十の神がおりそれからつけられた神聖な島だったのだと思われます。ここがオノゴロ(淤能碁呂)島と考えると、近くにイザナミの神陵地もあることから合理的なのではと思われます。
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水雲さま (えすみ)
2012-05-21 06:05:06

イザナギ・イザナミ以前のことなど、
えすみの知らなかったことばかりです。

古事記って奥が深いっ!
日本の古代史、もっと知りたくなりました。

コメントありがとうございました。
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古事記の謎が解けた!! (竹島根)
2012-09-02 16:40:30
たしかに十神島の面する中海にはこれもまた陸繋島からいまではすっかり地続きになった粟島というところがあるが、これが国生みで最初に生まれた淡島と解釈すれば合理的ですしね。本居宣長でもここまでは読込めなかったんでしょうね。
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