


畠で夏も秋口になっても頑張っているセンニチコウです。
この三河の場所は 仏教の盛んな信心の人の多い所で
住み着いた時に 仕事に通う電車の窓越しに見るお墓の
綺麗な事 毎朝花を手向けるのが普通で お墓に日が当たると
花畑の様で どうして毎日なのと聞いた事が有りました。
私は今での名古屋の平和公園で 年に1度しか行けません
墓守の業者さんに花の世話を1年分頼んで来ますが 多分
この辺りの人では理解に苦しむと思います。
そんな訳でこの近くの畠には 墓花になる花が作って有ります
これからは菊の季節ですが又綺麗な花に逢えます。
自分達もそうです 墓が有りません。
親の時に墓を兄妹でと言ったのですが兄は頭を振りました。
その兄が一番先に逝きました。
結局は宗教形の無い八事の霊園に納めましたが
貧しい階級の人の考え方でしょうね。
今の家はまったく反対の考えで 墓も私たちの代に作り変えました
空襲で墓石が風化してしまっていてその墓石を
今の墓の下に埋めて有ると
石屋さんの話です 未だ私達親子では葬式は無いので余り分りませんが
先は分りませんが 今日を生きるのに精一杯で
それで良しと思います。
亡くなった母は、父の月命日には、毎月欠かさずに
お墓にお花を手向けに行っていました
家から寺までは2キロほどあり、寺は山の中腹にあるため100段の石段を登らなければいけません
80歳半ばぐらいまで続けていましたが、よほど足腰が丈夫だったのでしょう
家の仏壇には、朝夕のお勤めは欠かさなかったようです
ご先祖様を大事にしていた事が、自分が死を迎えた時も苦しむことなく、大往生できたのかなと思ったりもします