ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の塀(2)

2023-11-25 20:51:09 | 水戸

石と木の組み合わせ(見川)
 この住宅地は、市と桜の風景に関する景観協定を結んでいるようです。塀は、石と木を組み合わせた、洗練されたデザインのようです。ここの一角に桜川の碑があります。

 

メモリアルプレート(水戸市国際交流センター 備前町6-59)
 運営基盤強化の基金に応じた個人や団体のメモリアルプレートを塀に設置したようです。応募者それぞれがいろいろな言葉を刻んでいるようで、見てまわって楽しむのも面白いと思います。

 

装飾(鯉淵町)
 ブロック塀に使われる、装飾的な穴のあいたブロックを多用して、見ばえする風景をつくっているようです。

 

城郭風(開江町)
 広い住宅を囲う、城郭建築のような塀をめぐらしています。これだけ規模が大きいと見ごたえは十分です。

 

石貼り(新荘)
 いろいろな種類の石を貼り付けた塀です。縦と横を意識したきれいな模様になっているようです。

水戸の塀(1)

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水戸・備前堀にかかる2つの常陸山橋

2023-11-24 20:56:06 | 水戸

 常陸山橋と橋柱に書かれている橋が2つあります。どういうことなのか考えてみました。

 

旧常陸山橋

 

常陸山橋

 

 現在の、常陸山(ひたちやま)の絵が描かれている、市中から酒門墓地方面に向かう道に架かる橋(写真上)は、かつて万才橋(明治35年地図)といわれていたようです。角聖といわれた19代横綱だった常陸山が、大正の初めに、自家の墓のある、徳川光圀がつくった酒門共有墓地へお参りに行ったときに、古くなっていた万才橋を建て替えると周囲に語ったようです。しかし、忙しい常陸山はそこのとを忘れてしまったようです。

 

 地元の人たちは、常陸山が約束を破ったとして、万才橋を、「常陸山小便橋」ともいったそうです。「小便する」という俗語は、約束を破ることをいうようです。

 

 一方、備前堀・万才橋少し下流にあり、現在の県道179号線に架かる橋(写真下)が掛け替え時期になり、上のことが知られていたからなのでしょうか、行政は建築のときに、常陸山を顕彰するために、その新しい橋を常陸山橋と名づけたようです。この時点では、まだ、もう一方の橋は、万才橋といっていたのでしょう。

 

 常陸山は大正11年に亡くなったそうですが、その後、遺族は、「小便橋」ということがいわれていることを知ったようで、常陸山が寄贈したということにして、立派なコンクリート製の橋を地元に寄贈したようです。(常陽藝文)

 

 寄贈された橋も常陸山橋といわれたのでしょう、結果的に2つの常陸山橋ができたようです。行政は現在、寄贈された橋を旧常陸山橋(写真上)、県道の橋を常陸山橋(写真下)と区別しているようです。

 

 現在の橋は、どちらも建て替えられているようで、現在の旧常陸山橋は平成13年に、常陸山橋は昭和30年に竣工したようです。以上の話は、細かいところのしっかりした裏づけはないのですが、今後資料を見つけていきたいと思っています。

 

 面白いと思うのは、才蔵橋が近くにあったという話(明治大正の水戸を歩く)があることです。もしそうなら、昔、正月の万歳をおこなうにあたり、太夫が相手の才蔵というコンビをさがす才蔵市が、このあたりでおこなわれていたのかもしれないということです。

備前堀 初めの八つ橋

水戸にある19代横綱常陸山のゆかり(2)

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水戸の裏(6)

2023-11-23 19:32:09 | 水戸

地蔵(米沢町36°20'27.3"N 140°27'37.3"Eあたり)
 石造地蔵の建立年月は、向拝のない場合、背中に彫るのが一般的なようです。写真は、市道脇に並ぶ石造物群の中にある地蔵で、背中には「宝暦六丙子(へいし)(1756)十一月廿四(24)日」とあります。年の数字か干支のどちらかが読めると、いつなのか分かることが多いようです。

 

常陸山像(堀原運動公園 新原2-11-1)
 市制100周年記念事業で、平成1年に建てられた山崎猛作・常陸山立像の後ろ姿です。角聖ともよばれた横綱だっただけに、さすがに後ろから見ても風格が感じられます。

 

獅子頭(護国神社 見川1-2-1)
 護国神社の雛祭り展で飾られていた獅子頭です。角(つの)のあるタイプの獅子のようですが、中に見える上下2本の横棒を左右の手でにぎって、頭の動きや口の開閉などを操作するようです。

 

灯籠流し(備前堀三叉橋(みつまたばし)下流 36°21'48.3"N 140°29'27.1"Eあたり)
 これは舞台裏といった感じでしょうか、流れてくる役目を終えた灯籠を回収しているところです。コロナの5類移行によって、今夏、お盆の灯籠流しが復活したようです。

 

太子堂裏扉(善重寺 酒門町2096-2)
 国の重要文化財に指定されている、聖徳太子像を安置している太子堂の裏側にある扉です。たぶん、万が一の事態にそなえた扉なのでしょう。聖徳太子の命日とされる2月22日に、毎年ご開帳がおこなわれるそうです。

水戸の裏(5)

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水戸のもみじ(4)

2023-11-22 20:28:41 | 水戸

 葉を大きく撮ってみました。もみじ葉の姿にもいろいろあるようです。

 

アカシデ(逆川緑地 千波町)
 カバノキ科。神社で見る垂らした紙(紙垂(しで))に似た花を咲かせるそうです。黄色やダイダイ色に紅葉するようです。葉を見ると、葉脈にそって色が広がっているようです。

 

イロハモミジ(千波湖西岸 千波町)
 ムクロジ科。葉の数を「イロハニホヘト」と数えたからついた名前だそうです。葉を見ると、先の方から色づいているようです。写真の葉はこれから濃い赤色になっていくのでしょう。イロハカエデともいうようです。

 

カキ(逆川緑地 千波町)
 カキノキ科。赤い色の中に黒い点のようなものをよく見ますが、これは円星落葉病という病気のようです。私には、これがあると何となく柿の葉っぽく見えます。光沢があって重そうな感じのする紅葉です。

 

コナラ(水戸市役所 中央1-4-1)
 ブナ科。オオナラといわれるミズナラに対して、葉が小さいので言われたようです。葉の形は倒卵形だそうです。黄葉するようですが、赤っぽいものもあるようです。若葉時代のいかにも繊細に見えた薄い葉が、よくここまで育ったなという感じがします。

 

サルスベリ(千波公園 千波町)
 ミソハギ科。葉は2枚ずつつ、多くは左右互い違いにつくそうです。写真の段階から、葉全体が赤くなっていくようです。

 

モミジバフウ(千波湖西岸 千波町)
 フウ科。アメリカフウともいわれ、大正時代に渡来した木だそうです。葉や樹脂に匂いがあって、動物は嫌うそうです。ダイダイ色から紫色に変化して行くそうで、その変化が楽しめるそうです。写真では葉の周辺などが紫色っぽくなっています。

水戸のもみじ(3)

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水戸の枡(ます)

2023-11-21 20:48:43 | 水戸

一升枡(別春館 元吉田町327)
 側板にほぞ(溝)がつけられていて、それを互いにはめて組み立てるようです。明治時代の枡だそうで、正面に「液用一升」という焼き印が押されているようです。小売する酒の量り売りなどに使われたのでしょうか。別春館は、明利酒類㈱の、梅酒と酒の資料館です。

 

一升枡(大塚農民館 大塚町1223-2)
 この枡にはほぞが見られません。穀物などを量るのに使われたのでしょうか。

 

福桝(水戸八幡宮 八幡町8-54)
 水戸八幡宮では福桝が節分に売られていました。中には福豆やお守りなどが入っているようです。この枡は、上の別春館の枡と同じ作り方のようです。

 

枡形(水戸城三の丸、二の丸)
 城の入口(虎口)にある、曲がらないと入れない、枡状のになっている防禦の施設をいうようです。写真は、「水戸の城下町MAP幕末版」の、三の丸部分にある枡形の通路に、赤い線を加えたものです。このほかに、「北三の丸」とかかれた所の道向かいにも、北柵御門(きたさくごもん)の枡形があったようです。

 

あります(かぶと 三の丸3-8-17)
 「天然うなぎ有ります」の「ます」が、〼になっています。たぶん、ただ四角ではわかりづらいので、斜めに弦鉄(げんてつ)が入った穀物用の枡の形にしたのでしょう。弦鉄は、江戸時代以降、穀物の入った枡の上面を棒で平らにならすためにつけられたようですが、明治36年に、弦鉄の分、枡に入る量が少なくなるということで廃止されたそうです。この〼という絵言葉は目を引くし面白いからなのでしょう、ときどき見かけるようです。

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