千波神社(千波町503-1)
元は八幡宮だったそうですが、徳川光圀の宗教改革で、宮内町の吉田神社から祭神の日本武尊(やまとたけるのみこと)が勧請されて、鉾(ほこ)明神と称されたそうです。明治になってから千波神社となったそうです。大鷦鷯命(おおさざきのみこと 仁徳天皇)も一緒に祀られているようです。
鷲神社(千波町1945)
寛文6年(1666)に光圀の城下整備の一環で、千波湖南の高台にあった払沢鷲下から、手の入らない藩有林だった今の地に遷ったそうです。明治3年に千波神社に合祀されたそうですが、氏子の強い復社願いによって、その後もとにもどったそうです。祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)だそうです。
笠原子安神社(笠原町992)
かつて吉田浅の台から笠原山に遷ったそうです。宮内町・吉田神社の別宮で水戸七社の一つだったそうです。徳川頼房がさらに現在地へ遷し、安産守護の神としたそうで、歴代藩主夫人の信仰があったそうです。一般の妊婦が、この神社の像を借り受けて、安産の後に返納するという習慣があったそうです。 祭神は弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)と木花開耶姫(このはなさくやひめ)だそうです。
金刀比羅神社(白梅4-7)
明和3年(1766)にあった下市大火で類焼したため、讃岐丸亀の金刀比羅神社を勧請して、すぐに再建されたそうです。大正3年に造られた珍しい兎の狛犬があります。嘉永6年と書かれた、神社の鍵に付いた銘板があるそうです。祭神は大物主命(おおものぬしのみこと)だそうです。
銭谷稲生(浜田町150)
この地は、寛永年間(1624-1644)に鋳銭がおこなわれたことから、銭屋といわれ、さらに銭谷と記されるようになったそうです。その後、玉屋権兵衛の宅地となり、そこに個人的に祀られていた神社で、建てられたのは宝暦・明和(1751-1772)よりは前だそうです。明治になって一般に開放されたそうです。祭神は保食命(うけもちのみこと)だそうです。境内には、銭座神社、銭塚、吉久保酒造の氏神や銭谷盆唄発祥の地碑もあるそうです。
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