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水戸の見て歩き

水戸の地名の由来(8)

2021-02-06 20:55:05 | 水戸

 写真はそれぞれの地名内にある神社です。

 

中河内(なかがち)
 古代に那珂郡には河内郷があり、街道の駅があったそうです。「河」は那珂川のことです。上、中、下と地名は分かれていたようですが、下河内は、戦後、柳河町に合併されて、現在残っているのは、上河内と中河内だそうです。ここでは、いつからか河内は「かわち」が「がち」といわれるようになったようです。写真は、中河内神社ともいわれる鹿島神社(中河内町95)です。

 

成沢町(なるさわちょう)
 永禄年間(1558-1570)に藤井村から分かれて新しい村になったそうです。中世、加倉井淡路守(あわじのかみ)の館があり、鳴沢というわき水があったそうで、それが地名になったそうです。写真は鹿島神社(成沢町1708)です。

 

全隈町(またぐまちょう)
 源義家(みなもとのよしいえ)がこの地に来たときに、熊と2度出会ったので、「また熊」と名づけたという伝説があるそうです。和名抄には全隈とあるそうですが、慶長3年(1598)の記録や元禄郷帳には又熊とあるそうで、文化3年(1806)に全隈となったそうです。写真は鹿島神社(全隈町255)です。

 

向井町(むかいちょう)
 大工町から堀を隔てて向かい側にあるので、向町といわれたそうですが、たびたび火事があったので、元禄3年(1690)に水に縁のある井という字を加えて向井町としたそうです。この町にあった木戸は城下と村の境になっていたそうです。写真は別雷皇太神(元山町1-1-57)ですが、向井町は今はなく、現在の神社のある地名は元山町です。

 

吉沼町(よしぬまちょう)
 村内にアシ(ヨシ 芦)がたくさんはえていたので付いた名前だそうです。アシは悪しに通じるので、ヨシといったそうです。江戸時代以前には、ここに大掾氏の一族が住んで、吉沼氏を称したそうです。写真は吉田神社(吉沼町157)です。

水戸の地名の由来(7)


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