ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の地名の由来(7)

2020-06-02 20:02:34 | 水戸

朝日町(あさひちょう)
  昭和24年に水戸市に編入された天神下や瓦谷などの地区に新しく付けられた名前だそうです。吉田神社がある山の名前である朝日山から命名されたそうです。朝日には、終戦後の水戸で、新しい出発の意味も含まれていたということを書いた文を見た記憶があります。写真は朝日町2282-1にある第三中学校です。

 

荒神町(あらがみちょう 城東3あたり)
 五十嵐建設(城東3-1-78)が氏神として復元したらしい三宝荒神のあるあたりに、本町1にある竃神社があったそうで、それに由来する名前だそうです。元禄3年の令に、荒神町見付から荒神橋までを「あらがみ町」というとあるそうです。今の三宝荒神のあたりに荒神橋があったようです。「水戸の城下町マップで見る城東の旧桜川」の地図(60)南東すぐのところに、旧桜川にかかっていた荒神橋が描かれています。写真は三宝荒神です。

 

御茶園(おさえん 千波町内)
 藩内での産業振興を目指した徳川斉昭が、村々に茶の栽培を勧めるとともに、このあたりに茶園をつくったことによっていわれるようになったそうです。光圀も、今の徳川ミュージアムのところにあった高枕亭の一角に、宇治から茶を取り寄せて栽培したそうですが、これは数年にして廃止されたそうです。斉昭はそれを意識して、その近くで栽培地を選定したのかもしれません。写真は御茶園通りにある御茶園というバス停です。

 

加倉井町(かくらいちょう)
 以前は加倉井村(明治22年に合併で上中妻村になったそうです)だったそうです。和名抄には隠井とあるそうで、「コノ村ニ古井アリ、名ヅケテ隠井ト云」(新編常陸国誌)とあるそうです。廃業した常陸の湯の井戸がそれだったのかもしれません。波木井氏が改名した加倉井氏が、大きな勢力を地元で持ってきたようです。写真は波木井氏が建立した、隠井山という山号(門にかかる額)をもつ妙徳寺です。

 

河和田町(かわわだちょう)
 桜川が流れており、「河(川)」(河和田とも川和田とも書かれていたようです)が、「和(輪)」のように蛇行していて、さらに「田」がある所という意味のようです。(「水戸桜川考」) そういえば、桜川にかかり河和田と見川を結ぶ若林橋近くには、磁石池といわれたとかいう蛇行が切れて残った池もありますので、かつては多くの蛇行があったのかも知れません。写真は、川和田城跡でもある、報仏寺の山門付近です。

水戸の地名の由来(6)


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