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水戸藩主・徳川斉昭の話あれこれ(12)

2022-01-29 20:13:03 | 水戸

 25歳のとき、江戸本邸で、1日に30本の茶杓をつくったそうです。その1本に、「櫂(かい)」と銘したものがあり、それをいれる筒には、「早船に のるかひありて 幾としを うき世の中を 渡りゆかまし」と書かれているそうです。25歳は藩主就任以前の部屋住み時代ですから、どういう心境だったのでしょう。写真は、小石川後楽園の紅葉です。

 

 毎年正月元旦には江戸城登城に先だって、庭に下りて、京都の方を向いて礼拝していたそうです。こうした尊皇の考え方が息子の慶喜に伝えられていたのでしょう。

 

 斉昭の歌に、「闇の夜に 鳴かぬ烏(からす)の声なきを 眠らで夢に いかが 聞くべき」という歌があるそうです。「闇の夜に 鳴かぬ烏の声聞けば 生まれる先の 父ぞ恋しき」という一休作という歌があるようですが、こうしたものを踏まえてつくられたものなのでしょう。理屈好きな斉昭らしい歌のようです。

 

 斉昭が行おうとすることに対して、それに反対する勢力の妨害はそうとう大きかったようです。そこで、斉昭は、まず、自分でそれを内々で試してみて、その結果からの自信を背景にして命令を下して実施させていたそうです。このあたりが、水戸藩のほかの藩主と違ったところなのでしょう。

 

 茶席をもうけたとき、席入りの合図に法螺貝を吹いたこともあったそうです。一般的には板魚や、銅鑼が使われたそうです。でも戦陣でふかれる法螺貝を茶席で使うということはどうだったのでしょう。相当な反発があったのでしょうが、自分流を行ったのでしょう。

水戸藩主・徳川斉昭の話あれこれ(11)

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