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水戸の見て歩き

水戸の水にかかわる地名(2)

2020-09-20 20:05:22 | 水戸

河和田町
 河和田という地名は、河水の曲がっている所を意味するそうです。たしかに河和田では桜川が湾曲して流れています。江戸時代には川和田とも書いたそうです。写真・高天原橋の左側(下流)あたりから桜川は曲がりはじめます。

 

千波町
 千波湖から来た地名で、千波は幾重にも寄せる多くの波という意味だそうです。千波湖は平均深度が1mなので、沼に分類されるそうです。写真は千波大橋から見た千波湖で、向こう側が千波町です。

 

轟町(とどろきちょう)
 加藤清正の家臣だった下野有遠らが慶安2年(1649)につくった桜川にかかる堅牢な石垣橋があり、流れる水のとどろく音からドドメキ橋ともいわれたそうです。そのために、町は石垣町ともいわれたそうですが,元禄3年(1690)に轟町になったそうです。写真は現在の石垣橋です。

 

上河内町、中河内町(かみがちちょう、なかがちちょう)
 古代、那珂郡に河内郷があり、「こうちごう」とよばれていて、街道の駅があったそうです。「河」は那珂川のことです。この地名が上河内、中河内として残っているそうですが、読み方は「かみがち、なかがち」(こうち、かわがち、かち、がちとなったようです)と変わっています。下河内もあったそうですが、戦後、柳河町に編入されたそうです。写真は上河内町にある素鵞神社です。

 

渡里町(わたりちょう)
 源義家に滅ぼされたという一盛長者が、その義家を案内して那珂川を渡ったというので付いた名前という伝説があるそうです。一盛長者は那珂国造(なかのくにのみやつこ)の子孫で河内と称したともいわれているそうです。伝説はともかく、渡里は那珂川を渡る場所という意味のようです。写真は一盛長者伝説地にある堀跡です。

水戸の水にかかわる地名(1)

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