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水戸の見て歩き

水戸の源義家伝説(1)

2016-05-23 20:59:06 | 水戸
源義家の伝説は相当沢山あるようです。(写真は須賀神社の兜松(四角い石柱奥の碑))

一盛(いちもり)長者伝説
 渡里町
 源義家が奥州への行き帰りに一盛長者の家に立ち寄りましたが、両度の余りにも豪華な接待に、今後のことを心配して討ち滅ぼしてしまったという伝説で、人形浄瑠璃にもなったとか。一盛長者は、「駅守(えきもり)長者」か「市守(いちもり)長者」の変わったものだろうという説があるそうです。同様の伝説が笠間にもあるそうです。

納豆伝説
 三の丸3-4-30 (天狗納豆資料館展示) 029-225-2121
 一盛長者の館に宿営したとき、義家が納豆の製法を教えたという伝説や、義家の家来が馬の飼料にと作った煮豆の残りが納豆になったという伝説があるそうです。ともに将軍(義家)に納めた豆ということで納豆という名が付いたとなっているそうです。

上河内 素鵞神社の兜松
 上河内町547
 一盛長者を滅ぼした義家は、那珂川対岸の駅家に引き返し、そこで兜を松に掛けて休んだと伝えられているそうです。その松は枯れて新しい松になっていますが、明治30年に建てられた記念碑があります。
 
河和田 吉田神社の軍配
 水戸市河和田町(かわわだちょう)2895
 義家は、奥州への行き帰りに河和田の長者塩沢金兵衛にもてなされ、帰りにそのお礼として、軍配団扇を残していったそうです。和紙に漆のようなものを塗ったもので、長さ95cm、幅32cmだそうです。

全隈(またぐま)の地名由来
 義家が陸奧守になって奥州へ行くときに、この地で二度熊を見たので「また熊」と名づけたそうです。平安中期の辞書、和名抄には全隈とあり、慶長3年(1598)の記録や元禄郷帳には又熊村とあるそうで、全隈になったのは文化3年(1806)だそうです。

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