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水戸藩初代・徳川頼房の話あれこれ(3)

2020-09-09 18:43:30 | 水戸

 写真は書状に書かれた頼房の署名です。(水戸市立博物館)

 

 江戸に大火があったために、御三家の兄弟、義直(尾州)、賴宣(よりのぶ 紀州)に前後して頼房も江戸城に登城して、将軍・家光の避難に従ったそうです。非常時なので刀を持っていた頼房は、そのとき、家光の背後で刀を抜いて向け、「天下を執るのは今じゃ」といったそうです。義直、賴宣が「また水戸がおどけている」と同時にいったので、一同笑い出してしまったそうです。

 

 芝・増上寺で将軍・家光らと茶事がおこなわれたとき、頼房が茶を家光にたてたそうです。その作法は、一つも違いがなく、同席していた本職の山本道句も感激したそうです。「水戸殿はかかるたしなみもあったのか」と一同は感服したそうです。

 

 弓が上手で、ことに普通より小さい半弓が上手だったそうです。上向きに寝て飛ぶ鳥を射たそうです。「常の通りには引かずに、真向(まっこう)に引いた」と、子の光圀が臣下に語ったそうです。

 

 頼房は、古今の世の中の治乱興亡をまとめた書物を残さなければならないと考えて、その考えを書いたものを子の光圀に渡したということが伝わっているそうです。もしそうなら、光圀の名前で知られている大日本史にも前史があったということなのでしょう。

 

 頼房の家臣が、幕府の鷹匠を殺害して姿をくらましたそうです。就任したばかりの将軍・家綱が、頼房に、犯人を逮捕して切腹させるよういってきたそうです。頼房は、「水戸家の家臣は家康付属の武士なので、直参と同じである」と拒否して、再三の要求にも応じず、家に籠もってしまったそうです。知恵伊豆の松平信綱が説得に派遣されたそうですが、それもうまくいかなかったそうです。ただならぬ雰囲気を知った家臣は、自分の家の墓前で切腹したそうで、それによって大事件になることなく事態はおさまったそうです。

水戸藩初代・徳川頼房の話あれこれ(2)

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