徳川斉昭が水戸八景を選んだことにならって、河和田でも天保年間(1830-44)に八景を選んだそうです。河和田は、昔から地元に対する愛着を強く持っている地のようです。
道場池夜雨(どうじょういけのやう)
唯円道場伝承地(河和田町榎本3670のロ トイザラス南の田畑の中)の風景です。ここは、報仏寺の発祥の地で、開基の唯円は親鸞の弟子だった人だそうです。樹叢の中に水たまりがあり、これが道場池だったようです。
建面落雁(たておもてのらくがん)
県道59号線河和田小学校前信号北約50m。表示のあるところにはゴルフ練習所があって面影はありません。写真はその裏手です。表示には広面とありますが、建面の間違いだそうです。
天徳寺晩鐘(てんとくじのばんしょう)
天徳寺は斉昭による天保の改革で処分され、鐘も没収されましたが、その前に八景は選ばれたのでしょう。
吉田晴嵐(よしだのせいらん)
吉田神社(河和田町2895)は、もとは、八幡神社で、光圀の命によって改名したそうですが、近くの桜川にかかる橋の名前は八幡橋となっていて、旧名を残しています。
膳棚帰漁(ぜんだなのきぎょ)
源義家の伝説が残る見川5あたりの桜川です。水戸八景では帰帆となっています。川底が段々になっているので、川の流れの音を楽しめます。
西宿夕照(にしじゅくのせきしょう)
市道千波・河和田線の河和田小学校近くです。河和田城があったころ宿場だったあたりだそうです。写真は平成28年のものです。
高間原秋月(たかまはらのしゅうげつ)
沢にかかる橋は、現在の書き方の高天原橋となっています。写真は橋上から撮ったものです。右は桜川です。
報仏寺暮雪(ほうぶつじのぼせつ)
元禄3年(1690)に今の地に移ったそうです。報仏寺も天保の改革で処分を受けたそうです。