ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の常照寺の履歴

2018-05-04 20:17:42 | 水戸

 大掾氏の一族であった、吉田盛幹(もりもと 資幹(すけもと)の祖父)の居館だったそうです。盛幹のころは、今の常照寺本堂周辺だけだったようですが、その後、拡張されて城郭の形式に整えられていったそうです。大手は、今の山門とは逆の方向だったそうです。写真はわかりにくいですが、今に残る堀跡です。

 

 佐竹氏の時代になって、家臣の車丹波守(くるまたんばのかみ)の屋敷となったそうです。佐竹氏の秋田移封(慶長7年(1602))のとき、抵抗の一揆をくわだてて捕らえられ、斬首されたそうです。写真は車丹波憤恨の地です。

 

 円通寺が、延宝2年(1674)に城東の細谷から移転してきたそうです。写真は、今の円通寺です。

 

 徳川光圀の招きで水戸へ来た大徳寺派東海寺の僧、敬峰(けいほう)により、光圀最後の開基寺として元禄13年(1700)に創建されたそうです。光圀が病床にあったため、敬峰は対面することはなかったそうです。写真は歴代和尚銘碑です。

 

 徳川斉昭の天保の改革で、常照寺は清音寺(現・城里町下古内1130)に併合され、跡地は山野辺兵庫頭に与えられたそうです。その後、寺は弘化3年(1846)に復帰したそうです。写真は常照寺本堂です。

 

 常照寺(元吉田町2723)には、吉田松陰が拝した光圀の筆塚があり、光圀筆の千字文や、斉昭の名付けたという茶室・不言亭などがあるそうです。山門にかけてある仏日山という扁額は光圀筆のものだそうです。写真は仏日山の扁額です。

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