ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の地蔵(3)

2018-05-09 20:37:34 | 水戸

小五郎塚(飯富・小五郎塚墓地 飯富町NTT飯富電話交換センタ東方約150m)
 水戸城主江戸重通(しげみち)の長男、通升(小五郎)は江戸氏の内乱であった神生(かのう)の乱で、天正16年(1588)に戦死したそうです。その供養のために、土地の人がたてた地蔵だそうです。

 

安産地蔵(楊林寺 三湯町45)
 お産のときに、夜中にそっと来てこの石仏を借りて、出産がすむと寺に返すという習慣があったそうです。今はその習慣はなくなったようですが、寺へ来るお婆さんなどで拝んでいる人もいるそうです。

 

縁切り地蔵(元吉田町 駅南大通り・元吉田北信号1本北小路を東に入る)
 結婚して間もない女性は前を通らなかったそうです。となりに女人講中が建てた子安観音もあります。昔ここにはお寺があり、城からその明かりが見えるので見苦しいということで、寺は移されて地蔵は残ったそうです。その後、地蔵がやきもちをやくようになったので、やきもち地蔵ともいわれたそうです。

 

北向き地蔵(県道118号線を祇園寺方面に折れ、一本目を左折)
 ここまではかつて祇園寺の境内だったそうです。北向き地蔵は、野木神社にもあります。

 

千人供養地蔵(天王町 西の谷公園入口の西側)
 鳥見町の芸子さんの死をいたんで、大正7年に神崎寺住職ら、世話人7人で建てた地蔵だそうです。

 

地蔵?(石地蔵墓地 堀町・渡里小学校近く)
 これは地蔵ではないかと思う石仏です。下の文字も読めません。雲(蓮の葉かも知れません)に乗った来迎像のような気がするのであげてみました。この形は水戸で初めて見ました。風雨で摩滅した白御影の石仏には古いものがよくあるようです。

水戸の石仏(2)

コメント
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