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水戸の見て歩き

水戸の源義家伝説(2)

2016-06-04 23:00:06 | 水戸

                           (写真は膳棚)

手子后(てごさき)神社
 元石川町1728
 源義家が、ここで戦勝を祈願したとき、兵たちが弓の先で境内の沢を突くと水が湧き出たそうです。そこを泉沢(いずみざわ)と呼ぶようになり、神社の御手洗(みたらし)としたそうです。近くの御旗(おはた)というところは義家が旗を立てたところだそうです。

十万原(じゅうまんぱら)近隣公園
 藤が原1-1
 義家が十万の兵を結集させたので、「十万原」と呼んだそうです。義家は後三年の役が無事終わり、帰る途中再び十万原に立ち寄って休息し藤内神社に御礼参りして都に向かったといいます。加藤寛斎随筆には十万原について「上下那珂西(なかさい)、増井(ましい)、藤井四か村の散野(さんや)なり、義家勢揃いの場と言伝ふ」とあるそうです。

膳棚
 水戸市見川5(桜川)
 義家が奥州に向かうとき、地元の長者塩沢金兵衛が義家の軍勢を歓待し、もてなしに用いた食膳などをこの川で洗ったとか、川底が階段の形をしていてお膳を置く棚に似ているからとかいわれているそうです。また、川底の岩が馬のひずめの跡のようになったとかいわれているそうです。

藤内神社
 藤井町874
 義家が奥州に行くとき、藤内神社で戦勝を祈ったそうです。その時義家は、境内の御手洗の池にあったフジの枝をとって鞭を作り軍団を指揮したそうです。それで「藤井」という地名が生まれたそうです。

薬王院
 元吉田町682 029-247-6266
 義家の部下に美女丸という恋人がいて、彼女は彼を追って吉田の旧家福田家まで来たそうですが、すでに出発したことを知り、化外の地である陸奧まで行くことをあきらめ、軍勢の滞在した薬王院へ琵琶と本尊の観音像を寄進して都へ帰ったそうです。


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