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水戸の見て歩き

水戸の甲子塔

2018-04-11 20:52:37 | 水戸

 甲子(きのえね)や子(ね)の日に、子の刻(午前0時)まで、白ネズミ(子 ね)を使者とする大黒天をまつって過ごす行事だそうです。甲子待(まち)ともいって、豊作や商売繁盛を祈った講だったようです。その積立金を使って碑を建てたのでしょう。干支の最初が甲子ですから、そういうことも、行われるようになった原因の一つなのでしょう。
 碑には、甲子塔、甲子供養塔、甲子塚などと刻まれていますが、大黒の文字や大黒をあらわす梵字が刻まれていることもあるそうです。
 甲子の年に建てらたのかと、碑を見てみると、多くはそうでない年に建てられています。11月が子の月なので、この月に建てられたものが多いのでしょう。

 

甲子塚(大森巧芸 松が丘1-2-43)
  文化元年(1804)11月(霜月)とあります。この年は甲子です。

 

甲子塔(県道105号線鯉淵小学校隣)
 文政10年(1827)ですが、丁亥(ひのとい)です。月は11月のようにに見えますがよくわかりません。この隣に聖徳太子の石碑があります。

 

甲子供養塔(成就院墓地 国道50号線大塚町すきや水戸IC店脇入る)
 嘉永7年(1854)とあり、甲寅(きのえとら)です。

 

甲子塔(和光院 田島町415)
 明治33年(1900)、庚子(かのえね)です。

 

甲子塚(国道50号線石川町信号を南に折れて150m)
 拓本にすれば読めるのかも知れませんが、これ以下は年代がわかりません。明治12年のように見えるのですが。

 

甲子塔(楊林寺 三湯町45)
 お寺の石碑には古いものが散見されますが、これもきっと古い碑なのでしょう。4月は読めます。(天保12年のように見えます)

水戸の庚申塔(2)

コメント (6)
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