ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の難読地名(12)

2021-06-04 20:25:13 | 水戸

 今回は方言的読み方の地名を選んでみました。方言を知らないと、「正確」には読めないでしょう。みな「改訂水戸の町名」にある小字名です。

 

「かだだたき(肩たたき)」のように濁る例です。

 愛宕(あだご) 常磐村(現在の水戸市中部)

 水戸道(みどみぢ) 緑岡村小吹(現・小吹町)

 

「い」と「えの混用」

 鳥居前(とりえまえ) 常磐村(現在の水戸市中部)

 榎戸(いのきど) 飯富村飯富(現・飯富町)

 

促音「っ」の多用

 立原(たちっぱら) 渡里村渡里(現・渡里町)

 

はつおん「ん」の多用

 東田(ひがんだ) 飯富村岩根(現・岩根町)

水戸の難読地名(11)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水戸のニワトリ(1)

2021-06-03 21:08:21 | 水戸

蛙股(水戸八幡宮 八幡町8-54)
 水戸八幡宮の本殿周囲にある蛙股には、いろいろな動物などが彫刻されていますが、ニワトリもいます。今度参拝に行ったときに確認してみてください。

 

襖絵(ふすまえ 好文亭 常磐町1-3-3)
 好文亭奥殿にある、桃の間という部屋の襖には、田中青坪(せいひょう)筆のニワトリがモモの枝下に描かれています。

 

絵馬(銭谷稲生神社 浜田町150)
 奉納された絵馬に、ニワトリが描かれていました。奉納されたときは大正9年5月で、申年(さるどし)です。翌年が酉年(とりどし)なので早目に奉納されたのか、ニワトリに関係ある商売の人の祈願か、子鳥がいますので子供の誕生を願う絵馬か、などが考えられます。

 

玄関オブジェ(元吉田町)
 曲がった針金を使ったなかなかおもしろいニワトリです。手前にある白いものは、白い針金で作ったサボテンのようです。

 

梅(偕楽園 常磐町1-3-3)
 矮鶏冬至(チャボトウジ)という品種だそうです。こぶりな花の品種なので、ニワトリとしても小さなチャボの名前がついたようです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水戸の民間信仰(2)

2021-06-02 20:46:54 | 水戸

 どれも今はほぼなくなってしまった信仰のようです。かつては信仰、信心が生活の相当な部分をおおっていたのでしょうから、もっとずっと多くの信仰の形があったことでしょう。

 

安産の加持符(六地蔵寺 六反田町767)
 寺で頒布する安産のお守りには、経文を書いた紙と4包みの加持符が入っていたそうです。出産の日、妊婦が産床に入ると、まず1の札を飲み、さらに30分おいて1枚飲み、それでも生まれないときには残りの2枚を飲めば無事出産するといわれていたそうです。出産後にはお守りを返して、改めて寺から成長のお守りをもらったそうです。

 

地方神(じかたがみ 酒門町36°21'20.3"N 140°29'41.1"Eあたり)
  古くからカサモリサマと呼ばれ、痔や梅毒、重い皮膚病などに霊験があるとして信仰されたそうです。土で作った団子をお供えして、病気が治ると本物の団子や素焼きの壺型お宮(カワラホウデン)などを奉納したそうです。戦中は、出征する兵士が、酒門神社に参拝した後、この神社に千社札を張って参拝したそうです。

 

お袋様(大井神社 飯富町3475)
 境内に色々な神が祀られている大井神社ですが、お袋様もその一つです。母親に対する信仰を形にしたらしい素朴なもののようです。氏子が奉納した人形が並んでいます。

 

山入り(柳河町等)
 カラス・カラスともいうそうです。1月6日に山に入り、御幣、餅などを山の神に供え、カラース・カラースと叫んで、山仕事の安全を祈ったそうです。枯れ枝等を家に持って帰り、それでご飯を炊いたそうです。柳河町、内原町、国田地区などの郷土史本にありますが、山仕事は広く行われていましたから、似たような行事は多くの地区であったことでしょう。

 

青屋箸(水戸全域)
 6月21日に、茅(かや)の箸でうどんを食べるという、茨城県だけにある習慣があったそうです。石岡にあった国府で、国司が着任の時に鹿島神社へ舟で参拝に行くのが通例だったそうですが、荒天で行けないときに、浜に茅で仮屋(青屋)を作ってそこから鹿島神社を遙拝したそうです。それが民間信仰として広がったようです。大掾氏はこの祭に参加するために水戸城を空けた間に、江戸氏に城を奪われたそうです。写真は青屋神社(石岡市総社1-4-32)です。近世は青屋の馬場と呼ばれるこの神社あたりで青屋祭が行われたそうです。

水戸の民間信仰(1)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水戸のタイサンボク

2021-06-01 20:44:45 | 水戸

 モクレン科で、泰山木と書き、中国の名山・泰山にたとえて付けられた名前だそうです。ただ、大山木とか、花の形が「おおさかずき」に似ているので大盞木(盞はさかずきです)という説もあるようです。北米が原産、明治初期の渡来、「たいざん」でなく「たいさん」と読む、中国語では泰山木とは書かない、などから、あとの説にもひかれます。厚くて大きな葉や、白いどっしりとした感じの花など、特徴のある樹木なので、すぐに気がつきます。花の時期は過ぎつつあるようですが、まだ遅い花は見られるようです。百樹園にも樹高のあるタイサンボクがあるのですが、撮り忘れました。

 

桂岸寺(松本町13-19)
 裏手の崖下で見たタイサンボクの花です。良い香りがします。

 

姫子
 この木の花は、普通よりかなり大きいように見えました。

 

八楽(姫子1-33-1)
 看板の脇にあるアイキャッチャーの木です。

 

小吹町
 香取神社近くです。タイサンボクは比較的高い所で花を咲かせるので、目の前で花を見ることはなかなかありません。ここもだめでした。

 

笠原児童公園(笠原町1060-1)
 ここは少し早く行きすぎたようで、まだ蕾でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江戸氏の遺跡(4)

2021-05-31 21:05:17 | 水戸

春日神社(田谷町1)
 江戸通房(みちふさ)は、応永33年(1426)に水戸城を奪った際、その祖である藤原秀郷(ひでさと)が祀っていた藤原氏の神・春日明神を城内に祀ったそうです。その後、佐竹義宣(よしのぶ)によって水戸城が落ちたときに、数名の臣下がそのご神体を田谷に遷したそうで、それが今の春日神社になったようです。写真は春日神社拝殿です。

 

出土した古銭の入った瓶子(二の丸)
 二の丸にあった彰考館の発掘調査時に、瀬戸焼の瓶子(へいし)に入った古銭が発見されたそうです。初鋳年758年の乾元重宝をはじめとして、全47種1346枚あったそうです。江戸氏が二の丸を造成したときに、土地の神に奉納した地鎮具だそうです。写真は、埋蔵文化財センターにある出土品の写真です。

 

長者館(渡里町 36°24'43.1"N 140°26'01.2"Eあたり)
 江戸通房(みちふさ)は江戸城を占拠して、父通景(みちかげ)が江戸郷から移って居城した河和田から水戸城に移ったそうです。その臣下だった春秋(はるあき)氏は、河和田城や、長者館、見川城を居城としたようです。春秋氏は大掾氏の一族で、鹿島郡春秋村(現・鉾田市)の出身だそうです。長者館のある場所は、一盛長者伝説の地で、土塁(写真)や堀が残っています。

 

善重寺(酒門町2096-2)
 浄土真宗・善重寺は、親鸞ゆかりの24輩第12番の寺で、貞永元年(1232)、善念によってに創立されたそうです。天正14年(1586)に、江戸氏が再興したそうです。しかし、その数年後の天正18年(1590)には佐竹氏によって水戸城は攻め落とされて、江戸氏の水戸支配は終わります。写真は善重寺本堂です。

江戸氏の遺跡(3)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする