日本一周川下り

カヌーで全国一級河川を中心に川下りをした旅日記。
日本一周の楽しいやり方等、カヌーとは無関係に楽しめるでしょう。

 同 【2003年 9月21日】

2006-12-16 06:54:07 | Weblog

《くわどり湯ったり村で整理》

 千曲川から、また新潟県へ戻り、「関川」へ行ったが、まだ、打ち込みが大分溜まっている。地図を見ると「くわどり湯ったり村」と、言うのが見えた。これはキットゆったりできるとナビを合わせた。指示通りに走る、何だか山奥へ、それも細い道、ますます山奥へ、道も細く、樹木に覆われ昼なお暗い道を通る。「中ノ俣」と言うところも通り過ぎる。山を越え、谷を渡り、三つくらい越えたようだ。少し下り気味になり、人の気配が感じられる様な所へたどり着き、少し広い道へ出て、家も見え出し、ナビの距離もなくなってきた。『やれやれ、何とか近づいたようだけど、それにしても遠くを回らされたものだし、ナビはえらい道を指示したものだなぁ。アッ、見えた、やっと着いた!』立派な建物、何と大きなバスが来ている。『こんな大きなバスが来れるんだったら、別の大きな、便利な道があったはず、ナビさんよろしくたのんまっせ!』

 「くわどり湯ったり村」だが、ホテルと合体していて、いわばホテルの空き時間を大衆に利用してもらおう、と言う算段。良いアイディアだ。
 入り口には、産直品が並べられている。昨日、野菜は買ったばかりだから、必要なものは余り無いのだが、無農薬だと言われるので、きゅうり5本で¥200と、栗ご飯¥400を注文、後で受け取りに来ますとキープしておいて貰った。
 湯から上がって、休憩室へ、この時はまだ客も少なく、テーブルを独り占めだったが、段々客も増え、二組のご夫婦が、『空いてますか?』 『どうぞ!どうぞ!』彼らは沢山の食べ物を持ち込んで、今日一日を楽しく過ごそうとやってこられたようだ。

 この日は雨と日曜日が重なって、稲刈りが出来ないのでと、ここへの来村者が非常に多く、暫くすると、全ての休憩室は満杯で、廊下にまであふれていた。
 同机の4人さん、先ずきゅうりの漬物を、『どうぞ!』と、出してくださり、『枝豆もどうぞ!今年は日照りが悪く、綺麗でないし、美味しくないけど、食べなさいよ!』と。 『ご馳走様、あっ、美味しい。これすんごく、美味しいよ!』 『いつもはもっと美味しいんだけどね、今年は駄目だよ!もっとお食べ!』と、山盛りにしてくださった。『どちらからおいでですか?』と私、『この裏の山奥、中ノ俣!』 『私もその道通って来ました。「中ノ俣」って書いてありましたよ。』 『その近くだ!』 『で、あんたはどこから来てる?この辺の人じゃないな!』 『分りますか?』 『言葉が違う、関西かな?』 『そう、福山です。』 『福山?そりゃどこだね?』 『広島県』 『えっ、広島?前に行ったことがあるけど、原爆の広島かね?遠くから、ようこそ!』 『はい、今、カヌーで川下りしながら、日本を一周している所なんです。』 『日本一周かね?そりゃ-好い!どれくらいになる?』 『家を出てから、百日余りです。まだ、一ヶ月は帰れません。』 『家族は心配するだろうに…。』 『幸か不幸か、今は一人身です。』 『それで出来るんだ。』 『いくらかそれもあるでしょうけど、やる気さえあれば、誰でもできますよ、日本一周すると言うことはすごく楽しくて、素晴らしいことです。これが終わったら、又、何かテーマを考えて、もう一度、やろうと、考えているんですよ。』 『そうかね、そんなに楽しいかね?』 『えぇ、その地その地であなた方のように、色々な人と話が出来る、これが非常に楽しいのですよ。』 『寂しくないかね?』 『全然!むしろ一人が気楽で、楽しいですよ。』 『そんなもんかね?』そんな話の中、りんごが出る、ナッツ類が出る。すっかりご馳走になりました。

 昼食に、入り口で買った「栗ご飯」。実は、私の誕生日は10月、子供の頃、姉や兄達は普通の赤飯だったが、私の時は必ず栗ご飯、中3の時は、おふくろが入院中で、丁度、手術日と重なり、私はオトンボ(兄弟の一番下)なので、最後になるかも知れないから病院へ行けと言われ、行くと親父が栗の皮を剥いてくれていた。チョッピリ感傷ものでした。大人になってから誕生日は祝いたくなかったので、栗ご飯長く食べたことなかったが、久しぶりに口にすることが出来た。すごく、美味しかった。やっぱり無農薬食品はうまい、安心!食べ物は安全第一なのだから…。
 4人がレストランでの昼食から帰られて、また、暫く話をしてて、『そうだ、名前や住所をお聞きしとこう。』と、言われたので、名刺をお渡しし、彼らのそれもお聞きした、「笠野」さんと「小沢」さん義兄弟だった、帰ったら、お手紙しよう。

 夕刻になり、彼らも帰られ、私も寝所を探さなければと、退村。道々、探しながら、ゆっくり走っていると、前から来た車から、手が高々と上がって、停止を促(うなが)している。止まると、何と入り口売店のおねえちゃま。『あなたの住所など聞いとけば良かった!』と、 『では、名刺を!』と、差出し、『あなたは?』 『山口!』 『じゃぁ、お隣さんだ。私は広島県だから…。』 『あっ、そうですね!』 『テント張れるとこ、この辺にありますかね~?』 『そこら中にあるよ!どこへテント張っても、誰も、何も言わないよ!』 『ありがとう。お元気でね。』と、別れ、そこから少し走った所で、旧道で、現在使われていない道があり、そこへテントを張った。草がフカフカ、今夜も寝心地良いぞ!

《湯ったり村の旧道泊》

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 同 【2003年 9月20日】

2006-12-15 06:42:25 | Weblog
《千曲川:信濃川》

番号 河川名 全長(km) スタート地 ゴール地 難易度
備 考
35 千曲川:信濃川 367(内約18) 立ケ花橋 中央橋 少難 岸辺の景観も中々に美しいい

 千曲川は予定にはいれていなかったのだけれど、割と近くまで来ていたし、天下の信濃川が魚野川一本ではちっと寂しい,その上かの有名な千曲川、やはり素通りでは悔いを残す『一丁やるか!』の気分で、長野県へシフトした。
 「旅本」での情報があったので、下見もそこそこに、上陸地の飯山市「中央橋」カヌーポートへ自転車を置いておき、上流の「立ケ花橋」右岸で出発準備中、所沢ナンバーの東氏(仮名)『私達も、下りたいのだけど、車はどこへ置かれるんですか?』 『私はここへ置こうかなと思ってるんですけれど…』。彼はすたすた先へ歩いて行かれ、『皆さん、対岸に置かれてるようです。』と、情報を仕入れてきてくださった。私はそこで準備が出来ていたので、車だけ対岸へ回し、約70段の急階段の真ん中のスロープを滑らせて下まで降ろし、浮かべることにした。彼らご夫婦は、『まだ、カヌ-、始めたばかりなのよ、今夜は車ここへ置いておいて、ゴール地へホテルの車が迎えに来てくれることになっているの!』と、豪勢な旅だ。私とは雲泥の差。
 1031:「立ケ花橋」スタート。対岸に声を掛けたが聞こえなかった様だし、聞こえていても、木の陰だし、彼らはファルトなので、組み立てに少し時間が掛かってるようだ。
 すぐにセグロセキレイとキセキレイがデイトでもしてるように、一緒の行動を取っていた。これも今まで見たことの無い鳥の仕草。暫く、一緒に飛んでいたが、話がうまく行かなかったと見え、別れ別れになった。それとも、喧嘩してたのかも知れないけれど…。
 久しぶりのカワセミ、それも15m程の距離、木に止まっていたが、こちらの姿に気がついて、逃げた。その逃げたときに見せてくれる綺麗なブルーやグリーンの羽根がやはり美しい。それにしても、ヤマセミの姿がやはり見えない。近くで、はっきりと見てみたいものだ。絶対数が少ないのだから、余計に見ることは難しい鳥。それだけに、幻的存在となっているのがヤマセミだ。

 この川も小さい鮎の飛跳ねが良く見れる。鮎の釣り師には今年はどこの川も不良で、不機嫌な顔をしているけれど、飛び跳ねているのだから、居るには居るのだ。鬼怒川の仁田さんのように、沢山釣ってる人もおられると言うことは、腕かもしれない。今年は気温が低いから深みにいるそうなので、やはり浅い瀬で釣ってるのだから、釣り価も悪いのではないだろうか?
 この「立ケ花橋」と「中央橋」の間は、主に4つの瀬が問題になる川だが、今日は水量が豊富なので、1番瀬、2番瀬は全く問題なく通過、3番瀬は少し冒険心が湧き、右側の要注意水路へ入り、岩があちこち顔を出しているので、右に左にとかわし、忙しいパドリングを楽しんだし、4番瀬は一番強烈な波に突っ込み、しっかり、スピード感とスリルを楽しんだ。この様に、この間は雄々しいところがあるので「父の部」と呼ばれ、中央橋から下の「湯滝橋」辺りまでを「母の部」と呼んでいるようだ。
 東氏らは初心者と言ってたけど、結構きつい流れだけど、大丈夫かな?とチョッピリ心配する。
 「中央橋」が見え、カヌーポートに
 1213:着。ここのカヌーポート非常に良いものが作られていて、間伐材を横に並べ斜めに水に入り込ませている。雁木式も良いがもっとこちらが良いと感じた。
立派なカヌーポート
飯山市の川下りスタート地
 飯山市では、この地から、下の「湯竜橋」までをカヌー川下りの場にし、毎年大会を開いているそうだ。ご立派!
 自転車で帰る時、昼を食べようと「喜多方ラーメン」なる看板、私は余りラーメンは食べない方なので、かの有名な喜多方は未だに食したことがなかったので、ドアを開けた。
 ラーメン530円、平日は「半ご飯サービス」となっていたが、今日は土曜日残念と思いながら、半ご飯を別に注文。喜多方はあっさりした醤油ラーメンで、福山の「自由軒」と似た味、これはいけると安心した。
 東氏たちのことがやはり気になり、車も早く取って帰らないとと、そそくさと食事を済ませ、お勘定『530円!』と店主。『半ご飯、いただきましたよ~!』 『平日並みにいたしました。』 『えっ、それはありがとうございます。美味しかった上に、サービスしていただいて、御馳走様でした。』と、退店した。初の喜多方ラーメン、私の頭にきちんと残った店となった。

 今日の距離は約18kmと結構あり、自転車でも2時間近く上るのだが、途中、川が見えると、前後をずっと見るが、東さん達の姿は見えなかった。
 大分戻った所で、家と木の間に、チラッと赤いカヤックが見えた。後戻りして、見ると1O数人のグループカヌーが下っていた。その中に二人乗りのカヤック、前に男性、後ろに女性、色も濃いブルー、キット東さんたちだろう。出発前に多くのカヌーが来たので、一緒に下ろうと、時間を合わせたのだろう。今の時間で、この辺りだと、明るい内に、予定の中央橋へは着かないだろう。それまでに私は帰っておいて、お迎えできたらうれしいからと先を急いだ。

 車に乗って帰る途中、喜多方の店の前にあった「産直 野菜・果物」の店で大量の仕入れ、これで当分野菜は大丈夫だぞ!レジ袋に入れようとされたので、『袋要りません、車までだから、貰ってもごみになるだけ、2度に運んでも、問題ない距離ですからね~。』 『ありがとう。ここまで言われる人初めてだわ!』 『だって、袋貰うと、お宅は袋代損。私はごみとして捨てる手間が損。捨てれば、役所は回収費と焼却費が損、税金の無駄とダイオキシンまで発生させ、住民の健康被害等などと大損。袋もらっても利益は全く無いのですからね!』 『そう言われて見れば、その通りですね。』 『でしょう。もう一つ言わせて貰えるならば、わずかつづだが、お店が儲かれば、良い品をより安く売れる。そうしたら、今度は客が儲かる。お店は無駄な出費・間違ったサービスをしないようにして欲しいですね~。』お店の人、顔を見合わせて、目を丸くしていた。
 帰着、カヌーを片付け、ポートの近くへテントを張り、一夜の準備。車で帰る途中から、降りだした雨、止んでたけどまた降りだし、暗くもなり、彼らは結局、ここまで下りてこれなかったようだ。キット、途中で、上がったのだろう。
《飯山市中央橋泊》

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 同 【2003年 9月19日】

2006-12-13 07:13:04 | Weblog
《移動と「ミオンながさと」で整理》

 朝、出発準備をしている時、マラソンの鍛錬をしているお方が話しかけて来られた。
 車の後ろを見られて、『日本一周ですか?楽しそうですね。』 『おはようございます。ハイ、毎日が楽しい事ばかりです。まだ、半分を少し超えた位で、一周はまだまだ、先ですが。今年は10月中頃までで、後の九州・四国は来年です。』
 彼は40年以上、毎朝、マラソンの鍛錬をしているので、すでに地球一周くらい走っていると言われる。『医者に払う金があったら、体を鍛えた方が、得だもんね。』 『そうですよね、私も同感ですし、私は風邪を30年以上引いたことがありません。でも、肋膜やったり、喉頭癌は体験していますけど…。』 『失礼ですけど、幾つになられるんですか?』 『まだまだ、若いですよ。63ですから、』 『私は67です。』 『え~、見えませんね、さすが、身体を鍛えておられるだけはありますね~。』やはり鍛錬されているだけあって、67才には絶対に見えない、姿勢が良い、若々しさを、気分を十分に感じさせておられるお人だ。『今は東京に住んでいますけど、私が子供の頃は、うなぎや鮎、鮭など色々な魚がいっぱい居て、毎日が楽しく、学校から帰るのに川流れ(ボディーラフティング)で帰ったものです。歩くより早く帰れたんですからね。夜、仕掛けておけば、朝は大きなうなぎが掛かってて、晩のご馳走になったものです。今は水は少ないし、魚は居ません。コンクリートで塗り固めてしまい、魚が住めなくなり、産卵ができなくなりました。』 『そうですよね、今の子供たちにそんな素晴らしい体験をさせてあげられないことになってしまいましたね。』 『川の流れも変わった。』と嘆かれた。

 川下りをしていて、感じることは、川の中に上流から流されてきたテトラポットが沢山、放置されていること、これは川を埋め、狭く、小さくし、急流を造り、カヌーにとっては、危険な代物に変身しているのだ。美観も非常に悪い。人間が自然を相手に戦いを挑んでも勝てっこない、やればやるほど、負の遺産ばかり残している。国交省は考え直していただきたいものだ!
 鵡川でお会いした頭首工管理人さんの話にもあったけれど、作ったときはキチンと出来て、綺麗で、役に立っているけど、大雨が降るたびにテトラなんて、朝飯前で流されてしまうのだから…。尤も、最近はテトラ同士をチェインで結んでいるのが見えるけど、それでも、絶対に自然が強いに違いない。

 強烈な魚野、綺麗な魚野を終え、次の関川へ向おう。が、暫く整理が出来ていないのと風呂も入っていないので、関川までの途中に、「ミオンなかさと」の温泉があったので、それらをしよう。
 ミオンの風呂にゆっくりつかり、ここの野天風呂でお会いした人も、『昔は魚が豊富だったが、今は水が少なくなり、魚が住めなくなってしまった。困ったことだよ。』と、話され、『昔はなまずが沢山取れて、「なまず料理」がこの辺の郷土料理だったが、今はここでは全く取れない。輸入品です。』と、嘆かれた。
 結局、夕方ぎりぎりまで、打ち込み、夜は、「ミオン」の人に教えてもらい、すぐ裏側の川原へ,テントを張った。草地は良い所がなかったけれど、川原の広い通路上だけど、細かい粒の小石地があり、ここを泊地に決めた。この小石地は非常に気持ちが良く、具合が良かった。
 テントを張る場所で、気をつけないといけないことに、「犬ぐそ」がある、最近はほとんどの人が持ち帰りや穴を掘って埋めるなどで、割ときちんと始末するようになったけど、以前は垂れ流し状態で、うっかりして、そんな上にテントを張ろうものなら、その瞬間から、大変なことになる。また、水はけの悪い所も要注意だ。
《ミオンなかさと裏の川原泊》

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 同 【2003年 9月18日】

2006-12-12 05:38:29 | Weblog
《魚野川:信濃川》

番号 河川名 全長(km) スタート地 ゴール地 難易度
備  考
35 魚野川:信濃川支流 367(内約27) 板戸橋 宇賀地橋 中難 八海橋の瀬は超難下見と回避を

 夕べの美味しいおでん、心地良い虫の声、晴れ渡った星空、ぐっすり休んで、早朝、起き出し、下見に出発。2箇所のサケ漁の仕掛けは上流側が丁度ショベルカーが入って工事中、下はまだ手付かず、『ありがたい、これなら楽に通れる!』これも日頃の行いが良い性だろう。
 赤い色の「八色大橋」の下、結構きつい瀬、突っ込みラインを左側と確認しておく。
 「浦佐のヤナ」中州の向こう半分は見えないけれど、「2段にわたって落差のある瀬、力強いパドリングで一気に漕ぎ抜きたい」と、「旅本」に教えてくれているので、そうするより無いだろう。

 「八海橋の瀬」到着、「なっ、何?これ!こいつは大変だ!これは酷い!とんでもないで~!」「消波ブロック」がびっしり並びその間を水が流れている絶対に通れない所、左端の橋脚間には、大量の水が集まり、ごうごうと流れ、その右側の出口はブロックが並び水はそのブロックを飛び越えて大きく落ち込んで白波を大きく立てており、左側には大きくテトラのヘッドが出ていて、それに水がぶっつかって大きく飛び散っている。その左側のブロックとの間は狭く、流れはきつい。その間、6,7m幅だ。じっくりと検討!
テトラの頭がずらり、こんな所へ入り込んだら大変だぞ~
上が最悪のsd瀬、超強烈だ
これが超強烈・最悪の瀬
 「こいつは少々じゃ無いぞ。どうにもならんかな?エスケープするか?通るとすれば、先ずは、左岸側しかない。左寄りの一番強烈に水がぶっつかっているテトラヘッドと右端のブロックとの間の所へ突っ込めば、行けるだろう!一本出てるのは木の枝のようだが、それほど太くは無いので、当たっても、問題にはならないだろう。じゃあ、それにはどのコースから入れば良いか!上流の地形と水の流れを見る。流れは強烈だ、中洲側から入り、ターンして、右側に入り、枝の左側へ抜ければ、最高にOKだ。さて、うまく行くだろうか?まあ、やって見なければ分らない。カヌーは痛んでもシャーナイ、修理すれば良い。横流れさえしなければ、沈することはないだろう。ここまで来て、エスケープするのもシャクだ!」

 1052:「坂戸橋」をスタート。水が綺麗だ、すごく綺麗だ。熊野川まではいかないけれど、実に清冽だ。天の川以来の綺麗な水。流れは早い、瀬は次々と現れ、忙しい。中々楽しい。これは良い川だ。でも、「八海橋の瀬」までは絶対に気が抜けないぞ!イメージを浮かべながら、あそこに近しい状態の瀬があるとイメージし、練習を兼ね、その時必要なテクニックをやって見る。
 段々、近づいてくる。出発から1時間過ぎた、もう近いぞ~!
 さあ、頑張るぞ。意気も高揚してくる。不安も高まる。『やるっきゃない!』八海橋が見えた。

 さあ、来たぞ~!イメージ通り、進む、流れが速まった、GO!と、「一漕き」だが、言うこと聞いてくれない、流れの力が余りに大きすぎ一気に右側の最もヤバイ方へ持っていかれた、ヤバイと思った、その一瞬後、飛び出しているテトラヘッド目掛けてまっしぐら「ガツーン」バウ真正面がぶっつかった。『やった~!』と、その一瞬の後に、左へ寄り、狭い所をするりと抜け、下へ飛び落ち込んだ。スターンへ水がどっと流れ込んだ。必死で前進!まだ、大きく波立っている所を進んでいる。でも、もう大丈夫。『やったなー、水は入ってこない。OKだ!それにしてもすごい力だ。まだまだ駄目だな!スピードも遅れている。それにしても、よくぞ、半分に割れなかったものだな~、さすがFRP、強い。修理は出来るから、なんともない。大丈夫、大丈夫だ!』さあ、次だ!
 ここは綺麗な水なので、キット鮎も美味しいのだろ、釣り師はたくさんいる。『いかがですか~?』顔を横に振る。今年は雨が多く、水温も上がらず、小振りで数も少ないそうだ。どこの川も同じだ。

 タバコに火をつけた釣り師に、『こんにちは、吸殻、川へ捨てないで下さいね!』と、お願いする。「何?」と言った顔をしたので『タバコは毒だから鮎が死にま~す。』と、言っておいた。釣り師の半分がタバコを吸い、釣れないから余計にタバコに火をつける。必ず川へ吐き捨てる。それだけ多くの吸殻が川に投げ捨てられていると言う計算になる。道ならば、捨てられた吸殻がそこに残り、見えるけど、川は即流れて行き、見えなくなるので、自分の罪に意識が全くない。釣り師もマナーの悪い人が多いが、喫煙者はもっと悪い、その両方を兼ね備えた、喫煙者の釣り師となると二重に悪いことになる。漁業組合が釣り券を発行するときに、灰皿持参しない喫煙者には発行しないことにしていただきたいし、マナーを身につけるように注意してもらうように、役所からも注意してもらう必要がありそうだ。

 次は、「浦佐のヤナ」だ。中州を左に取り、近づいてきた、音も大きく聞こえる。立ち上がって見るが見えない。やはり落差が大きいからだ。良さそうな所へ先ずは突っ込む、見込み通り、一段目はOK、二段目もすぐだ、そのまま一気に行った。腹をこする音はしたが大したことじゃない。OK無事通過。
 瀬は次々と現れ、楽しい、忙しい川だ。
 「八色大橋」の下は予定通り、左側へ突入、一気に通り過ぎた。
 「福山橋」の下を通過、ヤナ工事中のショベルカーを出来るだけ離れて、通過しておいた。

 小出町を過ぎたところの瀬、「増水時にかなり波が高くなる」と「旅本」にある、近づいたが見るとそれほどでもない、瀬に入り込んで楽しく、下って、下って、下って行くと段々波が大きくなり、本当に大きな波、横向きになろうとする愛艇を波に直角にするように、また、谷へパドルを入れないように、確実に山をパドリング、これも中々きつい流れで、力いっぱいに漕いでやらねば負ける、大きな長い波に入り、バウが跳ね上がった。すごく高く跳ね上がった。近くにいた釣り師もびっくりしたのではないだろうか?すぐ次の波にバシ~ンと落ち込んで波に乗り安定、下りきった。『イヤー、上から見た時はそれほどでないと思ったけど、下りたら、本当にすごい波だったなぁ。旅本の通りだ。』
水は中々綺麗だった
 「堀の内のヤナ」はさほど問題なく、左岸の階段状の堰を一気に通り過ぎた。
 1522:「宇賀地橋」へ到着。27kmを4時間30分の激烈な戦いが無事終了。
それにしても、魚野はすごく綺麗な川だし、
 超強烈な川だった。一生忘れることのない川だ。
 自転車では2時間27分もかかるほどの長い長い距離を実に楽しく、エキサイティングの連続の川、魚野だった。
《魚野川宇賀地橋泊》

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 同 【2003年 9月17日】

2006-12-11 07:23:49 | Weblog
《阿賀野川》

番号 河川名 全長(km) スタート地 ゴール地 難易度
備   考
24 阿賀野川 210(内約10) 発電所 道の駅「阿賀の里」  易 ダム間なので、比較的水量もあり、景観を楽しめる

 高田橋の290号線側を南下、途中、7号線に合流し、新発田市でまた、290号線に入り、阿賀野川へ近づき、道の駅「阿賀の里」へ行く。何と、ここが「阿賀野川ライン舟下り」のゴール地点。川面を見ると、雁木風になっていて、舟下りの舟以外にも舟をつけるところはいっぱいある。よ~し、ここへ上がろう。キ・メ・タ!
 だが、不思議なことが有る。どうして、「阿賀野川ライン舟下り」なの?と、聞きたい。「ライン」は「ライン川」を下るから「ライン下り」なのだが、阿賀野川を舟下りするのだから、「阿賀野川舟下り」でないとおかしい筈だが、阿賀野川とラインと二つの川の名が重なっている。変なの?!それもドイツ語の片かな。他所の川でも単に「ライン下り」となっている所がある。日本の「ライン」ってどこだ?と、日本国中の川を探さなければならない。ここのように、阿賀野川と付いていればまだ「阿賀野川」流域だと分るのだが・・・。
 昔から、「日本人の物まね上手」と、言われる筈だ。でも何だか真似の仕方が間違っているぞ~!

 出発地を求めて、上流へ。先ずは、舟下りの出発地へ行くと、丁度、高校生の団体が出発する準備中。川面へ降りてみるが。カヌーを下ろすのは少し難しい。それとよそ様の敷地を通ることになるので、やはり躊躇(ちゅうちょ)する気分があり、別を探すことにした。
 そこから500mほど上流に、発電所があり、その変電所に向ってやはり立派な道がついている。下っていくと小さな(失礼!)村落があり、若いお母さんが子供と遊んでいた、中々の美形、お聞きすると『この道を右へ曲がって行くと階段があり、それを降りると川面へ行かれます。もう一つは、変電所の方から下りて行って、釣りをしている人がよく降りているから、そこも下りれる筈です。私は行った事無いけど…。』

 すぐさま、階段の方へ行ってみるが、長らく人が通った形跡も無く、細いし草も両方から襲ってきて歩きにくいので、一寸厳しい。
 では、釣りの方はと行くと、かすかながら、けもの道のようなのがついているけど、草に覆われている。草を掻き分け、掻き分け、行ってみると、岩場に出て、川面へ行けれる。少し距離は有るけど、困難ではない。
草地を分け入り運ぶ
こんな坂を降ろして行く
 よし、スタートはここに決まり。早速、カヌーを降ろし、70mくらい運んでおき、車をゴール地へまわす。途中トンネルがあり、点灯。実は、これが後で問題になった。

 ゴール地の大きな駐車場に車を置き、昼ご飯を木影の涼しい所で食べ、自転車で上流へ。このコースはそれほどきつい瀬は無いので、自転車をカヌーに乗せて帰ることにする。
 1250:スタート、すぐに発電所の吐き出した水が流れ込み、気持ちよい流れを作ってくれる。
発電所を川から見る
 それに乗って、楽チン楽チン。舟下りの出発地の前を過ぎると、可愛い瀬。
 ここ阿賀野川はダムが多く、「阿賀野川ライン舟下り」もダムとダムの間を運行しているのだそうだ。
 ここも、下った舟は強力なエンジンでそのまま川上りして帰る方法を取っている。
 お客さんを乗せた観光舟が私を追い抜いていく、手を振って挨拶、お客様も奇異な目で?またはうらやましそうに?見てくれている。今朝、スタート地へ来たときには、高校生のグループ、バス2台分がお客さん、そして今も・・・。キットその間にも何度も下ったことだろう、結構忙しく、次々とお客さんが舟遊びを楽しんでおられるようだ。川下だりが如何に楽しいかを堪能(たんのう)していただきたい。尤も、自分でやるカヌーの方がもっともっと楽しいのだけどなぁ。

 カヌーと言っても、カナディアンは比較的誰にでもできるカヌーだと、私は思っている。カヤックで、エスキモーロールをしなければならないと言うと、誰にでもできるという代物ではない。私もカヌーに長年乗ってると言ってもカヤックはほとんど乗っていないから、当然ながらエスキモ-ロールなんかできない。チャレンジはしたけどまだできないでいる、その内マスターしよう。
 カナディアンはその点でも非常に楽に、その気さえあれば、誰にでも即できる。そして、より安全なカヌーなのだ。色々な舟の中で、カヌーと言う舟は一番沈しやすい舟。中でも、カヤックは特にバランスが難しく沈しやすい舟。それは楽しみでも有るのだけれど、それだけに、エスキモーロールと言う方法が編み出された訳だが、これは練習が必要だ。最も、カナディアンカヌーでエスキモーロールする方法があり、アメリカでは、上級技術の一つに加えられているのだが…。カヤックでは体を舟の中に滑り込ませているので、沈すると、カヌーの下敷きになるので、エスキモーロールで起き上がるか、ロールができない人は、体を抜け出させなければならない、これが少し難しく、時間も掛かる。が、カナディアンは舟に乗ってるだけだから、もしひっくり返っても、体は舟の下敷きにならないで、顔は水の上に出ているから安全だ。また、ひっくり返ること自体、滅多に無い、カナディアンはオープンデッキなので(カヤックのようにクローズドデッキもあるが)、上から水が入って水舟になることはある。が腰辺りまで水が入ってもまだ沈没しないで浮いているので、漕いで岸につけることもできる。それと、度々あったけど、カヤックは瀬の所から出発するときにポンと飛び乗ることはできないから、スタート地点も制約されるようだ。また、途中で岩などに飛び降りることができないからそんなときにはどうするのだろうか?そんなことでもカナディアンはずっと、便利だし、安全なカヌーだ、と私は愛用している。

 「御前ケ鼻」「米倉石」「コッパ岩」など過ぎると、帰り船が下から上がってくる。ここも左側通行らしく、ぐっと左へ舵を切られた。深いところへ進んだだけなのかもしれないけれど、合わせてこちらは右へ寄り、すれ違う。手を振るとクルーが手を振った。
 深い所でのすれ違いのときに出来る引き波はそれほど大きくはならないのだが、浅瀬のさざ波が立っているような所では、結構大きな引き波になるので、クルーが『波が大きくなるよっ!』と、大きな声で知らせてくれた。船にとって、元来、横波はうれしくない代物、特に、カヌーにとっては横波は大敵、避けるようにしないとヤバイ。川下りでも横流れはヤバイ!小波は大丈夫だけど、中波以上は横転の原因になりやすい。引き波に直角にカヌーを向ける。

 またまた、帰り舟が上って来る。やはり、お客さんは多い様で、この商売、中々流行っているようで結構なことだ。
 この阿賀野川、予想通り、大きな、厳しい瀬は無いけれど、まあまあの瀬がいくつかあり、初心者には持って来いの川下りゲレンデと言えるだろう。
 いつも船がエンジン音をならして通っているので、鳥の姿も非常に少なく、残念ながら、その点が一寸、寂しいし、物足りない部分はあるけれど、舟下りのお客さんと手を振り合ったり、できることも楽しいものの一つだ。
 そんなゆったりした気分で進んでいると、ゴールが近づくが、それはダム湖に入るようになり、流れが無くなる。
 下見の時、上からは気が着かなかったけれど、水辺から見ると、丁度、水面への坂道が見え、予定より、100mほど手前だが、その場所へ付けた。
 1440:着岸。その坂道は車が下りれる幅も十分だ。ありがたい。

 車のエンジンを掛ける。回らない?『あれ?ウンもスンも言わない』もう一度スターター。駄目!ふと見ると、前照灯のスイッチが入っている。『やったー!バッテリーがあがった~、やれ困ったの~。トンネル通った時、消し忘れたんだ。』すぐに引っ張ってもらえるように、バックさせて、車を前向きにしておこうと、一人で車を押してバックさせ、ハンドルを切って、何とか目的通りにできた。と、簡単に書いているけど、少し坂になっているので、力いっぱいバックに押しても、車は前へ進もうとする。それに抗してやるのだから、そうは言っても大変なことだったのだ。

 そのすぐ後に、丁度、ここ「阿賀の里 楽市じぱんぐ」のじいちゃんの軽トラが通りかけたので、お願いし、引っ張ってもらった。今度はロープを切らないようにちゃんと説明し、引っ張っていただき、一発で掛かった。やれやれだ!しっかり充電できるまで、うっかりエンジンを切らないようにしなければならない。
 無事、カヌーも自転車も積み込み、次の魚野川へ向けて出発だ。

 途中、道路端に「大沢清水」「大沢鍾乳洞」等の看板、早速水を汲み、これで当分、大丈夫だ。
 ほとんど目的地へ到着する前に、食事の準備にとスーパーへ寄る。『さて、今夜は寒そうだから、出てから始めてだけど、おでんでも作ろう。』と、材料の仕入れ。近所のおばちゃま『福山から?広島でしょう?!遠くから来てるのね~?』 『え~、良くご存知でしたね。福山が広島県だって?』 『この近くに福山と言う地名があるのでね~。』 『日本一周ですか?今、どれ位になるんですか?』 『家、出てから、100日過ぎましたね。』 『え~、それで、いつ帰られるんですか?』 『もう、一ヶ月くらい先ですね。』 『で、この魚野川へ来られたんですか?』 『そうです、ここが素晴らしい川だと知ったもので、来させていただきましたよ~。』 『魚野川来てくださって、うれしいわー!』お店のご主『何か車が違うと思ったら、そうなんですか?川下りで日本一周されてるんですか?』 『ハイ、そうなんですよ。こうして、各地で色々な人とお話しが出来るのが、この一期一会がすごく楽しいです。それと、各地の食べ物、福山で手に入らないものを見つけた時が嬉しいですよ~。』帰るとき、バックミラーを見ると二人のご夫人が外へ出てじっと見送りしててくださり、手を振ると高く手を上げて大きく振って下さった。

 それから、5分もしない内に、「旅本」に出ていた、堀の内町の「宇賀地橋」へ到着。先ずは、テントの場所確認、上陸地の確認、どちらもOK!早速、テントを張る。おでんを作る。美味しく出来るまでの間、冷奴と大根の千切りでいっぱいやっていると、もう秋の虫の声が始まった。あぁ、もうこんな時節になったのだ。テントのすぐ外で鳴いている、綺麗な可愛い響き。家では絶対に聞くことの出来ない音色、少々「感傷的に・・・!」は、ならないかっ!
 空には星がいっぱい出ている。これも美しい!目が悪いから、残念だがぼんやりとしか見えてないけど…。

 9時頃、体の方は酒が回り半分出来上がっており、おでんも美味しく出来上がった。今日も幸せな一日であった。『ありがとう。』誰に言うともなく、独り言だが、思わず声が出た。
《魚野川宇賀地橋泊》

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