時空人 goo blog「脳トレ宇宙論ー人類の見果てぬ夢」

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霧の玉手箱14(ウイルソンの霧箱)続

2017-05-01 09:50:51 | 数楽絵草紙

未知との遭遇・宇宙線 続

・1937年 宇宙線ミュー粒子の発見 アンダーソン(米,1905-1991,写真左)、ネッダーマイヤー(米,1907-1988,写真右)

 

宇宙からやってくる宇宙線が地球の大気にぶつかると、さまざま高エネルギー粒子が生じる。大気に入る前の宇宙線を 「一次宇宙線」、大気で生じた高エネルギー粒子を「二次宇宙線」と呼ぶ。

光の速さに近い速度で地球に飛び込んだ宇宙線は空気と衝突して核反応を起こす。核反応によって中性子や陽子が空気の原子核からはじき出され、それと同時にミュー粒子などが放出される。

すなわち一次宇宙線の大部分は陽子をはじめとする荷電粒子である。それに対して、二次宇宙線は地上高度では大半がミュー粒子である。

 ミュー粒子の寿命は約50万分の1秒である。その短い時間では光の速度でも600mしか進むことができないので、大気圏上部から地表に達する前に寿命がつきて、地表に宇宙線は達しない。しかし、宇宙線の速度は光の速度に近いので、相対論効果により寿命が延びる。それにより長距離を走ることができ、地表に達することができる。 

(註 WEBによる)

ロバート・ミリカンのもとで宇宙線の軌跡を霧箱で観測中に、1932年に陽電子を発見し、ポール・ディラックの予言した陽電子の存在を証明した。1937年にはセス・ネッダーマイヤー(S.H.Neddermeyer)とともに宇宙線中にミュー粒子を発見した。はじめ、湯川秀樹によって理論的に予言されていた中間子と質量が近いことから、ミュー中間子と考えられたが、それとは違う素粒子であることが分かった。西島和彦マレー・ゲルマンらによる、素粒子の新しい規則性(中野・西島・ゲルマンの法則)などによる解明が必要となった。

1932年の8月2日、ウィルソン・チェンバー内の宇宙線の飛跡を写真に撮るという一連の実験において、下図1の写真が撮られた。