時空人 goo blog「脳トレ宇宙論ー人類の見果てぬ夢」

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コロナオリンピックのジレンマ(Corona-Olympic's Dilemma)

2021-07-22 19:33:06 | 人類・新世界・未知との遭遇

コロナオリンピックのジレンマ

(Corona-Olympic's  Dilemma)

キーワード:ゲーム理論、パレート最適( Paretian optimum)、ナッシュ均衡(Nash equilibrium)

TOKYO2020 オリンピックの開催の議論が未だに喧しい。ここでは極めて単純化したゲーム理論的考察をしたい。

①まず最初に、元になるゲーム理論「囚人のジレンマ」(prisoners' dilemma)について述べる。

相手と協力する方が、協力しない時よりも良い結果になることが頭では分かっていても、協力しない者のほうが利益を得るような状況では、お互いに協力しなくなる、というジレンマを示すゲーム。つまり、全体の利益を優先する「パレート最適」と個人にとって合理的な判断となる「ナッシュ均衡」の社会的矛盾を示す。

・註 「パレート最適」とは、誰も不利益を被ることなく、社会全体の利益が最大化された状態(それ以上利益を出すためには誰かを犠牲にしなければならない状態)のこと。

「ナッシュ均衡」とは、各個人が自己の利益を追求し合理的に選択した結果、自分の選択を変えると利益が得られない状態=互いに現状から変わる必要のない安定した状態を指す。

②オリンピックを開催したい政府及び国際オリンピック委員会 (IOC)と開催反対の医療従事者や多くの国際世論、COVID-19パンデミック特に変異型の感染状況についての二者のゲーム理論として考える。

次のように条件を設定する。

A、B とも中止した場合には、共に自粛2年。 

A,B とも開催した場合には、共に自粛5年。

一人が中止、他方が開催した場合には、開催した方が得をして自粛負担なし(儲ける)、しかし中止た方は損失をまるかぶりして自粛10年。

②このような場合には、A,B共開催することが2人にとって合理的結果になる!

考え方は極めて単純。2人はできる限り自分の自粛期間を短くしたいと考えるが、相手が中止するか開催するか分からない状態で意思決定しなければならない。この時、2人が夫々考えた結果、2人とも同じ結論にたどり着く。それは、開催である。 仮に相手が開催するとしたら、自分は中止すれば負担まる被りで自粛10年であるが、開催すれば自粛5年で済むため、開催する方が得である。また、仮に相手が中止するとしたら、自分は開催すれば自由で負担なしのため、明らかに開催する方が得になる。つまり相手がどう出るかに関わらず「開催する」ことが合理的な判断である。

社会に潜む「ジレンマ」

 この話のポイントは、2人が共に中止すれば自粛2年で済むのに、自らの利益のために行動した結果、2人とも自粛5年というよくない状況に陥ってしまうことである。この話は個人の利益の追求が社会全体の利益につながらず、よくない状況に陥ってしまうことを示す。 現実社会でもジレンマ的な状況が多々ある。環境問題、軍拡競争、スポーツのドーピング問題など。一方で、課徴金減免制度のように、ジレンマの性質をうまく利用して企業の談合を発見する仕組みも存在する。

また、ゲームを無期限に繰り返すことで協力の可能性が生まれる。そのため本来自己の利益を追求する個人の間で、どれだけ協力が可能となるかという社会科学の基本問題となっている。さらに経済学、政治学、社会学、社会心理学、倫理学、哲学などの幅広い分野で研究されているほか、自然科学である生物学においても生物の協力行動を説明するモデルとして活発に研究されている


33. 遊学・共生・休息

2021-06-11 17:08:55 | 人類・新世界・未知との遭遇

人生の三象限ー遊学・共生・休息

・人生は「遊び、学び」、「社会を作り、舫い生きる」、そして「止まって休む」旅である、旅は人生である。

・人は自由に どのように考えてもいいのです。

   そして 人間社会において 生きることです。

  

 

『 ふるさとは あの山なみの 雪のかがやく 』『 生死の中 雪ふりしきる 』山頭火

人生は遊び、学び、伝え合う旅である

白秋斎 宮崎 茂

http://mmm.c.ooco.jp/ (このURLに移動して閲覧可)

 

『 ほろほろ ほろびゆく わたくしの秋 』 山頭火

 

『 どうしようも ないわたしが 歩いている 』 山頭火

『 ついてくる 犬よおまへも 宿なしか 』 山頭火

『 まっすぐな道で さみしい 』 山頭火

・時は過ぎ 空は広がり 人はいずこへ    大可


32. 東洋と西洋

2021-06-10 15:22:52 | 人類・新世界・未知との遭遇

東洋と西洋における認識について

西洋においてはいわゆる「全知全能の神 Almighty and omnipotent god」が根源的な出発点である。そして全知全能という認識は人間由来である。これに対して、東洋の根源的認識は「人知を超えるもの Something great」の存在である。

 

■西洋と東洋における自然理解について. 一自然観のパラダイム転換へ向けて-. カーレン・グロイ. 石田三千雄訳.(抜粋)

(以下訳者あとがきより)

グロイ教授は本講演で、現在自然科学のパラダイムに疑いがもたれ、危機に瀕していることをま指摘する。環境破壊などは西洋の機械論的パラダイムの帰結である。教授は西洋のパラダイムと東洋のパラダイムを対比させ、一方の考え方に他方の考え方を取り入れることによって一方の考え方の欠陥が除去されたり、和らげられたりするのかどうか、また一方のパラダイムが他方のパラダイムによっ
て置き換えられるのかどうか、という問題提起をする。

教授は西洋のパラダイムの特徴として

1. 観-客観」関係、

2. 分析的-総合的方法を含む機械論的性格、

3. 実験、

4. I主人-奴隷」関係挙げ、

これに対して東洋のパラダイムとして 

1.一切の生きとし生けるものの統一、

2. 有機性と類比的方法(アナロジー)、

3. 無為の原理、

4. 不害(アヒンサー)の原理を挙げている。

この両パラダイムの相違は、基本的には機械論的世界観と有機的世界観との相違である。自然を加工や支配の対象とせず、畏敬や尊敬の念をもって自然に接する東洋のパラダイムに教授は共感を示しているように思われる。しかし、教授は西洋のパラダイムに東洋のパラダイムを部分的に取り入れることで今日の危機的状況は乗り越えられないと述べる。全体的な見方の転回としての「自然に対する倫理的な革命」がいまや要請されているが、今日まだ誰もそれに対して用意ができていないと教授は締めくくっている。

グロイ教授が東洋のパラダイムの中で挙げている「不害J(アヒンサー)は、すべての生類に対する不殺生、非暴力、愛情、同情を意味する口それは「傷っけない」ということであり、生きとし生けるものに愛情をもって接するということである。これはインドの全宗教を貫く基本的倫理徳目の一であり、仏教・ジャイナ教・バラモン教ともに五戒の第一に挙げており、特にジャイナ教はこれを厳
格に守ることで知られ、解脱の手段と見なしている。ガンジーの非暴力主義もアヒンサーの実践と見なすことができる。アヒンサーはわれわれ東洋人が今日ともすれば忘れがちになっている生きとし生けるものに対する愛情という倫理的態度を思い起こしてくれるであろう。

■砂田 利一(明治大学総合数理学部)、「数学の発展と展望」、WEB(抜粋)

この論文は,幾何学の歴史を「宇宙をいかに記述するか」という観点からの解説したものである.その執筆中,幾何学のみならず,数学という学問に携わった人々について考えることが多々あった.たとえば,数学者を取り巻く環境と数学研究の間の関係についてである.すなわち,彼らの生きた時代と場所がどのように数学と個々の数学者に影響したのかということである.

1  国民性,民族性と数学
2  無限の概念
3  神学と宇宙観

4  展望
数学の将来を語る場合,人工知能(AI)と数学の関係は無視できない話題である.既にAI はプロの碁と将棋の棋士を打ち負かし,さらに人間のみが関われると考えられていた分野へAI が進出する勢いは加速しつつある.数学も例外ではない.とは言え,人工知能がどこまで発展し,数学研究に影響するのかは,実際には予測不可能と言うのが正直な思いである.無理をすると,「何でもあり」,「言いたい放題」の予測ということになりかねない.

確かなことは,4 色問題やケプラー予想の解決に援用されたように,問題解決におけるコンピュータの使用は増えていくだろうし,中でもシミュレーションでは増々大きな力を発揮するだろう.

しかし,例えば100 年後の未来はどうなっているか.特にAI の学習機能が進歩し,機械に知能とよべるものが備わったとき,数学者はそれとどのように付き合っていくべきなのか.SFの映画,例えば「2001 年宇宙の旅」,「アイ,ロボット」,「A.I.」のような映画に登場する人工知能は「問いかけ」を自由に行うが,それが近未来に起きうることなのか,あるいは永遠に起きないのか.


現時点では,「問と答」という人間と機械とのやりとりを考えたとき,問いかけは人間の得意技であり,答えるのは機械のほうが断然勝っている.すなわち,問いかけのためには,問題意識を持つ必要があり,問題意識は経験や外的影響,さらにはセンス,場合によっては美意識に深く関係している.AI は美意識を持つことができるのだろうか


AI に関連する問題がある.我々は何故ここにいるのか,何故宇宙を知りその調和を語ることができるのか.宇宙は何故「知性」あるいはその根源にある「意識」というものを生み出したのか.「自由意志」(もしそのようなものがあるとすればだが)は,宇宙の物理法則とはどのような関係があるのか.AI は自由意志を持ちうるのか。自由意志の問題も,宇宙の構造問題と同じく神学に深く関係し,その歴史は古い.アウグスティヌス(354{430)は,人間の罪を例として,自由意志と神の予知を両立させようと試み,『哲学の慰め』を著したボエティウス(480 頃ー524)は,全知全能の神の存在と人間の自由意志の存在を適合させるため,神は万物の知識を無時間かつ即時に手に入れるのであって,時間の流れの中で生きる人間が自由意志があると意識するのと矛盾はしないと主張する. しかし現在でも,自由意志に関係する決定論,非決定論の正否には決着がついていない.
ドイツの生理学者エミール・デュボア・レーモン(1818-1896)が言うように,例え宇宙のすべての法則を知りえたとしても,この疑問に答えられる者はいないのかもしれない。 宇宙は有限か無限かについても答えられないし,AI がどこまで発展するのか,自由意志が実際にあるのかどうかにも答えられない.

・・・(宇宙の神秘に魅せられると,)・・・  アインシュタインの言葉である「人間の運命や行為を司る神は信じないが,すべての存在の調和に顕われるスピノザの神(宇宙的宗教感情)は信じる」という言明はなるほどと思うようになる.しかし,これはあくまでも個人的感情であって,知性ある何ものかによって生命や宇宙が設計されたとする説であるインテリジェント・デザインやサムシング・グレート(インテリジェント・デザインの日本版)のような,似非科学的学問の押しつけとは異なる。・・・

スピノザの考える「神」とは URL:https://textview.jp/post/culture/35494 参照

スピノザの哲学の出発点にあるのは「汎神論」「神は無限である」という考え方です。

「汎神論」とは、森羅万象あらゆるものが神であるという考え方です。日本では「八百万(やおよろず)の神」のような、多神教的な自然崇拝のイメージが馴染み深いと思いますが、スピノザの「汎神論」では神はただ一つです。

例えば私たち人間は有限です。空間的には身体という限界を持っていますし、時間的には寿命という限界を持っています。

神は絶対的な存在であるはずです。ならば、神が無限でないはずがない。そして神が無限ならば、神には外部がないのだから、すべては神の中にあるということになります。これが「汎神論」と呼ばれるスピノザ哲学の根本部分にある考え方です。

■レーモンに対するヒルベルトの反応と反論

レーモン: Ignorabimus 「吾等は知らないであろう。」

ヒルベルト:我々は知るであろう」

ヒルベルトの墓碑(Wir mussen wissen ? wir werden wissen)


31. 宇宙・数学・AI

2021-06-05 15:09:40 | 人類・新世界・未知との遭遇

宇宙・数学・AIー数学はどこからきたのか、数学とは何か、数学はどこへ行くのか

 ピタゴラス(ラテン語: Pythagoras、英: Pythagoras、紀元前582年 - 紀元前496年)、古代ギリシアの数学者、哲学者。

■数学(Mathematics)とは

数・量・図形などに関する学問である。 
数学は、一般に形式科学に分類され、自然科学とははっきり区別される。方法論の如何によらず最終的には、数学としての成果は自然科学のように実験や観察によるものではない。 
現代における数学の研究は「岩波数学辞典」によると以下の分野がある。:
部門名
I 数学基礎論,数理論理学
II 集合,位相
III 代数学
IV 整数論
V 群と表現論
VI 代数幾何学
VII 幾何学
VIII 微分幾何学
IX 位相幾何学
X 解析学
XI 複素解析学
XII 関数解析学
XIII 微分方程式
XIV 特殊関数
XV 数値解析
XVI 応用解析
XVII 確率論
XVIII 統計数学
XIX 離散数学,組合せ論
XX 情報科学における数学
XXI 最適化理論
XXII 力学,物理学
XXIII 数学史


■中島啓(京都大学大学院理学研究科)、「数学と物理学の絡み合い」、大阪大学理学部「理学への招待」WEB記事、2006 年7 月7 日 (抜粋)

歴史的な理由
・物理は, 数学を用いて記述される.
・一方, 数学は物理に動機付けされて発展する.
現在の理由
・日常から離れているため(e.g. 弦, ブラックホール,ビックバン),実験ではチェックできないので, 数学的な論理の整合性のみが理論の正しさを保証する

・論理の整合性だけでは面白いことが見付けられない.
・物理的な直観が, しばしば面白い数学的な理論を作る.
数学の厳密性
数学は, 普遍的にどこでも正しい。正しいことは常に正しい.(昔の理論が否定されることがない.)
数学は実験で見る必要がない. 実験できないことでも, 数学は記述する力を持っている.
数学は, 直観とは関係ない. 日常とはかけ離れた世界でも, 記述可能である.
したがって, 極小の世界(e.g. 弦) でも, 宇宙でも, ブラックホールでも, 数学にさえなれば, どこでも正しい理論が作れる.

論理だけでは, 意味があることができない. 面白いことが見付けられない.
・新しい理論・定理を見付けるのには, 論理だけでは不十分. 直観が必要
物理的な直観が新しいことを見付けるのにしばしば役に立つ. (歴史的にもそうである.)
特に現在では
・数学的に厳密な裏付けのない場の量子論に基づいて, 豊かな数学が生み出されてきた.

物理的な直観
場の量子論の特徴
・無限個の自由度を持つ. (無限個の粒子を取り扱う.)
・無限次元の幾何を,(数学的な裏付けのある)有限次元の幾何のように取り扱う.
・場の量子論は数学的に厳密な正当化はなされていない. (e.g. ファインマンの経路積分)にもかかわらず, 20 世紀後半から場の理論は大成功をおさめてきた.

数学への侵略(さまざまな予想)
・数学的な不変量を, 物理的な観測量として定義し, その性質を調べる.
・ミラー対称性
・弦理論の研究からリーマン面の幾何学へ. (すべてのリーマン面を同時に考え調べる。
・さらに数論の世界へ(双対性からラングランズ予想を導く)
粒子の生成・消滅をすべて調べる

モジュライ空間(沢山のものを集めて,その全体に幾何学的な構造を入れた空間)
弦理論では,すべてのリーマン面を同時に取り扱うから,モジュライ空間の幾何学と自然に結び付く.
量子力学では, 粒子の全ての経路について考える必要がある. (ファインマンの経路積分)
すべての経路の全体のなす空間(=path space) が重要になる.
場の量子論では, すべての場の全体のなすモジュライ空間が大切になる.

 

■外園康智、宇宙が先か数が先か、数理の窓、WEB記事 2020-2-26 (抜粋)

宇宙の全ての現象をただ一つの数式で表すことは理論物理学の最大の目的である。しかし幸運にその一つの数式を見つけたとして、次になぜその数式であり、別のものではないのかと問われたら、答えに詰まるだろう。今でも相対性理論や量子力学の数式の中に、いくつかの基本手数があるが、なぜその数値なのかは説明できない。
物理法則は数学の構造の分(数)だけあって、その構造に支配された宇宙が論理的に存在すると考えるのが数学的宇宙仮説である。素粒子物理学における物質の最小単位はクォークや超ひもをもとにしているが、どんな実在を仮定しても最終的には電荷、色荷、スピン及び質量など数的特徴以外は残らない。宇宙の外的存在は数学しかなく、宇宙が先か数が先かの議論は数が先だが答えである。

■砂田 利一(明治大学)、数学の発展と展望、WEB記事、2017-2-9(抜粋)

数学の将来を語る場合,人工知能(AI)と数学の関係は無視できない。既にAI はプロの碁と将棋の棋士を打ち負かし,さらに人間のみが関われると考えられていた分野へAI が進出する勢いは加速しつつある.

人工知能がどこまで発展し,数学研究に影響するのかは,予測不可能と思われる。無理にいうと,「何でもあり」、「言いたい放題」の予測ということになりかねない.

確かなことは,問題解決におけるコンピュータの使用は増えていくだろうし,中でもシミュレーションでは増々大きな力を発揮するだろう.

しかし,100 年後の未来はどうなっているか.AI の学習機能が進歩し,機械に知能と呼べるものが備わったとき,数学者はどのように付き合っていくべきなのか。

SF映画,「2001 年宇宙の旅」,「アイ,ロボット」,「A.I.」のような映画に登場する人工知能は「問いかけ」を自由に行うが,それが近未来に起きうることなのか,あるいは永遠に起きないのか.

現時点では,「問と答」という人間と機械とのやりとりを考えたとき,問いかけは人間の得意技であり,答えるのは機械のほうが断然勝っている.すなわち,問いかけのためには,問題意識を持つ必要があり,問題意識は経験や外的影響,さらにセンス,美意識に深く関係している.AI は美意識を持つことができるか。

さらに宇宙の問題がある.我々は何故ここにいるのか,何故宇宙を知り、その調和を語ることができるのか.宇宙は何故「知性」あるいはその根源にある「意識」というものを生み出したのか.自由意志」(もしそのようなものがあるとすれば)は,宇宙の物理法則とはどのような関係があるのか.AI は自由意志を持ちうるのか。

自由意志の問題も,宇宙の構造問題と同じく神学に深く関係し,その歴史は古い. しかし現在でも,自由意志に関係する決定論,非決定論の正否には決着がついていない.

ドイツの生理学者エミール・デュボア・レーモン(1818-1896、78歳没)が言うように,例え宇宙のすべての法則を知りえたとしても,この疑問に答えられる者はいないのかもしれない。宇宙は有限か無限かについても答えられないし,AI がどこまで発展するのか,自由意志が実際にあるのかどうかにも答えられない.

 (Emil Heinrich Du Bois-Reymond)以下Wikipedia から引用
■「我々は知らない、知ることはないだろう」ラテン語: Ignoramus et ignorabimus, イグノラムス・イグノラビムス)は、人間の認識の限界を主
張したラテン語の標語。 
19世紀末、ベルリン大学教授の生理学者エミール・デュ・ボア=レーモンによって、「ある種の科学上の問題について、人間はその答えを永遠に知りえないだろう」という意味で使用された。レーモンの主張は、当時のドイツ語圏において「イグノラビムス論争」と呼ばれる議論を引き起こした。 

1880年の講演『宇宙の七つの謎』において、デュ・ボア=レーモンは科学には大きい7つの謎があるとした。それら7つの謎のうちの4つ(※印)は、単に現時点において謎であるだけでなく、永久に解決不可能な問題であろうとした。 
1.物質と力の本性(※解決不可能)
2.運動の起源(※解決不可能)
3.生命の起源
4.自然の合目的的性質・効率的性質
5.単純な感覚的性質の起源・意識の起源(※解決不可能)
6.理性の起源、言語の起源
7.自由意志(※解決不可能)

■これに応じて、数学者ダフィット・ヒルベルトは「我々は知らねばならない、我々は知るであろう」 と応じた。

 ダーヴィット・ヒルベルト(David Hilbert)、 1862年1月23日 - 1943年2月14日 81歳没、ドイツの数学者。「現代数学の父」と呼ばれる。

1930年、ダフィット・ヒルベルトは、ケーニヒスベルクで行われた講演『自然認識と論理』において、デュ・ボア=レーモンの言葉を批判的に参照しつつ次のように述べた。 
我々[数学者]にイグノラビムス[不可知]はない、また私が思うに、自然科学にもイグノラビムスはない。馬鹿げたイグノラビムスに対し、我々のスローガンはこうなるだろう。「我々は知らねばならない、我々は知るであろう」(Wir müssen wissen — wir werden wissen)。このように講演を締めくくった後で、ヒルベルトは声を上げて笑ったと伝えられている。
 ヒルベルトの墓碑:「我々は知らねばならない、我々は知るであろう」

 


30  物理学は宇宙の法則である

2021-06-03 20:45:11 | 人類・新世界・未知との遭遇

夏目漱石、俳号は愚陀仏、1867年2月9日〈慶応3年1月5日〉 - 1916年〈大正5年〉12月9日、49歳没

最近、表題に関連して、風刺画のような面白いWEB記事(タイトル:中秋の鼎談)があったので、コピペしてその概要を紹介する。ただし読みやすく文体を変えてある。

1  物理学は宇宙の法則である

 理論物理は、アインシュタインをまつまでもなく、人間の頭脳だけでやれるもので、「人間の頭脳自体が宇宙である」という認識が基礎になっている。
夏目漱石流の禅問答のようなもので,「世界でどこがいちばん広いか」といわれて、「頭の中だ」と

2 物理学は、数学で記述される
 「科学は物理学か、さもなければ『切手収集』のようなものだ」とラザフォー
ドが言ったとか。 ちょっとセンセーショナルな言い方だ。物理以外からみれば、バカにするなと炎上しそうな言明だ。

しかし、物理法則は数学で表わされる背景があることは否定できない。ただし、ラザフォード自身は、数学はあまりできなかった。どちらかというとファラデーに近かい、根っからの実験物理学者である。直感で原子核を予測して、実証するために、強引かつ物凄い腕力を発揮した。組織力もあった。

ともかく、物理が数学で書かれている。しかし、物理というのは”自分で考える”学問である。その他の科学は「数式で表現できない」、つまり、生命現象などは数式で記述できるほど、単純ではない!

3 生命科学= 地球法則である
 少なくとも、現在までのところはという注釈付きである。また地球外生命体は存在するか? ということは、誰でも関心がある。残念ながら「否」であろうというのが、ジャック・モノー教授などの主張のようだ(註: 偶然と必然)。

現在までに到達した物理法則、すなわち『ニュートンの体系』と異なる体系は存在するか? ということが、! 物理学者の究極の夢である。

生命現象を支える物理法則は, 『熱力学である』。
熱力学第2法則:不可逆過程:例1: 熱は低温から高温のほうへは自動的に流れない。例2:生命体は必ず死ぬ。

私が生命科学を志向したきっかけは、 シュレーディンガーの名著「生命とはなにか」を読んだことで、晴天の霹靂のごとく突如目を開かされた感じであった。もちろん、すでにDNA を根幹とする分子生物学は、確立して、30年以上経っていたが、物理学者が核酸の存在を予言したという事実に衝撃を受けた。


生命学者の夢といえる究極の目的は、『人口生命』の合成、つまり人口細胞の構成である(生命体=細胞の集合体)。 

原子核の理論は物理の研究として面白みやスリルがない。原子核という対象は、陽子と中性子が核力という扱いにくいものが結合しているだけで、とくに特徴がない。しかし、多体問題自体は、超伝導のBCS 理論という壮麗な理論があって、場の理論の手法がふんだんに使われている感じである。

私は人にアドバイスするほど、たいしたことをやっているわけではないが、若くはないので、それなりの苔がついているので、ある程度のことは言える。

まず、20年数年研究生活を送ってきて実感したことは物理の世界は厳しいところで、いくら研究論文を書いてもつまらないものは認められない。それゆえ、易しいものは魅力がない。
しかし、どれがいい仕事で、どれが、だめな仕事かを判断するのが、最近とくに難しくなってきた。物理の前線が, 非常に複雑になってきたことが原因だ。かつての量子重力理論とか統一場理論などがその典型である。
理論物理は思索を要する学問といったが、それは、あくまでも実証的裏付けがとれるとの見込みのもとにやっているわけである

宇宙論とか、統一場理論とかというのは、若い人や素人科学者を誑かす要素があるので、そういう意味で新興宗教といったほうがよいかも知れない。
若い人に忠告しておきたいのは、物理学の理論は 難解である。
 もちろん、研究というのは悪戦苦闘の連続である。物理の研究は、結局、ある予想をたててそれを論証していくわけだが、ほとんどの場合、その予想がはずれて落胆するわけだ。しかし、このような落胆を何度も経験しなければ成長しない。苦しいところは我慢しなければならない。大体、ラクして旨い話なんてそんなにあるわけはない。
総じて、日本人の研究は独自のものが(独創的とまでいわなくても)非常に少ない。今でも外国の偉い人が言い出した理論を真似ているというのが現状だ。

 日本の生命学者を弁護するつもりはないが、世界的にみても傑出した研究者がでてこなくなった。人材不足は、どの世界でも一緒なのではないかと。しかし、理論物理もそうだと思うが、生命科学でもというのは、やはり時代を率いるヒーローがいて進歩するというところもあるその筆頭は, いうまでもなく、DNA のワトソンークリックであろう。そういう人物がいないというのはある意味で不幸だ。

政治でも、非常にリーダーシップをとれるのがいると、それに従えるわけであるが、いまの日本の政治家などは小売り業者の集まりにすぎない。ものをつくることができない。そういう意味では、今の若い人は、逆にいえば、チャンスである。


理論物理の最前線

 天才ディラックは、死ぬまで「繰り込みの考え」を忌み嫌っていた。彼の独創性と相容れない全く醜悪な理論とけなした。皮肉なことに、繰り込みの考え自体は、ディラック本人が最初に言い出した。まあ、彼に匹敵する天才が出てくるまで、待つ必要がある。
 超伝導BCS理論のひとつの解釈で、対称性の自発的破れというのは、これまた分からない。対称性のやぶれの考え方は、生命発生の類似があるという感触はある
それから、重力波の検証も、ヒッグスと対をなす「発見」であろう。
量子コンピュータについて、ある意味では、フォン・ノイマンの電子計算機も量子コンピュータである。電子という「量子」を使うから。

非常に辛辣な言い方だが、量子コンピュータなるものをやっている研究者というのは、量子力学の根本を理解していないのではないかということである。量子力学の原理である「重ね合わせの原理」を冒涜するようなことをやっている? つまり、標準的な物理学者が理解不能なな独特の隠語を発明して、延々と仲間内で議論し合うという構図である。

ともかく、誰か(ファインマンか誰かが)が面白がって、ちょっとアイデアを出したものを(理論物理で食い詰めた)計算機に詳しい学者が、もっともらしく
コンピュータ用語を使って、仕様書を作ったのだな。まともな思考の物理学者がこんなものを考えるわけがない。

物理現象がないのに、量子力学の波動関数(量子状態)の『足し算と引き算』だけでなにかをしようというのだから。物理をまったくやったことがない、つまり力学の初歩すらできない連中が平然とやるのである。
なんでも、グーグルとかアマゾンが、スポンサーになって、研究を推し進
めているが、彼らは情報提供だけをやっていればいいので、『マガイモノの販売』などに手を貸してはいけない?
ボロクソな発言だが、これが現在の科学の危ない兆候を表現しているのかもしれない。

4 物理学と生命科学
これに関しては、決定的に重要なことがある。それはシュレーディンガーの、「生命とは何か」という書物である。
もちろん、シュレーディンガーは彼の名前がついた、「波動方程式」でもって、量子力学の創始者の一人として、物理学史に不朽の名前を残しているが、それは、ほとんどマグレで、彼自身がそれを発見したときそれほど重要な業績であると認識していなかったいうのが真相らしい。「生命とはなにか」という本のほうが、はるかに重要な業績であると思われている。

再生医療というのは、本物か?
iPS 細胞というのは、夢のようだ! それができれば、抜けた歯がもとどおりに再生する(インプラントはいらない)。潰れた目玉が再生する。さらに言えば、脳をリセットできる。ついに, 『人間は死ななくなる』ということだ。

科学社会の病理
昔、オックスフォード大学を訪問したとき、女子大の弁論会というものに出席した。そのとき、セミの担当者が、なにをトチ狂ったのか、「量子力学の観測問題について」というテーマを出して、学生に発表させるという企画をやった。女子学生風情がなにをやるのだと訝っていると、教授が、にやにや笑いながら、「まあ、これは座興のようなものだ、だって、大学院生でもない女子学生ごときに量子力学の何たるかなんて理解の範囲ではない」。要するに、担当者が、調べてきて発表させたと女子学生どもに、テーマを与えた。彼女らにとっては、量子力学でも、資本論でも区別がつかない。猫も、豚も、象も区別がつくわけがない。しかし、こういう試みも必要かもしれません。われわれ専門家は、どうしても、物理学を問題解決の手段と考えてしまうという「愚」を犯しているもかもしれない。世の中の99・9パーセントは、物理学とか数学とは無縁の文系人間である。ということは、文系的理解という捉え方をするという観点が重要になるのではないか。