コロナオリンピックのジレンマ
(Corona-Olympic's Dilemma)
キーワード:ゲーム理論、パレート最適( Paretian optimum)、ナッシュ均衡(Nash equilibrium)
・TOKYO2020 オリンピックの開催の議論が未だに喧しい。ここでは極めて単純化したゲーム理論的考察をしたい。
①まず最初に、元になるゲーム理論「囚人のジレンマ」(prisoners' dilemma)について述べる。
相手と協力する方が、協力しない時よりも良い結果になることが頭では分かっていても、協力しない者のほうが利益を得るような状況では、お互いに協力しなくなる、というジレンマを示すゲーム。つまり、全体の利益を優先する「パレート最適」と個人にとって合理的な判断となる「ナッシュ均衡」の社会的矛盾を示す。
・註 「パレート最適」とは、誰も不利益を被ることなく、社会全体の利益が最大化された状態(それ以上利益を出すためには誰かを犠牲にしなければならない状態)のこと。
「ナッシュ均衡」とは、各個人が自己の利益を追求し合理的に選択した結果、自分の選択を変えると利益が得られない状態=互いに現状から変わる必要のない安定した状態を指す。
②オリンピックを開催したい政府及び国際オリンピック委員会 (IOC)と開催反対の医療従事者や多くの国際世論、COVID-19パンデミック特に変異型の感染状況についての二者のゲーム理論として考える。
次のように条件を設定する。
A、B とも中止した場合には、共に自粛2年。
A,B とも開催した場合には、共に自粛5年。
一人が中止、他方が開催した場合には、開催した方が得をして自粛負担なし(儲ける)、しかし中止た方は損失をまるかぶりして自粛10年。
②このような場合には、A,B共開催することが2人にとって合理的結果になる!
考え方は極めて単純。2人はできる限り自分の自粛期間を短くしたいと考えるが、相手が中止するか開催するか分からない状態で意思決定しなければならない。この時、2人が夫々考えた結果、2人とも同じ結論にたどり着く。それは、開催である。 仮に相手が開催するとしたら、自分は中止すれば負担まる被りで自粛10年であるが、開催すれば自粛5年で済むため、開催する方が得である。また、仮に相手が中止するとしたら、自分は開催すれば自由で負担なしのため、明らかに開催する方が得になる。つまり相手がどう出るかに関わらず「開催する」ことが合理的な判断である。
③社会に潜む「ジレンマ」
この話のポイントは、2人が共に中止すれば自粛2年で済むのに、自らの利益のために行動した結果、2人とも自粛5年というよくない状況に陥ってしまうことである。この話は個人の利益の追求が社会全体の利益につながらず、よくない状況に陥ってしまうことを示す。 現実社会でもジレンマ的な状況が多々ある。環境問題、軍拡競争、スポーツのドーピング問題など。一方で、課徴金減免制度のように、ジレンマの性質をうまく利用して企業の談合を発見する仕組みも存在する。
また、ゲームを無期限に繰り返すことで協力の可能性が生まれる。そのため本来自己の利益を追求する個人の間で、どれだけ協力が可能となるかという社会科学の基本問題となっている。さらに経済学、政治学、社会学、社会心理学、倫理学、哲学などの幅広い分野で研究されているほか、自然科学である生物学においても生物の協力行動を説明するモデルとして活発に研究されている
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