時空人 goo blog「脳トレ宇宙論ー人類の見果てぬ夢」

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霧の玉手箱13(ウイルソンの霧箱)

2017-04-30 09:29:21 | 数楽絵草紙

未知との遭遇・宇宙線

宇宙のあらゆる方向から高エネルギー粒子が地球に降りそそいでいる。それは放射線の一種で宇宙線といわれている。宇宙線の大部分は陽子であり、α粒子やさらに重い原子核も含まれている。

宇宙線は20世紀の初め頃、電離箱(検電器の一種)の電荷が徐々に放電していく原因の究明の過程でその存在が明らかになってきた。V.ヘス(1883-1964,写真)は、気球を用いた放射線の計測実験を1911から1912年に行い、地球外から飛来する放射線を発見した。この業績により、彼は1936年ノーベル物理学賞を受賞している。

また1927年、スコベルツィン(ソ連)は初めて霧箱を使用して宇宙線の観測を行った。この観測は霧箱に磁場をかけた状態で行われたが、撮影された宇宙線の飛跡はほぼ真っ直ぐであった。そのため、宇宙線は磁場に影響されないだけの高いエネルギーを持っていることが明らかになった。

さらに1929年には、飛跡が霧箱中の1点からシャワーのように分散する現象、宇宙線(空気)シャワーを観測した。

宇宙線の起源については、殆ど大部分は銀河系内で起きた超新星爆発によって生じた銀河宇宙線である。その外に太陽のフレア(爆発的なエネルギー放出)による太陽宇宙線がある。

すなわち、宇宙線は主に銀河系でおきた超新星爆発の爆風のなごりである。というのは宇宙線の殆ど光速に近い加速には激しい爆発現象が必要になるが、太陽系の中にはそこまで激しい現象は見つかっていないからである。

宇宙線は非常に高いエネルギーを持っていて大気に突入すると、多くの粒子を作る。それらがパイ中間子であり、またその崩壊したミュー粒子であり、電子であり、V 粒子である。


霧の玉手箱12(ウイルソンの霧箱)

2017-04-29 13:28:42 | 数楽絵草紙

霧箱の学術寄与

 

1.ラザフォードは 「霧箱は科学史上最も独創的かつ驚嘆すべき機械である」 と言った。

霧箱の写真によって、多くの原子核の実験や新現象の発見の証拠が得られた 。

下図:文献数の推移:WEB 放射線教育 2000 VOL4、No.1より引用

 

 

今後「誰か」が霧箱で新しい発見をするかもしれないし、その「誰か」とはあ なたなのかもしれない。

 

2.恩賜賞 第13回(大正12年5月27日):放射線に関する研究 理学博士 木下 季吉

 (帝国学士院)第14回(大正13年6月8日)大阪毎日新聞、東京日日新聞、寄附東宮御成婚記念賞 :

        放射線の研究に使用する膨張器の研究  清水 武雄


霧の玉手箱11(ウイルソンの霧箱)

2017-04-28 10:51:53 | 数楽絵草紙

1934年 人工放射能の発見、ジョリオ・キュリー夫妻[仏]

フレデリック・ジョリオは最初、マリー・キュリーが発見した元素ポロニウムの極めて強い放射線源の作成と霧箱を作成した。ジョリオ・キュリー夫妻2人はこの試料を使って様々な実験に取り組んで、1932年、アルミニウムポロニウムのα線を照射して放射性のリンを発見した。1934年1月、引き続きアルミニウムの薄片にα粒子を衝突させる実験において、α粒子の発生源を取り去った後でも、引き続きガイガーカウンターが反応することを発見した。初めての人工放射能を作りだした。1935年、2人はノーベル化学賞を受賞した。

・1934年 中間子理論、湯川秀樹

・1938年 ウランの核分裂反応の発見 ハーン、マイトナー(独)

・1942年 核分裂連鎖反応の持続、フェルミ(伊)

・1947年 π中間子の存在、パウエル(英)

宇宙線による電子と陽電子のシャワー(ブラケット、オキャリーニ)→ 

 


霧の玉手箱10(ウイルソンの霧箱)

2017-04-27 19:37:59 | 数楽絵草紙

奇跡の1932年、中性子・陽電子・重水素の発見・新しい核物理学

・1932年 中性子の発見、チャドウィック[英,1891-1974,写真]、

・1932年 霧箱の改良と中性子の飛跡を確証、ブラケット(英,1897-1974,写真下)

ラザフォードの研究室において、1920年から自動で圧縮・膨張を繰り返す霧箱の開発が清水武雄によって始められた。それを引き継いだブラケットの手により1922年に完成された。この霧箱はピストンが自動的に上下し、15秒に1枚の間隔で写真を撮影することができた。さらに1931年、ジュセッペ・オキャリーニは計数管を使用して霧箱を自動で膨張させる装置を開発し、ブラケットと共同で実験を行った。

 

14)Shimizu,T.A Reciprocating Expansion Apparatus for Detecting Ionising Rays,Proc. Royal Soc. London Ser.A99,425-431 (1921)

ブラケットはこの霧箱を使って、窒素原子にα線がぶつかる様子を撮影した。撮影した写真は23000枚にのぼった。そしてそのうちの8枚に、入射したα線の他に、1本の細く長い線と、1本の短く太い線の飛跡が写っていた。細く長い線は陽子と推定されたため、この反応はα粒子が窒素原子に衝突して、窒素原子中の陽子をはじき飛ばした様子をとらえたものだと判断できた。しかも、はじき返されたα線の飛跡が見えなかったため、このα粒子は窒素原子と結合したと推定できた。この現象は、ラザフォードが1917年に発表した理論と一致するものであった。

 1948年、ブラケットは「ウィルソンの霧箱による原子核物理学および宇宙線の分野における発見」によりノーベル物理学賞を受賞した。

・1932年 新粒子-陽電子の発見、アンダーソン(米、1905-1991)

アンダーソンは1930(昭和5)年頃からミリカンの指導のもとで霧箱を使って宇宙線の研究を始めた。

霧箱中で観測された宇宙線の中の陽電子の写真。中央の横長の物体は鉛板。この鉛板を貫通するように陽電子の細い飛跡が見える。曲率の違いにより、この粒子は写真の下から上方向へと進んだことが分かる。粒子の曲がり方が電子と逆なので、この粒子は正の電荷を持っていることが明らかになった。

1932年、アンダーソンは、磁場中で霧箱の観測をしていると、電子と同じ質量で反対の向きに曲がる飛跡を発見した。これはポール・ディラックが予言していた陽電子を立証するものであった。実はブラケットやジョリオ・キュリー夫妻もそれより前に霧箱に写っていた中性子や陽電子を観察したが発見を見逃してしまった。

ディラックは翌1933年にノーベル賞を受賞し、アンダーソンも1936年にノーベル賞を受賞した。さらにアンダーソンは1935年、電子と陽子の中間の曲がり方をする飛跡を発見した。陽子の質量は電子の1800倍であるが、この粒子は電子の200倍の質量であった。この粒子は発見当初、湯川秀樹が予言した中間子であると考えられていたが、その後μ粒子(ミューオン)と判明した。

・1932年 重水素の分離、ユーリー(米)

・1933年 β崩壊の理論、フェルミ(伊)


霧の玉手箱9

2017-04-26 09:43:46 | 数楽絵草紙

ラジウムとの遭遇―世紀の大発見・放射能

・1898年 ウランの放射能発見に興味をもったピエール、マリー・キュリー夫妻(仏、写真))は、ウラン鉱の中から高い放射能を持つ新しい元素ポロニウム(Po)、ラジウム(Ra)を発見した。

・1898年 アルファ線とベータ線の発見 ラザフォード[英]

・1900年 ガンマ線の発見 P.V.ヴィラール[仏]

・1904年 原子模型の理論 長岡半太郎(写真 1865-1950)

・1908年 ガイガー計数管の発明、ラザフォード[英]、ガイガー(独)

・1908年 アルファ粒子がヘリウム核であることを実証 ラザフォード[英]、ロイズ(米)

・1909年 油滴法による電子電荷の精密測定 ミリカン(米)

・1909年 原子核の存在 ラザフォード[英]

・1911-1914年、第1次世界大戦。マリー・キュリー、X線・ラジウム治療に従事する。

 

マリー・キュリー(1867-1934) 科学が人生最高の喜び。彼女が生きた時代では、科学の研究が出来る環境を手に入れるために乗り越えるべき障壁がいくつもありました。それでも彼女は他人の目には苦労満載と映ったかもしれない人生を自分の一番好きなことが出来る喜びに嬉々として幸福な日々を生きてきたと思われる。

名言:好きなことを仕事にすれば一生働くなくて済む

・1919年 原子核の人工変換の発見、ラザフォード[英]