時空人 goo blog「脳トレ宇宙論ー人類の見果てぬ夢」

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脳トレ宇宙論 Coffee Time 漆黒の闇(再)

2020-07-18 11:41:12 | 脳トレ宇宙論

脳トレ宇宙論 Coffee Time 漆黒の闇(再)

 

WEB記事に心理学者の河合隼雄さんの話が紹介されていた。

 「夜、闇の中、漁船が行き先を見失う。船員が必死に灯りをつけるが方向が見えない。その時老練の漁師が言う。「灯りを消せ」。真っ暗になる。闇に慣れてくると、遠くにボーと町の灯りが浮かぶ。明るさの中で見えなくなり、闇の中で見えてくるものがある。」

 私たちはともすれば、常に光の中にあろうとし、また自らの手に灯りを持ち、行く道を照らし出そうとする。しかし、その光ゆえに、手にする灯りゆえに、見えなくしていることがありはしないか。灯りを消せ! 闇のなかに遠く微かな灯りが浮かぶ。自分へ集中する目が転じられる。

自分を離れたところから此方を照らす光があることに気づく。自分を中心点として描く世界が転ぜられて、その光の照らす世界の中に私が見出される。悩みがもし闇だとしても、その闇の中でこそ見えてくるものがある。自らに光を喪失して、はじめて気づく灯りがある。


WEB「いままで宇宙ステーションに守られていたんだな」ひとりぼっちで宇宙に出た時に感じたこと

足下には地球だけがあった――船外活動で宇宙飛行士・星出彰彦さんが目にした「漆黒の闇」

4か月間の滞在でも全く飽きなかった“ISSから見る地球”

「実は私は初めて宇宙に行く前は、飛行士の誰もが『地球が美しい』と言っているのを聞いても、それはそうだよな、と思うだけだったんです」と、彼は振り返る。

地球の美しさは地上にいても想像できる。正直に言ってそう思っていました。だから、私自身は宇宙に行ったら、地球よりも星を眺めたいと考えていた。それなのに実際にISSから地球を見ていると、本当に目が離せなくなってしまったんです。宇宙ステーションは90分で地球を一周するわけですが、山や海や都市、夜明けや昼や夜と景色が刻一刻と変化していく。それは時間があればいつまででも見ていたいと思わせる美しさで、4か月間の滞在でも全く飽きませんでした。もし仕事ではなく旅行者として宇宙に行ったら、私はずっと窓にへばりついていると思います」

 だが、EVAを行なうためにISSの外に出て、何も遮るもののない状態で地球や宇宙を見たとき、彼の胸に生じたのはさらに別の感情だった。

 その光景はISS内からのものとはどのように違うものだったか。

「いま自分は宇宙全体を肌で感じているんだ」船内との感覚の違い

「もう、何て言うんですかね。船外で何も目の前に遮るものがない状態で宇宙空間にいたときの感覚は、やはり船内にいたときとはぜんぜん違いました。目の前には地球と宇宙しかない。宇宙の闇の深さ、それに対する昼間の地球の青さ。その世界を宇宙服のバイザーを一枚隔てただけの肉眼で見ていると、息を飲むとはこういうことなのかと感じました。

 足下に見えた地球を含めて、いま自分は宇宙全体を肌で感じているんだ、という気がしたんです。あのとき、私の耳には他の宇宙飛行士と地上のチームが交信している声が聞こえていました。仕事の緊張感はもちろんあって、次の作業のことは頭の片隅にありました。でも、ロボットアームが作業場所に着くまでには、まだ少し時間がかかると分かっていました。

 何かを考えて、次のアクションを起こす必要がなかったので、『いまこの瞬間だけはこの時間を独り占めしたい』という気持ちになったものです。とにかく自分だけの時間として、その景色を見ていたい。目の前にあるこの景色を、とにかく集中して吸収させてほしい、と思ったんです。だから、その数分のあいだは、どうか誰も俺に話しかけないでくれ、と念じながら、ただただ地球と宇宙の闇に対峙していました」

宇宙に出て行くこと、そして、人類が宇宙に住むこと

 彼にとってEVAでの「数分間」は、自らの人生にとっての大きなハイライトの一つとなった。

「宇宙に出て行くこと、そして、人類が宇宙に住むことによって生み出されるのは、無限の可能性なのではないかと私は思っています」と、彼は言った。

「いまは一握りの宇宙飛行士だけの世界ですが、多くの人が宇宙に出て行くようになったとき、新しい産業だけではなく、新しい文化や思想が生まれてくるのではないか。それらは地球から遠くに行けば行くほど新しくなり、また、人類はそうすることを求めているんじゃないか……。

 宇宙ステーションの外に出たとき、目の前に広がる宇宙の底のない闇に、私は畏怖を感じました。同時に、この地球があってこそ、初めて僕たちはより遠くに行けるんだな、と確かに思った。例えば宇宙ステーションにある空気も水も、結局は地上から持ってきたものであるわけです。

 地上からのサポートなしに、人は宇宙では暮らせない。地球という存在がなかったら、私たちはこの真っ暗な宇宙で生きてはいけない。そういう状態に長く身を置いてみると、『自分は地球に生かされているんだ』というこれまでの漠然とした感覚に、確かな説得力が出てきたと感じています」


宇宙:そこは漆黒の闇なる神秘の空間なり

Q:宇宙から帰還した宇宙飛行士の人達が、「月や宇宙で神を感じた」ということを言いますが、あれは真に神を感じているのでしょうか。

A:地球も宇宙であるのだが、我々の実感としては、やはり地球外ということになる。その空間は実に不可思議である。その漆黒の闇は透明である。そして、深い静けさに満たされている。

私の瞑想は、昔からこの宇宙空間のものが多い。それは四半世紀前宇宙からの映像が地上に流される以前から、私の視覚に捉えられるものであった。実に心落ちつく所である。時空を超えた空間存在である。

多くの飛行士が宇宙空間で神を感じるのは、決して仏教的深遠な哲理を把握するということではなく、もっと単純な感性としての神ということである。その限りにおいて、彼らは、確かに神を体感しているのである。
それは丁度、大自然の雄大さを眼前にして、心洗われ、神想観を抱くが如きものである。その延長に存在する体験である。


・漆黒の闇の中の善光寺お戒壇巡り(WEB)

信州長野にある善光寺の本堂の床下には、一筋の光も入ることのない暗闇の中を巡る回廊がある。
回廊の中ほどにあるご本尊の下にかかる極楽の錠前に触れば、極楽浄土が約束されるとか。

本堂の奥の瑠璃壇には、御本尊・一光三尊阿弥陀如来様をお祀りしてある。

内々陣の奥にある入り口から七段の急な階段を降りていくと、本堂の床下をロの字型に巡る回廊がある。ここからがお戒壇巡り。

気のせいかひやっとした冷気さえも流れてきて、少し背筋も寒くなる。地下に降りると灯り一つなく木の廊下が闇に消えく。

ここからは経験したことがないほどの真っ暗闇である、右壁に錠前があるとのことで、右壁を伝い上下くまなく触りながら歩くが、やたらつるつるした壁と廊下が手と足から感じられる。

歩く人の声が聞こえると少し安心する、しんと静まり返ると恐怖感が高まり、時折ガチャガチャと錠前の音が回廊に響きビックリしながらも、幾つかの角を曲りやっと小さな極楽の錠前に触れることができた。入り口からここまでの距離も時間さえもわからなくなるくらいの不思議な空間。
これで、秘伝の御本尊様と結縁することができたということ。


氣を抜けば、暗闇からは戻れない・戒壇巡りを体験(WEB)

石川県にある俱利迦羅不動寺(くりからふどうじ)の西之坊鳳凰殿。俱利迦羅不動寺は、インドの高僧である善無畏三蔵法師によって、およそ1300年前に開かれた古刹寺院です。

俱利迦羅不動寺の戒壇巡りは、本尊の真下となる、お堂の地下回廊を巡ります。 暗闇の地下回廊を、右壁に巡らされたお数珠にそって進み、“如意宝珠(水晶の珠)”に触れ、願いや祈りをささげて、ふたたび暗闇の中を歩いて地上に戻ります。如意宝珠に触れることでお不動様とのご縁が深まり、願い事が叶うと言われています。 また、暗闇なので見ることはできませんが、地下の回廊の左壁一面には、たくさんの仏像が鎮座しており、戒壇巡りをする者の心身を浄め、護ってくれるのだそう。

「戒壇巡りでご注意頂きたいことがあります。御本尊様の胎内(お堂の地下)に入ったら、右側の壁に巡らされているお数珠からは絶対に手を離さないでください。お数珠から一度手を離してしまうと、闇の中で左右・前後ろが分からず、こちらに戻って来られなくなってしまいますので・・・」

と、お寺の方から説明を受けたときには、戒壇巡りの入り口が、異界の入り口に思えてきました・・・。

塗香(塗るお香)で両手を浄め、小さな水晶玉を渡された後、戒壇巡りが始まります。

漆黒の闇の中で感じること

実際に戒壇巡りを体験してみると、日常生活では意識が及ばないような気づきがありました。

漆黒の闇の中、頼りは肌にあたるお数珠の感覚だけ。視覚が機能していないため、一歩一歩がとてもゆっくり。日常では感じることのなかった暗闇への恐怖心もあいまって、如意宝珠までの距離がとても長く思えます。
5分もない戒壇巡りでしたが、地上にたどり着いたときは、ほっとしました。

「光があり、見える」ということが心に与える安心感。己の中に眠る得体の知れない恐怖心。余計なものが視界に入らないため、“今この時”に湧き出る感情や意識だけに集中し、精神の旅をしているかのように感じました。 非日常な漆黒の空間だからこそ自分の内面と向き合えた、新鮮な体験でした。


「星取県」の異名、名実ともに 鳥取県が星空予報でPR
矢田文 2020年7月8日 朝日
 「星取県」を名乗る鳥取県は、民間気象会社「日本気象」(大阪市)と連携し、県内の夜空の星の見えやすさを配信する「星空予報」を始めた。
星空予報では、雲の量などからその日の午後8時時点の星の見えやすさを「星空指数」として5段階で評価。県内19市町村の翌々日までの各星空指数と、天気や気温、月齢などを毎日、ウェブ上に掲載する。
星空予報は、星取県ウェブサイトのトップページhttps://www.hoshitori.com/から閲覧できる。

 

暗闇・漆黒

漢字の「暗」、そして「闇」に<音>が使われているのは何故だろう。辞典によれば、<音>は<陰>と発音も同じで「くらい」という意味。「暗」<日+音>は「(曇りのために日の光が射さないから)くらい」、また、「闇」<門+音>も「(入口を閉めて暗くするから)やみ」を表わす。和語の「くらい」は、「クレル(暮れる)、クラシ(暮らし)」と同根の言葉。日暮れになると暗くなるからだ。また「やみ」は、「ヤム(〈光が〉止む)」が起源という。異説もある。

「漆黒(しっこく)の闇」という表現がある。「漆黒」は「漆(うるし)のように黒く光沢のあること」が本来の意味で、「漆黒の髪」は「艶やかな黒髪、カラスの濡れ羽色のような髪」という褒(ほ)め言葉だったが、茶髪の現代では廃語に近い。一寸先も見えないような暗闇を意味する「漆黒の闇」も、このごろは滅多に聞かれなくなった。


英語のDarkは、古英語のDeorc(暗い)から変化した語で「曇らす、濁らす」が原義の形容詞。「光がない⇒暗い、闇の」と、「白色より黒に近い⇒色の濃い、黒っぽい」が基本の語義で、光と色についていう。また、日本語の「暗い」と同様に、比喩的に「光がない⇒隠された、秘密の、無知の。暗い⇒陰気な、憂鬱な、悲観的な」という意味でもある。

Darkと結びついた比喩表現は多いが、なかに(スペードのエースのように暗い)というのがある。スペードのエースは最強のカードなのだが、時に「死の前兆」ともされる。戦争の話題でといえば、「不吉なカードを引いてしまった、不運にも戦死した」ということ。だからの比喩に使われる。題名が≪Are You Afraid of the Dark?≫(『暗闇が怖い?』)のサスペンスもある。

英語で「漆黒の闇」にあたる熟語にという言い方がある。は「原油精製の副産物である黒い粘性物質、樹脂、松やに」のことだから、「漆」を使った日本語表現とも相通ずる。

(蛇足)

名詞の「dark(暗闇、暗い場所)」に関連して、<whistle in the dark>という熟語がある。これは、「暗闇で口笛を吹く」ところから、「(やせ我慢をして)強がって見せる、虚勢を張る」という表現。

または 、字義通りには「笛を吹く」だが、最近増えてきた「内部告発をする」という熟語でもある。官庁などの不正を内部から世間に知らせること、警笛の意味でもあろうか。名詞の「内部告発」はという。

政府・大企業が都合の悪いことを隠して「闇に葬る」のは社会正義に反する。正義と道理が通らないようでは、右も左も「真っ暗闇」じゃござんせんかー。

 


脳トレ宇宙論 Coffee Break 重力波の渦巻(錯視)

2020-07-13 16:48:38 | 脳トレ宇宙論

脳トレ宇宙論 Coffee Break 重力波の渦巻(錯視)

出典WEB「北岡明佳の錯視のページ」 立命館大学総合心理学部教授 

アインシュタインが予言した 「重力波」を検出したというニュースが話題になった。

そのころ私は新しい錯視を見つけた。 線が傾いて見える「傾き錯視」を同心円に並べると、 渦が巻いたように見える。波線の傾き錯視を渦巻き錯視の作品として仕上げ「重力波の渦巻き」と名づけた。 個人的にはほれぼれするような出来栄えだと思う。

この図は同心円が並んでいるのに、 中心に向かって渦が時計回りに巻いているように見えるだろう。 波線はS宇をひっくり返したような形をした白と黒の線が交互につながってできている。 実は波線が黒だけ、または白だけだと錯視にはならない。

渦巻きの向きを決めるのは、 波状になった白線もしくは黒線のうち斜めになった部分だ。 白と黒がっながった部分は斜めになっていても錯視とは関係がなさそうだ。いや、 後者の部分も錯視に寄与しているかもしれない。 調べる必要がある。 錯視視の研究者としてはまだ楽しみが残っている。


  


脳トレ宇宙論 第32話 宇宙の大規模構造

2020-07-10 15:31:14 | 脳トレ宇宙論

脳トレ宇宙論 第32話 宇宙の大規模構造

星雲の階層構造,恒星、星雲、銀河、銀河群、銀河団、超銀河団、銀河系と銀河の発見

(From Wikipedia)

・宇宙の基本的構成要素は銀河(Galaxy)である、つまり宇宙は銀河からなっている。

宇宙には非常に多くの数の恒星が存在する。その恒星が数十から数千億個集まって出来たものが銀河である。銀河は恒星や星間物質が重力的にまとまっている天体である。この銀河ですら数千億という途方もない数の恒星が集まっているものであるが、宇宙にはこの銀河が観測可能な範囲だけでも1000億個は存在すると言われている。

一般に銀河が数十から数千個集まったものを銀河群や銀河団といい、銀河群は銀河の集まりの最小の単位で、それより大きい銀河の集団を銀河団と呼ぶ。銀河団の大きさは数百万光年から数千万光年である。例はおとめ座銀河団である。さらにこの銀河団が幾つか集まったものを銀河団と呼ぶ。超銀河団の大きさは一億光年より大きい。例はラニアケア超銀河団である。このように宇宙の大規模構造は銀河の階層構造をなしている。そしてボイド構造、フィラメント構造、グレイトアトラクターなどが存在し宇宙が構成されてる。

・地球は天の川銀河の太陽系惑星である。
天の川銀河(私達の銀河)は1610年にガリレオが天の川を観測し、1785年ハーシェルが天の川銀河の形をを調べた。ちなみに太陽系が所属している銀河は「銀河系」と呼ばれているが、銀河と銀河系は同義ではない。

・ハーシェルの天体マッピング 

フレデリック・ウィリアム・ハーシェルは、ドイツ出身の音楽家であったが、天王星を発見したことから天文学者としての活動に専念。ハーシェルはその生涯に400台以上の望遠鏡を製作した、と同時に星雲のマッピングを行い、天の川の構造とサイズをほぼ明らかにした。これによって、太陽系ですら宇宙の中心ではないことが分かり、さらなる宇宙への展望が開かれた。

銀河系(天の川銀河)は、重力で結びついたいくつかの小さな伴銀河(Satellite galaxy)を伴っており、局部銀河群のサブグループを形成している。

銀河系の伴銀河の名称を距離順に発見年を次に示す。

 おおいぬ座矮小銀河  2003年 

② いて座矮小楕円銀河  1994年 

③ 大マゼラン雲  有史以前 

④ 小マゼラン雲  有史以前 

⑤ おおぐま座矮小銀河II  2006年

・・・


・天の川銀河(私達の世界)この銀河系の大きさはおよそ10万光年で中央にバルジと呼ばれる膨らみがあり、数千億個の恒星の集団で、円盤状の形である。

・プロキシマ・ケンタウリ:太陽から一番近い恒星で、4.2光年(約40兆㎞)の距離にある。人類が作った人工物で一番遠く(地球から180億km)まで行ったボイジャー1号が、プロキシマ・ケンタウリを目指して移動した場合、到着まで、約7.2万年かかる

・大マゼラン星雲・小マゼラン星雲:天の川銀河にある太陽系に近い隣の銀河。大マゼラン星雲の大きさは14000光年、距離は16万光年、小マゼラン星雲の大きさは7000光年、距離は20万光年である。一般に銀河は恒星や星間物質が重力的にまとまっている天体であるが、これに対して、大小マゼラン星雲は重力によって束縛されていない可能性がある。

・矮小銀河:天の川銀河を取り巻くように存在している。

アンドロメダ銀河:我々が住んでいる天の川銀河(銀河系)の隣の銀河。大きさは22万光年、距離は250万光年、形は渦巻銀河、その中にはおよそ1兆個の恒星がある。

そして、天の川銀河、アンドロメダ銀河、さんかく座銀河、その他、数十個の小さい銀河が集まって、 局部銀河群を形成している。この局部銀河群の直径は約500万光年くらいである。

この外にも私たちに馴染み深い星として色々ある。

・オリオン星雲 目立つ一等星3つ星

・北極星 北斗七星 見慣れた指標になる

・プレヤデス星雲 日本古来の和名

・南十字星 遥か南半球

・・・

 

 


脳トレ宇宙論  正師・良書・ライバル

2020-07-07 20:45:40 | 脳トレ宇宙論

脳トレ宇宙論 正師・良書・ライバル

正師を求めての旅-求道の旅

正師を得ざれば学ばざるに如かず(道元禅師『学道用心集』)

正しい師匠のもとでなければ、学んでいないも同然である。

何事においても自己流で物事を学ぶのは、一歩間違うと全く違う考え方や、

間違った方向へ行く危険と隣り合わせとなり、さらにその間違いは探究すればするほど本来の教えとのズレが大きくなっていくことがある。

・千日の勤学より一時の名匠

・師たるもの、常にひたすら学び続け、進歩していなければ師の資格はない

分からないことがあれば、相手がたとえ年下であっても教えを乞う

・師を凌駕せざるものは哀れなるかな(レオナルド・ダ・ヴィンチ、1452-1519、伊)

・古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ(松尾芭蕉、1644~1694)

・私は未だ学んでいる(坂本龍馬、1835-1867)


 

ライバル(rival)good rival a worthy opponent

        

一般にライバルないし好敵手は、何らかの競争関係において、好ましい状態変化を促す存在である。
学問の分野では競争相手の存在から、より知識を高めあう方向で努力する意欲を得る。 

  

このような関係は相互の信頼の上に成立する。逆に相互に相手の成功を不正なものだと考え、その欠点を探し回る関係では、競争関係ではなく足の引っ張り合いである。また、その競争に謀略がある場合はスパイや情報戦である。


良書・名著・古典・適書・すばらしい書物

 アレキサンドリア図書館

・数学を学ぶためには、自分に合った良い先生と良い先輩と友人、それに何よりも優れた本との出会いが大切である(上野 健爾,数学者)

・繰り返すことは最良の勉強である(ザメンホフ、1859-1917、ポルトガル、言語学者)

・どれだけ偉大な思想であろうと、それを伝える人がいなければ失われる

 

 

 

・理系から見れば、文系のやっていることはあまりにも精密性と客観性と再現性が乏しくて、とても学問には見えない。

文系から見れば、理系のやっていることは、現実の豊かなリアリティーを数式に還元して上澄みだけをすくっているだけの皮相な行為に見えてしまう。

このあいだの溝を埋めるのは至難の業である(森岡正博、哲学者)。

・「宇宙論は何の役に立つのか」は「生きていて何の価値があるのか」とほぼ等価である。

・数学教育はその国の繁栄を決める(ナポレオン、1769-1821、仏)、同じように「脳トレ宇宙論」はあなたの人生を豊かにする。

・好奇心は人間を生き生きさせる(宇野千代、1897-1996)

・学問の分野であろうと他の分野であろうと、さらに趣味であっても

世の中の流行に流されないで自分の面白いことを徹底的に追求して

充実した人生を送ることができれば非常に素晴らしいことではないか

(ドナルド・コクセター、1907-2003、英、幾何学者)

・面白さの本質は、明快さ、趣き、そして著者の熱い思いである

・「見てワカランものは、聞いてもワカラン、論理がワカランものは、宇宙もワカラン」、とこの間アインシュタインがテレビで言っていた…冗談でげす

・追加(引用WEB記事:EMANのあいさつ)

少年の頃の夢をひとつかなえることができた。相対性理論を数式で理解したいという夢だ。物理学を勉強した者は誰でもいつか自分もこの偉大な理論を数式で理解できるようになれればと夢見るものである。

(自分には無理だと最初からあきらめてしまう人がほとんどだが。)

小さい頃から大好きだった物理学の勉強の時間を 1日1時間取ることにした。 しかし、何年ものブランクがあるために 昔学んだ多くのことを忘れてしまっている。

 量子力学も、解析力学も、素粒子論も順を追って説明すれば高校生にだって理解できるはずだ。本当に良い教科書が在れば大学で学ぶ範囲の概念を習得するのは数ヶ月かからないで済むだろう。  大学での残りの時間は応用に使うべきなのだ。挫折を乗り越えなければ研究者としてふさわしくないのか?  確かにそうだ。しかし挫折する必要のないところで才能の芽が摘み取られてゆくのを見るのは忍びない。

 私の経験では物理そのものは決して難しくないのだ。  ただ理解に達するために資料を調べる時間が異常に長いだけである。ひとたび良い本に出会うと数時間の内に疑問が解決し、 数ヶ月に亘る探索が報われることがよくある。

 せめて自分が何を知らないから、つまづいているのかだけでも分かれば、 もっと素早く知識を習得できるのだ。理解できるようになるまでに何冊もの本を交互に読みながら 自分の知識のギャップを埋めていかなければならない現在の状況を もっと簡素化したいのだ。

自分が大学生の時、やる気はあったけど、授業が全然わからなかった。 大学の先生というのは、 生徒がどれだけ単純なことでつまずいているのか分かっていないようだ。

大学を卒業する頃、自分がそれまでの必死の努力の末、ようやく理解した内容を振り返ってみるに、 誰かが分かり易く教えてくれさえすれば半年で習得できた事じゃないか、と感じた。 自分の4年間はあれは何だったのか、と挫折感を味わったものだ。