デジカメ写真のアルバム

アウトドア活動が好きで、高尾山に咲く花から近代的なお台場の街並みまで、素敵なものは何でも写真にしています。

浅草商店街/ 一年前にも訪れていました   2014-01-17

2014-01-18 08:05:15 | テーマパーク・行事・場所
 
#浅草商店街   2013-01
浅草商店街   2013-01 浅草の商店街を歩き、ビールを飲んだり、食事をしたりして一日を楽しみました。震災後、減っていた中国系の旅行者も増えて、結構な...
 

 


KitteビルがOpen/     2013-05B

2013-05-21 07:55:55 | テーマパーク・行事・場所

KitteビルがOpen/       2013-05B

 

 3月31日にKitteビルが丸の内にOpenしました。日本郵便が初めて手がける商業施設です。中には、郵便局・Office・商業施設が入っています。商業施設の部分は、レストラン(持ち帰りの弁当屋もある)・ファッション・Cafe・ライフスタイルと、観光客向けに何でもそろっています。その充実さと至便性は、丸ビル・新丸ビルを凌ぐことになるのではないかと、思われました。

このビルが建て替えられる前は、中央郵便局がありました。日本の近代郵便制度発足時(1871年/明治4年)に、大阪・京都と共に設けられた日本最初の郵便役所のひとつです。

学生時代の同期の会合が先日、東京ステーションホテルであり、帰り際にKitteへ、寄り道しました。

 

 白い部分が、旧中央郵便局のビルです。一部だけ取り壊しの対象から、外されました。上部のガラスのビルが、新ビルです。

  

 

Kitte入り口から見た東京駅

 

 つい先日までは、こんなポスターが貼られていました。

 

一階の様子です。

 

 元中央郵便局の後に建てられたKitteビルなので、もちろん一階には郵便局があります。

1931年の写真と、2012年の写真が飾られていました。

 

 

当時の郵便車です。

 

新しい局内の様子です。天井が高いですね。

 

 

商業施設の様子です。

 

一階には、沢山のレストラン。おいしそうで、値段も手ごろです。

 

 

 Kitteビルから見える東京駅です。

 

 

 

 


#高尾山 #野花の写真展開催 2012-12月

2012-12-04 11:15:21 | テーマパーク・行事・場所

野花の写真展    2012-12月

 

                                                               高尾山に咲く花が大好きな仲間が集まって、写真展を開きます。興味のある方は、ぜひ、お越しください。


 

1.「スミレ咲く高尾山」写真展(高尾山の花名探し/2012年12月写真展) *今回はスミレの特集

  2012-12-06~12日 八王子中央図書館B1 JR西八王子駅北口から3分

2.花ハイキング高尾山+高尾野花フォトサークル写真展

  2012-12-13~19日 八王子中央図書館B1 JR西八王子駅北口から3分

私も、この両方の写真展に、仲間と一緒に参加しています。日頃、見ることが難しい高尾山の花の写真が、沢山展示されています。ぜひ、お越しいただき、お楽しみいただきたく思います。

goohachi123


#サンバカーニバル #浅草 2012-08-25

2012-09-02 05:47:48 | テーマパーク・行事・場所

第31回浅草サンバカーニバル  2012-08-25

 

サンバカーニバルが、8月25日(土)に浅草で行われました。20数チームが浅草寺横から出発し、松屋の前でL字型に曲がり行進します。先日、銀座で行われたオリンピックメダリストの凱旋パレードに、500,000人集まったとのことでしたが、この浅草のパレードにも同数の500,000人が集まったそうで、その人気は大変なものです。

 

 スカイツリーが見えるこの道を行進したのです。カンカン照りの暑い日でした。

 

 

歩道は、人人人の山です。

 

 

簡単には、写真も撮れません。

 

 

 

パレードの通り道脇にある”すしざんまい”のテラスからは、社長も顔を出していました。

 

飛行船まで現れました。

 

パレードに付き添っていた車も、ド派手でした。

 

 

車上からのご挨拶です。

 

サンバと直接の関係はなさそう・・・

 

だけど、みんな楽しそうに踊っていました。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

  

 

 

  熱心なカメラマン

 

 

 

  

 

情熱的に踊ってくれたダンサー達です。この暑い中、本当にご苦労様でした。楽しかったですよ!ありがとう。

 

  

 

  

 

   

 

    

 

  

 

 

 

 

 

 

 


日露戦争で活躍した軍艦 三笠 2012-02

2012-03-03 08:52:40 | テーマパーク・行事・場所

日本海海戦(日露戦争)で活躍した戦艦/三笠          2012-02

京浜急行/横須賀中央駅近くにある三笠公園(明治時代の戦艦/三笠の実物が保存されている)において、東郷平八郎特別展が、H23-11-12~H24-06-30の間、開催されています。

日露戦争は、「坂之上の雲」でも紹介されたように、南下を図る(China・朝鮮半島→日本)ロシアと、阻止しようとしていた日本の間で、1904年(明治37)2月~1905年9月まで、戦かわれた戦争です。その最後の時点で起きたのが、日本海海戦です。その海戦で旗艦を務めたのが戦艦/三笠(艦名は奈良県の三笠山からとった)で、日本は大勝しました。

排水量:15、140t、 全長:131、7m、機関:15、000馬力、最大速度:18ノット、主砲:30.5cm連装砲2基4門、製造:イギリス/ヴィッカース社

三笠は、太平洋戦争の敗戦後、占領されていた時期に、ソ連からの要求で解体処分されそうになったり、駐留軍人用の娯楽施設(キャバレー・トウゴウや水族館)が艦上に出来たりし、一時はすさまじい荒廃したことがあったそうです。その惨状を見たイギリス人のジョン・ルービンがジャパンタイムス紙に、その惨状を投稿したため、大きな反響が上がり、またアメリカ海軍のチェスター・ニミッツ提督が三笠の惨状を憂いて本を出し、その売上を三笠の保存に寄付するなどしたため、保存運動が盛り上がり、アメリカ軍が撤去したもので、記録のあるものはほぼ全てが、返換されたそうです(ただし、心無い人たちにより無断で持ち去られた物品部品などは今日に至るまで、ほとんど戻されていないそうです→ 砲塔・煙突・マストなどは新しく作られたレプリカ)。なお、チリ海軍で廃艦にされたイギリス建造艦の部品を、チリ政府から寄贈されたことは、三笠保存にとって、大変幸運でした。

艦の管理は三笠保存会に委託されていますが、三笠は防衛省所管の国有財産です。

日本の歴史をより理解するためにも、一度訪れることをお勧めいたします。 

 

  三笠公園の入り口を飾っているゲート

 

 

  

  

三笠を背景にした東郷元帥の像

 

 

 

 

 

 

  

  

  

 

 

 

 

  

  

  

 

  

  

 

 

  

 

 

  

 

  

 

 

 

 

 

 

  

 

  

  

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

  

 


東京ゲートブリッジ  2012-02    

2012-02-21 07:08:37 | テーマパーク・行事・場所

東京ゲートブリッジ    2012-02




東京ゲートブリッジは、年々増加するコンテナ輸送で混雑する首都高速/湾岸線の緩和を目的に作られた一般道路の一部のようです。お台場の沖合に作られた人口島/東京港中央防波堤外側埋立地と江東区若洲(これも人工島)との間に架けられています。2004年から建設され、2012年2月12日に開通しました。全長2,993mで海面からの高さは最大で87,7mにもなり、東京港や都心を一望することも可能です。東京の新たなランドマークとなるとともに観光スポットしても期待されています。

(注)水面から橋梁最上部の高さが、87.8m(トラス橋)と意外に低くなった理由は、経路が羽田空港に近いことから、航路制限に抵触しないよう配慮されたものです。概観が2匹の恐竜が向き合っているように見えるのが特徴です。海上区間の1,618mには歩道があり、歩くことはできます。








            *****     *****     *****



新木場駅下車で。バスに乗り換え、若洲キャンプ場前で下車。











東京ゲートブリッジ


高い橋の上に出るためのエレバータ




















橋から見える景色です。


お台場/フジTVや観覧車など




国際展示場


































Disney-Seaのマウンテンも見えます。






東郷神社と原宿竹下通り   2012-01-24

2012-02-04 10:15:23 | テーマパーク・行事・場所
東郷神社と原宿竹下通り    2012-01-24


時期的に少し遅くなりましたが、東郷神社にお参りしてきました。近くに有名な竹下通りがあるので、ウィンドショッピングも併せてしてきました。この寒い時に、外国の人も含め、沢山の人がショッピングや食事を楽しんでいました。


東郷神社について:

日露戦争中(1904年2月8日~1905年9月5日)に行われた日本海海戦(1905年5月27日〜28日)で勝利した日本海軍連合艦隊の司令長官東郷平八郎が祭られている神社です。当時、世界最大の軍事力を有していたロシア帝国の敗北は世界を驚愕させ、タイムズ紙など有力紙が確認のため発表を遅滞させるほどだったそうです。
この東郷平八郎が1934(昭和9年)5月30日に亡くなると、全国から海軍省に東郷を顕彰する神社の創建の要望と献金が相次ぎ、当時の海軍大臣大角岑生が、財団法人東郷元帥記念会を設立し、寄せられた献金によって神社の創建が計画され、1937年(昭和12年)9月に地鎮祭、1940年(昭和15年)5月27日に御鎮座祭が行なわれ、同時に府社に列格したようです。
ただし、神社の建設は東郷の生前から計画されていて、計画を知った東郷自身が、死後自分が神として祭られることを嫌悪し、激怒したとされています。しかし、希望に反し、東郷の死後建設されてしまいました。

余談ですが、米海軍のチェスター・W・ニミッツ元帥は、東郷を非常に敬愛しており、第二次世界大戦後には東郷の旗艦だった「「三笠」」保存に尽力し、また自著の売り上げを東郷神社に寄付したそうです。東郷神社の社務所には、ニミッツの同神社の再建を祝福する手紙や、「最も偉大な海軍軍人である東郷平八郎元帥の御霊に敬意を捧げる」との直筆メッセージ(※英文)入りの写真が展示されています(私も見ています)。
国際連合の事務総長であったブトロス・ブトロス=ガーリは、来日した際、東郷神社に必ず参拝していたそうです。



    ******      ******      ******      ******




初詣の時期は過ぎていましたので、さすがに東郷神社にお参りの人は、多くありませんでした。


















































魚雷の模型の展示もあります。












竹下通りの様子です。レストラン・コーヒーショップ・衣料品・装飾品のお店が沢山出ています。



原宿駅構内




竹下通り方面




竹下通り入り口







色々なお店/ 若い人や外国人に評判の良いところです。












































































*** お推めの「野花の写真」ホ-ムペ-ジ ***

 高尾野花フォトサークル http://takaonobana.web.fc2.com/index.html
    
  kenkenのカメラスケッチング  http://www.geocities.jp/kng_fujita/

 高尾山の花名さがし http://www.geocities.jp/komaharamo/Takaomain.htm
    
 花ハイキング高尾山 http://homepage2.nifty.com/mkyk/index.htm

 
 *Blogからはリンクできないので、コピーしてご利用ください


新江ノ島水族館

2011-05-25 18:43:48 | テーマパーク・行事・場所
新江ノ島水族館


小田急線/新宿駅から約80分で着く片瀬江ノ島は、あの石原新太郎・桑田圭佑・加山雄三が活躍した湘南の一角です。今では、すっかり垢抜けした町になり、レストランなども沢山あります。一方、江ノ島などには、昔のままの町並みも残っています。
三浦半島には、他にも有名な八景島水族館があります。

小田急線/片瀬江ノ島駅です。龍宮城風な駅舎です。




片瀬海岸には、沢山の人出でした(夏はまだ先なのに・・・)。







水族館の中です。巨大な水槽では、小魚の鰯から鮫まで同居していました。
















ダイバーがマイクと照明を持って、魚達の説明をしていました。




小さな水槽では、美しく小さい魚達が、心配する事なしに楽しそうに泳いでいました。



















クラゲものんびりと泳いでいました。

























イルカショーのイベントも、人気がありました。










江ノ島(昔は島でしたが、今では地続きです。モンサンミッシェルを思い出しました。)には神社・旅館&沢山の割烹料理屋・ヨットハーバーなどがあります。
















若い子達が、じーつと海を眺めていました。




ヨットハーバーとセーリングの様子です。










ヨットのオーナーが、ヨットの上で、バーベキューをしていました。




セーリングの様子です。
















八景島/シーパラダイス

2011-01-28 16:27:55 | テーマパーク・行事・場所
八景島/シーパラダイス


八景島/シーパラダイスは、神奈川県横浜市金沢区にある複合型遊園地(人工的に造られた島の全部が遊園地)で、水族館・アトラクション・ショッピングモール・ホテル・マリーナなどで構成されています。
1988年3月から西武グループによる開発が始まり(人口島は市が造成)、93年5月8日にグランドOpeningされています。総面積は239K㎡(約24ha)です。
シーパラダイスは人気があるので、テレビドラマ・映画等のロケ地にもなっています。特に人気があるのは、水族館とイルカのショーです。また、最近はジンベエザメも到着しているので、お客も一層増加しそうです。

  *シーパラダイスへは、京浜急行/金沢八景駅で下車、シーサイドラインに乗り換え、    八景島駅下車です。






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シーパラダイスの全体




人口島への橋です。







橋の欄干には、東海道五十三次のレリーフが・・・







ジンベエザメの案内






出番を待つイルカが・・・




ジンベエザメもゆったりと泳いでいました。




イルカショーの会場です。まだ、時間になっていないので座席に、あまり人はいません。







大型の水族館

大きな魚と、鰯のような小型の魚が同居・生活しています。







大きなエイの腹側です。













ペンギンも沢山いました。  *ペンギンだけの住処です。魚と同居はしていません。






水族館内には、水の下をの歩けるように通路が出来ています。








小ぶりの水族館

可愛らしい小さな魚が沢山います。







ニモもいます。










クラゲ

















貨幣博物館-日本銀行

2010-09-27 11:30:42 | テーマパーク・行事・場所
貨幣博物館-日本銀行


日本橋の一角(東京駅と日本橋三越の間)に、日本銀行があります。歴史的にも価値がある古めかしい建物がそれです。手狭になったときに、新しいビルを左側に建てています。道を挟んで、右側に貨幣博物館があります。 *いづれも、とても豪華なビルです。

展示場には、和銅開称などの古銭・天正大判・豆板銀など、歴史的に素晴らしい価値のあるものが並べられています。

一度見ておく価値はあります。学校で学んだことが思い出されます。


**展示室は撮影禁止になっているので、写真によるご紹介は出来ません。



次に、知っておくと役に立つ、紹介文の一部をご紹介します。

1)江戸幕府は貨幣発行の集中化と貨幣様式の統一のため、金、銀、銭(銅)の3種類の貨幣からなる三貨制度を作りました。金は小判1枚(1両)を基準に4進法の単位で表す計数貨幣、 銀は重さで価値を表す秤量貨幣、銭は1枚が1問の計数貨幣で、相互の交換は日々の時価相場で決まるものでした。 庶民は主に銭を使用していましたが、高額なものは、関東では金何両何分と金貨建てで、関西では主に銀何貫何匁との銀貨建てで表示されるのが普通でした。関東には金の山地が多かった事、関西では銀の産地が多く、中国や南蛮貿易では銀貨の使用の習慣があったためです。銀は重さで価値が決まるため、売買に天秤が不可欠でした。 また関東と関西の間の商売のため、両替商が活躍しました。

2)大判は貨幣として流通していましたが、本来、褒美用に作られたもので、流通を目的としていないため、表面には墨で量や発行者の銘が書かれています。一方小判は流通の目的で作られていたため、打刻で銘が書かれています。大判は全部で6種類あり、貨幣博物館では全部見る事ができます。

3)江戸時代、小判や銀貨を一定量パッケージしたものが商取引に使われるようになりました。包みは封印され中身を確認する事無くしようされていました。この様なものが使われた理由の1つは真贋鑑定が簡単になることです。このため包みは幕府の責任者や信用の高い両替商が作成しました。理由の2つ目は貨幣を削るなど悪貨を排除できることです。第3は重さでやり取りする銀貨で、重さを計る手間を省ける事です。この封印は厳重に扱われ、偽の包みを見抜けなかった両替商は咎めを受け、施封者が包みの中身を間違えた場合は弁償を求められました。ただし、流通過程で封を切られると無効になり、中身に問題があったと訴えても無効とされたようです。貨幣博物館に封をしたままの包みが保管されています。封をされている事に価値があるため、中身の確認はできないそうです。

4)小判50枚を包んだPackageが、きちんと20個入る箱が、正式な千両箱です。

5)金属貨幣は便利ではありますが重いのが欠点でした。このため紙幣が発行されました。世界最初の紙幣は10世紀の中国だそうです。ヨーロッパでは17世紀に旅行者が盗難を避けるため、金匠に貨幣を預け、その預り証を携帯し、目的地で指定された金匠に提示して貨幣と交換するというのが始まりました。日本では伊勢山田地方で1600年ごろに、信用の高い商人が秤量銀貨のつり銭代わりに発行した山田羽書、銀貨の預り証が紙幣の発祥と言われています。つり銭代わりなので元々は羽書でなく端書だったらしいです。やがて各地で幕府貨幣との交換を原則とした私札や藩札が発行されるようになりました。なお、江戸時代は三貨制度を取っていたため、札には必ず「金」か「銀」か「銭」かが明記されています。




日銀の旧ビルです。上から見るとロの字になっています。左側に見えるのは、新ビルです。





旧ビルの右側に、道を挟んで、貨幣博物館があります。 *ビルの一・二階にあります。







説明資料です。




石の貨幣です。




この入り口から先が、展示室です。  *撮影禁止になっています。




天正大判です。




和銅開称です。