デジカメ写真のアルバム

アウトドア活動が好きで、高尾山に咲く花から近代的なお台場の街並みまで、素敵なものは何でも写真にしています。

神楽坂には、まだ黒塀が・・・    2017-08-04

2017-08-06 13:23:40 | 色々な国とか、町や村

神楽坂には、まだ黒塀が・・・    2017-08-04

神楽坂付近は、大正時代に花街があったこともあり、黒塀が残る一角があります。このような花町特有の路地は、日本でここしか残ったないとも言われています。今では素敵なレストランも増えて、楽しい夕べを楽しめる街になっています。一方、周辺では、次々にマンションが建設されており、昔ながらの風情は失われつつあります。

 

赤坂神社 

 

薬龍山正蔵院

 

 

 

黒塀の一角 *ほとんどレストラン/料亭です。

 

 

 

 

 

 人懐こい猫 

 

 

 

 

 

 

 

たまにはこのあたりのレストランで、楽しい夕刻をお過ごしになってはいかがですか?

 

 

*** お勧めリンク ***

kenkenのカメラスケッチング     

 高尾山の花名さがし

 

 

 

 

 

 


飛騨高山での一日    2014-06

2014-06-13 06:37:59 | 色々な国とか、町や村

飛騨高山での一日    2014-06

高山市は岐阜県の北部/飛騨地方の中央に位置し、周囲を長野・富山・福井・石川の4県と接している盆地(日本一広い市で、東京都とほぼ同じ、2、177k㎡の広さです)です。92%を森林が占め、標高差が2,700m(標高の最高は奥穂高岳の3,190m、最低は上宝町の436m)と、地形的に大きな変化に富んでいます。また、その歴史も大変永く、縄文時代から始まっています。

市街地(JR高山駅近辺)には、伝承空間エリアがあり、古い町並みが厳格な基準で保存されています。  *市街地の地図は東が上になっているので、東西南北の方向感覚を失うことあり。説明しやすいから、そうなっているのかな?

観光客が多いせいか、レストランは沢山あります。その中で特に多いのは、飛騨牛を提供する店です。  

 

高山陣屋/ *以前ほど規模は大きくないが、朝市もあります。

 

古い町並みの様子です。  *飛騨牛のレストランや串焼き店等が沢山あります。

 

 

 

 

 

 

高山でもマラソンが、あるんだ・・・

 

漬物屋さん

 

桜山八幡宮

 

 

    

 

 規制のためか、ファミマのロゴも色違いです。 

 

 

鍛冶橋の下では、鴨の親子が戯れていました。

 

高山本線を利用したのですが、珍しい作業を見ました。  *高山駅~岐阜駅の間は、特急ひだ16号(名古屋行き)と、特急ひだ36号(大阪行き)が併結されており、岐阜駅で分離されます。ディーゼルエンジンの車両ですが、煙は見えず、匂いもしなく、揺れも少ない快適な車両でした。

分離作業です。 *下りの場合は、結合作業になります。

 

   

 

新幹線は、今や最高時速290km/hの700系の時代です。

 

 

 

 


白川郷での一日  2014-06

2014-06-10 19:13:34 | 色々な国とか、町や村

白川郷での一日    2014-06

世界遺産に登録されている白川郷は、五箇山と共に合掌造り集落として有名です。江戸時代から始まった養蚕のため、屋根裏に棚を設けたことが、合掌造り家屋へと繋がったと言われています。豪雪地帯であることから、雪落としのため、屋根を急こう配、かつ東西に振り分ける設計です(ほとんどの家屋が、同じ方向を向いているので、写真写りも良い)。 屋根裏は強い風を受け流せるように、釘等で固定することなく、藁の縄で仕上げられています。手を合わせた形の屋根から、合掌造りと呼ばれています。雪の深さゆえ周辺地域とつながる大きな道を持たなかったこの白川郷は、昔ながらの集落を、そのままの姿で、奇跡的に残すことができたのです。

 

白川郷の全体の様子

 

 

村の中の様子

 

  

 

 

 

 

色々な民芸品のお土産屋さん

 

 

 

シーズンらしく、一般観光客+中高生の修学旅行生が大勢訪れていました。 

 

 

 

 

 


川越まつり-eve     2012-10-19

2012-10-22 07:31:42 | 色々な国とか、町や村

川越まつり-eve     2012-10-19

川越に行ってきました。2回目の訪問です。訪れたのは、喜多院と蔵の街。一寸タイミングが悪く、川越まつりの一日前でした。しかし、そのお蔭で、山車の組み立てを見ることができました。 注/以前からある山車は、組み上がったものを、保管していますが、新規のものは、その都度組み上げ、終わるとバラスようです。

*  川越まつりの期間:10月20日~21日

** 前回訪れたのは、2011/05/13   興味がある方は、このBlogの2011-05-19日付/”小江戸と呼ばれた川越”を参照ください。

 

 喜多院の境内の様子

 

 

  

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 川越まつり会館にて

 

  *山車についての説明

 

  *山車に使用される車

 

  *過去の川越まつりの様子

 

 

 

街中での祭り準備の様子

 

  

  *山車を組み立てる様子

 

 

 

 

  

 

 

  

 

 

街中を走る小江戸巡回バス/ *このバスはレトロタイプ

 

 

レトロバスと、この新型のバスが町内を走っています。

 

”蔵の街”の様子

 

 

 

 

街中にある時の鐘

 

 

 

  *人力車もあります。

 

  *旧第八十五銀行本店(大正7年建設)/現在:埼玉りそな銀行

 

 

 沢山のレストラン

 

 

 

私がオーダーしたB級グルメの焼きそば

 

菓子屋横丁の様子

 

なんで、パンダが?                   小学生の遠足・・・

  

 

 

 


約100年前のニューヨーク / 古い写真が友人から届きました。  2012-04-29 

2012-04-30 08:41:14 | 色々な国とか、町や村

約100年前のニューヨーク / 古い写真が友人から届きました。  2012-04-29 

 

古き良き時代のNew York の写真が友人から届きました。興味深い写真なので、ご紹介します。お楽しみください。

 

    ******      ******      ******      ******

 

 ニューヨーク、イーストサイド。この時代、アメリカでさへ道路工事が頻繁だったようです。背景には男性用装身具店などが見えます。お店の看板が面白いですね。

 

 

建設中のマンハッタン・ブリッジの橋脚。 *この時点では、橋脚のみです。

マンハッタン・ブリッジは、1909年12月31日に開通した吊り橋で、イーストリバーを跨いでいます(マンハッタンとブルックリンを結ぶ)。不適格な設計と当局の不十分な維持管理のため、開通までに数年を要し、また開通後も一部が閉鎖されたそうです。

 

これが現在のマンハッタン・ブリッジです。

 

 アストリア・パブリック・プールで涼むニューヨーカー達/1940年夏の写真。背後にはヘルゲート鉄道用ブリッジが見えます。  *ヘルゲート・ブリッジはペンシルベニア鉄道により建設されました。、1916年9月30日に開通。

 

 100年前と言えば、日本では明治時代の終わりごろです(大正元年=1912年)。この時代にアメリカでは、すでにこんなすごい橋が沢山造られていたのですね。

 


小江戸と呼ばれた川越

2011-05-19 07:01:13 | 色々な国とか、町や村
小江戸と呼ばれた川越





*少し長い文章になりましたが・・・

川越はJR新宿(埼京線+川越線/直通があります)・池袋駅(東上線)・新宿駅(西武線)から1時間強で行ける人口34万人の都市です。知っていた川越は、ローカルな町でしたが・・・先日訪れて、あまりの変わりように驚きました。「以前、放送されたNHKの連続TV小説”つばさ”の影響だよ」と知人は言っていましたが・・・
しかし、見た感じでは、川越市の観光に対する凄まじい情熱が、この変化をもたらしたのだと思いました。案内標識から、特徴を前に出したオーガナイズされた街造り、古い家屋や建築物を大事に残した努力、お祭などのイベントの立ち上げ、100円のレトロバス、案内パンフレットの作成、酒蔵跡をお土産店にしたりのアクションには驚きました。官と民が協力して、人が集まる観光地にしようという気概が見えます。

そもそもこの地は、室町時代に太田道真・道灌親子が城を造ったことから始まっています。江戸時代になると、大老・老中など幕政の重職についた有力譜代大名や、親藩の越前松平家などが居住しました。特に江戸時代中期までは連続して老中職の居城となり、幕府の老中職に就いた大名の数では、徳川各藩中、Topクラスでした。当然、川越は江戸幕府に重んじられていたわけです。城下町川越は、江戸と新河岸川の舟運や川越街道で結ばれ、江戸の北の守りとして発展、「小江戸」と称されるようになったのです。

川越の主な見所:

-喜多院
関東の天台宗の総本山で、徳川家康の関東入国のときに、彼の補佐役であった天海僧正が居住したところです。現在の建物の多くは、寛永16年(1639)に造られたもので、これにより、川越の町の発展と新河岸川の水運の便がもたらされました。喜多院の建物の中の庫裏・書院・客殿は、徳川家光が、江戸城の紅葉山にあった慶長期(1596-1615)の建物を解体し、新河岸川を使って、川越にわざわざ運び、移築したものなのです。このときの客殿の中に、家光誕生の間といわれる12畳半の部屋があります。

-仙波東照宮
喜多院の中に、徳川家康を祭る仙波東照宮があります。これは久能山・日光とならぶ三大東照宮と言われています。
  *これらを見ると、江戸幕府が川越を重んじていたことが、よく分かります。

-五百羅漢の石像群
喜多院の境内に(300坪程の区画)、約530体の羅漢が鎮座しています。

-本丸御殿
川越城は明治維新以後解体され、遺構はあまり有りません。本丸御殿は1848年に造営されたもので、玄関部分が残っています。

-中院
中院は、かって星野山無量寿寺仏地院と称し、天長7年(830)に慈覚大師により創設されました。当初の中院は、喜多院の隣にある東照宮のところに有りましたが、寛永10年(1633)東照宮建創の折、現在地に移転されたものです。境内には、川越城主秋元候の家老であった太陽寺一族の墓・島崎藤村の義母/加藤みきの墓などがあります。現在の場所は、移転後、東照宮の南に位置しています。昔は星野山無量寿寺、北院・中院・南院の中心であっただけに、趣のある静かな境内です。本堂前には、みごとな「しだれ桜」があり、開花時には、参詣したいところです。

-時の鐘
川越の蔵造りの街並みを代表する観光名所です。川越のシンボルとも言えます。「火の見櫓」のような建物です。6時、12時、15時、18時に鐘が鳴ります。

-蔵造りの街並み
蔵造りは、江戸時代の商家の耐火建築です。現存の多くは、明治26年の川越大火以後に建てられたものです。この付近は電柱も撤去され、休日以外も観光客で賑わっています。

-菓子屋横丁
細い路地に、約20軒の手作り菓子屋が軒を並べています。昔なつかしい駄菓子を売っています。中学生の団体が、お菓子を抱えて歩き回っていました。

-川越祭り/川越祭り会館
川越まつりは、川越の総鎮守氷川神社の例大祭でした。華麗な山車が曳廻され、関東三大祭の一つに数えられます。
会館には実物の山車を展示しています。川越まつりの映像上演やお囃子の実演などもあります。

-市立博物館
川越の古代から現代までの資料が豊富に揃っています。



中院






















喜多院の中には、色々な建物や、素適な庭園があります。

























喜多院へ家光が江戸城から移築した庫裏・書院・客殿です。




その日本庭園です。













屋根の葺き方/檜の皮ではなく、薄く削った板でした。







江戸城との位置関係です。




建物と建物の間をつなぐ渡り廊下です。 *鶯張りになっていました。さすがです。




五百羅漢




成田山別院があります。







成田山別院の小さな池には沢山の亀がいました。




かなり朽ちていましたが、見張りの櫓の跡がありました。







童歌”とおりゃんせ”「ここはどこの細道じゃ」発祥の地です。*三芳野神社









至る所に完備されている案内図です。







本丸です。













川越市役所です。耐震に問題があるそうで、建て直しの話があるようです。







昔、釣具屋だった青銅葺きのビルで営業する蕎麦屋。昼食にいただいた十割そばは美味しかった。




お菓子横丁です。










どういう訳か、プラスチックで作られた動物の大きな置物を、数多く見かけました。













蔵造りの町並みの様子です。

























鬼瓦の実物です。

























時の鐘です。






















埼玉りそな銀行/大正7年(1918)に第八十五銀行本店として建てられたものです。




商店街の一角に沢山の鯉幟が・・・




酒蔵跡にお土産屋さんが出来ていました。





氷川丸/ 横浜港   2011-05-05

2011-05-09 18:54:57 | 色々な国とか、町や村
氷川丸/ 横浜     2011-05-05



「いまさら氷川丸か?」 と言われるかもしれませんが・・・
久し振りに、氷川丸の前を通りかかり、中に入ってみました。この前、来たのはいつだったっけ?たしか、この船がユースホステルを営業している時でした。

氷川丸(日本郵船)は、北太平洋航路就役を目的に、1、930年に竣工(横浜船渠株式会社/現三菱重工業横浜製作所)・就航しました。当時、ライバルであったカナダや米国の船会社に負けないような、高性能と素晴らしい接客サービスが売りの船でした。飛行機での旅行などありえませんでしたので、北アメリカ東海岸(ニューヨーク)への旅は、シアトルまでは船で、その先は、大陸横断鉄道を利用することになっていました。初めてのシアトルへの航海では、まだマイナーであったシアトルの市長から「市の発展の為に貢献する日本郵船とアムトラック鉄道に感謝する」との言葉を受けています。
就航当時の横浜・シアトル間(約15日間の航海)の片道一等運賃は、約500円でした。当時の日本郵船の初任給は70円で、「1,000円あれば家が建つ」という時代でした。

現在はリタイアして、ミュージアムになっています。  *入場料は¥200-
一度は(2度目でも)、80年前の昭和初期の良き時代を思い浮かべながら、船内を歩いてみては、いかがでしょうか?

     重量:11、622t
     全長:163m     幅 :20m
     速力:通常15ノット  最大:18ノット
     エンジン:8気筒、ディーゼルエンジン、2機2軸
     乗客数: 1等: 76人
          2等: 69人 
          3等:186人 





















船内の様子です。


この船を建造した会社のエンブレム




船の履歴書というか、沿革です。










船内の通路や階段






















一等船室のリビングルーム




一等食堂







甲板上や船から見える景色の様子です。






















船長室




操舵室







エンジンルーム/ 
  * さすがにエンジンは大きくて背も高く、3階建て(3ツのフロアをぶち抜き)で、設置されていました。











船を降り、歩いた道沿いにコーヒー店がありました。その店のプロモーションらしく、スターウォーズの扮装をした人たちが、演技をしていました。











「原宿/竹下通り」は、本当にすごい人出でした。

2011-01-15 16:59:33 | 色々な国とか、町や村
「原宿/竹下通り」は、本当にすごい人出でした。

原宿/竹下通りは、JR原宿駅/代々木側改札口を出ると、すぐ目の前にある小さな通りです。有名ブランド店が並ぶメジャーな表参道と平行しています。当然、並んでいるShopも、ある意味で有名ですが、当世風に言えばB・C級のShopです。
全体的に高校女子レベルに合わせて、価格がきめられているようです。店頭に並んでいる物は、1,000円程度のネックレスとかTシャツ、古着・クリープなどです。


原宿駅代々木側改札口を出ると、道路を挟んで、もう竹下通りです。









この凄い人の波を見てください。10m未満の道幅に、満員電車のように、中高の女子学生や外人が溢れています。








竹下通りに沿って並ぶ店の様子です。

































































クレープなど食べ歩きに向いているスウィーツも人気です。











しながわ水族館/ イルカショーも楽しみのひとつです。

2010-03-01 18:30:12 | 色々な国とか、町や村
しながわ水族館/ イルカショーも楽しみのひとつです。

品川区民公園の中にある、この水族館は、平成3年10月にオープンし、6ヶ月で入館者100万人を突破したそうですから、トンネル水槽など当時としては、ハイ・テクノロジーな水族館だったのでしょう。”当事珍しかったクリオネを、見ることが出来る”ということで評判になったことを覚えています。
水槽には赤や黄色などの綺麗で可愛いらしい魚から、エイ・鮫・あざらし・ペンギン・イルカまでいます。イルカやアシカは、ショーにまで駆りだされています。  
       *最寄り駅は京浜急行/大森海岸です。



水族館は、公園西側の池の傍にあります。




綺麗なレストランも近くにあります。スプーンやフォークが魚の形をしていました。




鯨の尻尾のモニュメントは、子供達の人気を集めていました。







ペンギンのお出迎えです。







アザラシがすごい速さで、狭い水路を泳ぎまくっていました。







子供を忘れて、お母様たちがアザラシの泳ぎを見つめていました。




イルカのショウが始まります。




























水族館には、沢山の綺麗な魚が泳いでいました。一部、例外もありましたが・・・















































文京区役所/ 素適なレストランも高層ビルのなかにあります。

2010-02-24 12:28:04 | 色々な国とか、町や村
文京区役所は、26階建てのビル/ イベントホールや素適なレストランがあります。

    *六本木ヒルズについて、このBlogの2009-09-04の記事に出ています。



文京区役所は26階建ての立派なビルです。ビルの中には、展望台・イベントホール・TVのグルメ番組で紹介されたこともある、素適なレストラン等が入っています。


正面入り口




ビルの外観です。帽子のつばのような部分が、展望台(無料)です。










展望台はビルの25階にあり、下が良く見えるような設計になっています。東西北の3方面を見ることが出来ます。六本木ヒルズ(54階建てビルの屋上/ガラスなし)と比較すると、雄大さでは劣りますが、見えるビルが近いので、生活感があります。
















右手奥に建築中の東京スカイツリーが見えます。







右手前に後楽園遊園地が見えます。







レストランは椿山荘です。






レストランのメニューです。



レストランの南側から見える景色です。