テニスプレイヤーの日記

日々の随想や所感を書きます。

城巡り土佐高知の浦戸城跡へ

2015年03月27日 | Weblog
桂浜の龍馬記念館のあたりが、浦戸城跡です。国民宿舎のところに、浦戸城の碑があり、そのところに石垣の残り、本丸跡が残っていました。
浦戸城は、高知を代表する景勝地『桂浜』の背後の山一帯が、長宗我部氏最後の居城、浦戸城跡である。
ここは、北、東、南を海に囲まれた要害の地であり、また、紀貫之の『土佐日記』にも出てくる浦戸の港を擁し、上方との連絡、水軍の保有にも便利な土地であった。元親は最初、天正16年(1588年)現在の高知城のある大高坂山に築城しようとしたが、鏡川の治水に失敗し、天正19年に浦戸へと移り、本拠とした。以後約10年間、子の盛親が関ヶ原の合戦で敗れるまで、長宗我部氏の居城であった。浦戸城は石垣の一部と尾根の西方二ノ丸付近に3条の堀切を残すのみであるが、古城としての面影を偲ぶことができる。
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高知といえば、坂本龍馬、龍馬といえば桂浜 坂本龍馬記念館へ

2015年03月27日 | Weblog
高知城を見学したあとは、坂本龍馬の桂浜へ向かいました。桂浜には、
高知城から南に約十キロ行くと、太平洋が、見えてきます。そこが、桂浜です。
坂本龍馬記念館に入りました。入口には、坂本龍馬が握手を求めていました。ちゃんと握手してから入館です。
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土佐の高知の「はりまや橋」

2015年03月27日 | Weblog
土佐の高知のはりまや橋で,坊さんかんざし買うを見た(よさこい節)のうたにある「はりまや橋」。これを、見ないでは、土佐に来たことになりません。幅も長さもなんでもない橋ですが、歴史は、江戸時代に,堀川を挟んで商売を行っていた「播磨屋」と「櫃屋」が,両者の往来のため私設の橋を架けたことが「はりまや橋」の由来とか。その後,何度か橋は架けかえられ,堀川も埋め立てられましたが,現在は,はりまや橋公園として整備され,川のせせらぎを再現。昔のはりまや橋も復元されたものです。


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高知自動車道のおすすめ定食は、南国サービスエリアのかつおのタタキレンジャー

2015年03月27日 | Weblog
姫路西インターから岡山、瀬戸大橋を渡り、四国、香川県、愛媛県、そして高知県入りましたが、おすすめの定食は、高知市内のいくつかを調べていましたが、そこに辿りつくまでに、お昼となったので、南国サービスエリアで、ランチにしました。おすすめは、かつおのタタキレンジャーです。
かつおのたたきやてんぷらが、食べられるお得な定食です。注文後、コメントを書いて、コーヒーをもらいました。

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城巡り土佐の高知城へ

2015年03月27日 | Weblog
金曜日の27日 姫路の寮から、瀬戸大橋を渡り、プリウスの未知の世界、高知県に向いました。目指すところは、高知城です。
高知自動車道は、県境までは、登り、それから下りがずっと続く道でした。そして、天気は、晴れ、真冬の服装ではたいへん暑いです。
高知城は、実は、過去に行ったことがあります。記憶は、あまりありませんが、当時は、まだ、城めぐりを本格的に、はじめていなかったのですが、立派な石垣や天守閣の記憶があります。高知城は、高知市の中心にある典型的な平山城で初代土佐藩主山内一豊とその妻千代が礎を築いた土佐二十四万石の歴史ある城となります。
関ヶ原戦の功績により徳川家康から土佐一国を拝領した山内一豊が,慶長6年(1601年)新城の築城工事を始め整備しました。三層六階の天守閣や追手門などの建物は国の重要文化財となっています。
写真は、高知城の天守閣です。立派な石垣も健在で、見どころいっぱいで、高知城の有料駐車場の一時間料金360円では、不足でした。
追加は、30分単位で、100円です。
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