播磨 黒田城址、丹波 黒井城址のあとは、20年以上前に、行ったことがある篠山城址を目指しました。
経路は、舞鶴若狭道の春日から丹波篠山口まで、利用してすぐです。
丹波篠山城址は、天下普請の城として、壮大な石垣の規模をほこっています。
20年以上前には、本丸には、石垣のみでしたが、現在、櫓や本丸御殿が復元されていました。
天気は、雨になってしまいました。
http://plus-note.jp/REKIBUN/osyoin_top.htm
大書院の説明
慶長14年(1609)、徳川家康の命により西国諸大名が動員されて築かれた篠山城大書院は天守閣のなかった篠山城の 中核をなす建物でした。廃藩置県後の廃城令によって日本各地の城の多くが破却されるなか、大書院は 難を逃れたものの、昭和19年(1944)1月6日の夜に惜しくも焼失してしまいました。 その後、篠山市民の熱い願いと尊い寄付によって平成12年(2000)4月に再建が成り、かつての姿を取り戻すことができました。
大書院は木造建築物としては規模壮大な建物で、現存する同様の建物としては京都二条城の二の丸御殿にある 遠侍と呼ばれる建物に類似しています。二条城の御殿は、将軍が上洛したときに宿所となった建物であり、篠山城大書院は一大名の書院としては破格の規模と古式の建築様式を備えたものといえます。
経路は、舞鶴若狭道の春日から丹波篠山口まで、利用してすぐです。
丹波篠山城址は、天下普請の城として、壮大な石垣の規模をほこっています。
20年以上前には、本丸には、石垣のみでしたが、現在、櫓や本丸御殿が復元されていました。
天気は、雨になってしまいました。
http://plus-note.jp/REKIBUN/osyoin_top.htm
大書院の説明
慶長14年(1609)、徳川家康の命により西国諸大名が動員されて築かれた篠山城大書院は天守閣のなかった篠山城の 中核をなす建物でした。廃藩置県後の廃城令によって日本各地の城の多くが破却されるなか、大書院は 難を逃れたものの、昭和19年(1944)1月6日の夜に惜しくも焼失してしまいました。 その後、篠山市民の熱い願いと尊い寄付によって平成12年(2000)4月に再建が成り、かつての姿を取り戻すことができました。
大書院は木造建築物としては規模壮大な建物で、現存する同様の建物としては京都二条城の二の丸御殿にある 遠侍と呼ばれる建物に類似しています。二条城の御殿は、将軍が上洛したときに宿所となった建物であり、篠山城大書院は一大名の書院としては破格の規模と古式の建築様式を備えたものといえます。