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高岡城跡(高岡古城公園)や高岡市立博物館(富山県 高岡市)はとてもオススメ!

2021年11月17日 01時00分00秒 | イベント・外出

 富山県の高岡市を観光した際に、高岡城跡(高岡古城公園)高岡市立博物館がとても良かったので紹介したいと思います♪

 今回は新幹線で新高岡駅に午前中に着いた後は、このブログでそれぞれ紹介しましたが、以下の通り楽しみました♪

1 国宝 瑞龍寺
2 日乃出寿司(富山湾鮨)でランチ
3 高岡大仏

 そして新高岡駅でレンタルした自転車で、高岡大仏の近くの高岡城跡(高岡古城公園)へ行きました♪

 高岡城は、慶長14年(1609年)に、既に4年前に隠居していた加賀前田家二代当主の前田利長が、富山城が大火により焼失したことから、富山城の城下町含めて移すために、加賀・能登・越中の中心地であり、当時何もなかったこの原野に築城したものです。
高岡城は約21万㎡もあり広大ですが、水堀が1/3も占めます。

 今でも築城時の水堀が残り、本丸など7つの区画の郭(くるわ)が保存されている全国的にも珍しい貴重な城跡とのことで、2015年に国の史跡とななっています。

 現在では、この高岡城跡(高岡古城公園)には本丸広場や射水神社、市民会館、護国神社、博物館、動物園、東洋通信スポーツセンターなど色んな施設や神社などがあります。
堀を巡る遊覧船もあるようですね。

 高岡城の設計は、築城の名手である高山右近が手掛けたとされ、関野と呼ばれた標高約15mの台地と、北から西にかけて広がる沼沢地を利用して築城し、領内から推定約1万人を動員した突貫工事で、堅固な城を建物は別としてわずか5ヶ月ほどで築いたようです。

 当時は慶長19年が大阪冬の陣の戦国末期であり、急いで堅固な城を造る必要があったのだと思います。

 ただ入城から5年後の慶長19年(1614年)に前田利長は死去し、翌慶長20年(1615年)には徳川幕府による一国一城令により金沢の城だけが残ることになったことから、わずか6年で高岡城は廃城となったようです。

 家臣は金沢に引き揚げますが、家督を継いだ三代目の前田利常は城下町から町人たちの転出を禁止し、城跡内に米蔵や塩蔵などを置いて、高岡を城下町から商工の町へと転換したようです。
 そのため、江戸時代を通して堀や土塁は残され、城としての価値は残されたようです。

 高岡城跡(高岡古城公園)に入ると、その堀がさすがかなり立派でしたね。

↑堀

そして地図があり、確かに本丸を攻めるには、かなり難しい堅固な城ということが分かります。

↑地図

また歴史や城の特色の説明板もありました。

↑歴史や城の説明

それにしても堀や周りの木々が美しいです♪

↑堀など

 そして少し離れた所には高岡城跡の石碑や説明もありました♪
高岡城跡は日本遺産にも平成27年に指定されていますね。

↑高岡城跡の石碑

↑高岡城跡の説明

そして築城の設計をしたとされる高山右近の銅像や説明もありました。

↑高山右近の銅像

↑高山右近の説明

 その高山右近はクリスチャンで、織田信長や豊臣秀吉に仕えて明石12万石の大名となり、しかしながらキリシタン禁令により追放されたことは知っていましたが、その後は加賀藩を頼っていたとは知りませんでした。
ただ、その後は江戸幕府によるキリシタン禁令により国外追放となりマニラに渡っています。

それにしてもこの辺りも堀と緑の木々が美しいです♪

↑堀と緑の木々

 それから本丸にも行きましたが、さすがかなり広大です♪

↑本丸

 そして高岡市立博物館へ向かいます♪
各地の博物館へ行くのは、各地の特徴がよくわかり面白くてよく行きます♪
博物館は大好きですね。

 途中に日本遺産に認定されたことが分かる旗がたくさんありましたね♪

↑日本遺産の旗

 それから高岡市立博物館の看板があり、何と入館無料とは驚きました♪
素晴らしいサービスです。

↑高岡市立博物館の看板

そして入館します♪

↑博物館の建物

↑博物館の建物

 まず特別展として、生誕150年の筏井竹の門(いかだいたけのかど)(1871~1925)展が開催されていました。
 郷土の俳壇の発展に貢献し、俳画や短歌にも優れた近代高岡を代表する文人とのことでしたね。

↑筏井竹の門展

↑俳画

 そして常設展示へ向かいます。
第一常設展示室は高岡の歴史ゾーンとなっており、第二常設展示室は高岡の伝統産業・民俗ゾーンとなっていました。

↑第一常設展示室

 高岡の歴史ゾーンは原始・古代~中世~近世~近代~現代と分かりやすく解説があり勉強になります♪
以下特に興味深かったところを紹介します♪

 順路は、時代順ではないのでご注意ください。

まずは高岡城を設計した高山右近の説明がありましたね♪
彼の生涯の歩みの地図もあり分かりやすくて良かったです。

↑高山右近の説明

そして改めて高岡城の説明もあります。
高岡城復元図も分かりやすく、これは攻めるのが困難ですね。

↑高岡城の説明

 また高岡城跡は、日本百名城に平成18年(2006年)に選ばれていましたね。
その認定証がこの高岡城にあるとは驚きました!

↑日本百名城の認定証

 それから高岡の開祖である加賀百万石の2代藩主である前田利長の説明もありましたね。
その生涯の足取りの地図もあるのは秀逸です。
 前田利長は、各地から商人や鋳物師などの職人を高岡に招き、高岡を商工業の町へと発展させる基礎を築いたとは素晴らしいと思います。

↑前田利長の説明

↑前田利長の足取りの拡大

 そして高岡開町400年の歩みの説明もありました。
「関野」という地名を「高岡」と前田利長が変えたようです。

↑高岡開町400年の歩み

 それから前田家家系図もあり分かりやすかったですね。
 三代目の前田利常が徳川秀忠二代将軍の娘と結婚し、その子孫が代々継いでいるので、明治時代まで大名として残れたのだと思います。
 また、二代目前田利長は織田信長の娘と結婚しているのも興味深いです。
だから前田利長の菩提を弔う瑞龍寺には織田信長公や織田信忠公の分骨の石廟があるんですね。
納得しました。

↑前田家家系図

 そしてここでいきなり高岡の太古の世界からの説明となります。
 何と、富山県では旧石器時代と呼ばれる約3万年前から人間が暮らしていたとは驚きました。
氷河期の厳しい自然と闘いながらナウマン象などの大きな哺乳類を獲っていたようです。
そのためそのナイフ形石器などが出土しているようです。

 その後、約1万2千年前頃に氷河期が終わると、土器を使って食物を煮炊きする縄文時代となり、人々はムラを作って住むようになり、その遺跡があるようです。
そして約2300年前に大陸から米作りが伝わり、金属の道具無も使う弥生時代となったようです。
それにしてもたくさん遺跡があるようです。

↑旧石器~弥生時代の説明

 それから古墳時代の古墳もたくさん見つかっているようです。

↑古墳~奈良時代の高岡

 そして奈良時代には、伏木が越中の国府となり、国庁や国分寺などが置かれ、高岡は越中の政治・文化の中心地だったようです。
特に万葉集の歌人として有名な大伴家持(718頃~785年)が国主としてこの越中の伏木に赴任して歌も万葉集に220首余り収められているとのことです。
なので、高岡は万葉集から引用の令和とも関係があるんですね。

↑奈良時代の説明

↑令和の号外など

 それからこのブログでも紹介した瑞龍寺や前田利長墓所の説明もありました♪

↑瑞龍寺の説明

↑前田利長墓所

 そして第二常設展示室へ向かいます♪
大きな高岡大仏の写真もありましたね。

↑第二常設展示室

 高岡青銅の歴史の説明が江戸時代からありましね。
二代目の前田利長が、開町2年後の慶長16年(1611年)に7人の鋳物師を呼び寄せたのが始まりのようです。

 当初は鉄器を作っていて、その後梵鐘や灯籠、仏具や火鉢、キセルなどの銅器も鋳造するようになったようです。
また塩釜やニシン釜、梵鐘がヒット商品だったようです。
ニシン釜は北前船で北海道まで重りの代わりとしても運び、当時豊漁だったのでよく売れたようです。
ニシン釜でニシンを煮て肥料となり、これも北前船で大阪など全国各地で売れたようです。

それにしても全国の鋳物師の約10%が高岡にいたというのは凄いですね。

↑江戸時代の高岡銅器の歴史

 それから明治~昭和初期には、国内外の博覧会に参加し高岡銅器の名声を全世界に広めたようです。
また設備の機械化などを図り、問屋制家内工業体制へと移って生産量が増大し、昭和10年(1935年)には生産量が日本一になっていたとは素晴らしいです♪

↑明治~昭和初期の高岡銅器の歴史

そして高岡彫金の歴史の説明もありましたね。
万国博覧会で活躍して世界ブランドとなり、また人間国宝もいらっしゃいます。

↑高岡彫金の歴史の説明

 それから現代ではアルミニウムを用いた生活用品の生産に転向する業者もありますが、銅器も日用品が多数輸出され、全国シェアが90%を超えたというのも素晴らしいです。

↑昭和20年~現在の高岡銅器の歴史

 そして高岡銅器マップがあり、全国で高岡銅器が使われていることがよく分かりましたね。
横浜球場のベーブルースや亀有駅南口にある両津勘吉像、小諸市の渥美清の寅さん像もそうだったんですね。
高岡の技術は素晴らしいです♪

↑高岡銅器 全国マップ

 それからこのブログでも紹介した高岡大仏の説明もありました♪
大仏が造られた1933年当時の写真もあるのは秀逸です♪

↑高岡大仏の説明

そして高岡の産業都市としての説明もあり興味深かったですね♪
高岡市は平成18年(2006年)に国から「ものづくり・デザイン人材教育特区」の認定を受けて、「ものづくり・デザイン」は小学校・中学校・養護学校の必修科目となっているとは素晴らしいです。

↑活力ある産業都市の説明

それから高岡漆器の歴史の説明もありました♪

↑高岡漆器の歴史の説明

 そして高岡御車山祭の説明もありましたね♪
高岡関野神社の春期例大祭です。
 御車山は豊臣秀吉が後陽成天皇を聚楽第にお迎えした時に利用したもので、それを初代の前田利家が譲り受け、それを二代目の前田利長が高岡開町に際し、町民に与えたもののようです。
面白い歴史です。

↑高岡御車山祭の説明
 
 それから実は高岡は獅子舞も有名とは知りませんでしたね。
富山県自体が獅子舞王国のようです。
これは見なきゃ♪

↑高岡の獅子舞

 そして富岡のまつり・イベントまとめがありましたね♪
時期が合えばぜひ行ってみたいです。

↑富岡のまつり・イベント

それから高岡古城公園の説明や、日本遺産に認定された際の新聞もありました。

↑高岡古城公園の説明

↑日本遺産に認定

↑日本遺産の説明

 そして高岡市合併ジグソーパズルがあるのは面白かったですね♪
随分と明治時代から合併されていることがよく分かります。

↑高岡市合併ジグソーパズル

 そして現代の交通網の説明もありましたね。
JR線や高速道路の説明がありました。

↑高岡市の交通網など

 それから戦時下のくらしも興味深かったです。
高岡市街地には空襲はなく焼けなかったようですが、伏木港周辺には6回B29が来襲したようです。
また近くの富山市は昭和20年(1945年)8月2日に大空襲となり焼け野原となったようです。

↑戦時下のくらし

 戦争末期にアメリカ軍機から撒かれた空襲予告ビラには高岡とあり、戦争がもう少し長引いていれば空襲されていた可能性が高いです。

↑アメリカ軍機から撒かれた空襲予告ビラ

 そして、明治初期からの富山県独立の推移が興味深かったですね。
金沢県、七尾県、新川県が一時あったようです。

↑富山県独立まで

それから平成30年に伏木が日本遺産「北前船寄港地」に追加認定されていたんですね。

↑伏木が日本遺産「北前船寄港地」に追加認定

 高岡城跡(古城公園)は築城当時の堀が残って素晴らしく、また高岡市立博物館は分かりやすい説明で高岡の歴史や地理、産業などがよく分かり、とてもオススメです!


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