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「自分の時間-1日24時間でどう生きるか(アーノルド・ベネット)」という本はとてもオススメ!

2017年12月01日 01時00分00秒 | 
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 「自分の時間-1日24時間でどう生きるか」という本は、「時間」について書かれた実用書で、1日24時間の中でいかに充実した人生として生きるかということについて具体的にヒントを挙げたものです♪

 実はこの本は20世紀初めの1908年?に発行されたようで、21世紀になった現在も本書は読みつがれ、今も多くの人間に影響を与え続けている名著のようです♪

 日本語訳者は上智大学名誉教授で英語学者であり、多くの著作がある渡部昇一さんです♪

特に本書では以下についてナルホドと思いましたね♪

・朝の1時間は夜の2時間以上の価値がある
・朝早く起きること
・仕事の時間、睡眠時間以外を充実させることがポイント
・通勤時間を有効に使うこと
・週6日朝の30分、週3日夜の90分=1週間で7時間30分を有意義に活用すればより良い人生となる
・集中してもものを考える訓練を毎日30分は必要
・一日に一度は内省すること
・原因なくして何事も起こり得ないのだから、物事の原因と結果を絶えず考えること
・優れた詩を読むことは考えることでもあるので良い
・自分が努力を傾ける方向と範囲を限定しておくべき
・計画の出だしは余裕を持つこと
・自分の好みにあった心の底からやりたいと思うことから始めること

 「自分の時間-1日24時間でどう生きるか」という本は、より充実した人生を生きるヒントが分かりやすく、しかも量もそんなに多くないので読みやすくて、とてもオススメです!

以下はこの本のポイント等です♪

・早起きが睡眠不足を招くとは私には思われない。睡眠というのはある程度は習慣の問題であり、怠惰な生き方のほうにこそ問題があるからだ

・まず私から皆さんに提案したいのは、2時間、あるいは1時間でもよいから、早起きをしてみてほしい、ということだ。そしてどうしても早く寝ないと早く起きられないというのであれば、早く寝られるのであればなるべく早くベッドに入りなさい。仕事以外の何かをやるという点に関しては、朝の1時間は夜の2時間に匹敵するのだ。

・まず1日の時間配分から検討していくことにしよう。あなたは「毎日の予定はぎっしり詰まっていて余裕などない」とおっしゃるかもしれない。しかし実際のところはどうなのだろう?生活の糧を稼ぐ仕事は、平均すれば7時間ではないか。睡眠時間は何時間だろう?やはり7時間くらいか。いや大目に見て、もう2時間加えてもいいのではあるまいか。さてでは残りの8時間をあなたはどのように使っているか?説明できる人がいればすぐにご説明願いたい。

・1日のうち一部の時間に過ぎない勤務時間にばかり集中し、「終える」ことや「片づけてしまう」ことばかり考えているような仕事を「一番大切」だと考えてしまいかねないからだ。1日の3分の2の時間を、単に3分の1を占める勤務時間に付随している時間に過ぎないとしてしまうなら、完全に充実した1日を過ごすことなどどうやって望めようか。望めるわけがない。

・朝の電車の中で新聞は読まない方がよい。私が気に入らないのは、誰にも邪魔されることのない30分から40分といったかなりまとまった貴重な時間を新聞を読むのに使ってしまうということである。それぞれが自分の世界に閉じこもっている朝の通勤電車の中ほど、人が完全に何かに没頭できる場所はほかにない。

・私が申し上げたいのは、まず手始めに、ひと晩おきに1時間半、何か精神の向上になるような意義のあることを継続してやってみてはどうだろうかということである。それでもまだ3晩残るのであるから、友人と会うこともできるし、ブリッジやテニスをすることもできる。家庭内のことをやったり、ちらっと本のページを繰ったり、庭いじりもできるし、ただ何となく時を過ごしたり、クイズの懸賞に応募することもできよう。

・われわれは1日のうちから、利用できるほに無駄にされている時間を抽出した。週6日、毎朝の少なくとも30分間、そして週に3晩1時間半ずつ、合計すると週7時間半になる。「今のところは、この7時間半で満足するよう提案したい」と申し上げると、すかさずあなたは大声で抗議なさるだろう。「なんだって、あんたは人生をいかに生きたらよいか、教えてくれるはずじゃなかったのかい。それなのに1週間の168時間のうち、たった7時間半しか問題にしないというのは一体どういうわけだ。この7時間半で奇跡でも起こして見せてやろうという気かね」素直に言わせてもらうなら、まさにその通り。この7時間半で奇跡を起こしてお見せしようというのだ。私はあなたにある経験をしていただきたい。実際にはまったく自然で理にかなっているのだが、一見奇跡のように思える経験を。言いたいことは、「この7時間半をフルに活用すれば、その週全体が活気と情熱にあふれたものとなり、退屈きわまりない職業にさえ関心が増すようになる」ということだ。

・夜の時間に関してだ。1日おきに1時間半の勉強をするためには、それ以上の時間の余裕を見ておいたほうがいい。なぜなら、どんな思いがけないことが起こるかもしれないし、人間はいつも決めたことを完璧に実行できるわけではないからだ。したがって、90分を要する勉強に取り組むのなら、余裕をもって9時から11時半くりまで2時間半くらいは見ておくことだ。

・集中力を高める練習を規則的にやることによって、あなたは自分の思考をいかなるときでも、いかなる場所でも、思いのままに支配できるようになる。思考を支配する練習は、実に手軽にできる。

・心正しき平均的な現代人の生活になによりも欠けているのは、内省的気分であるのは間違いない。われわれは自分のことを振り返って考えることをしない。つまり、自分の幸福とか、自分の進もうとする道、人生が与えてくれるもの、いかに理性的に決断して行動しているか、自分の生活信条と実際の行動の関係など本当に大切な問題について、自分というものを見つめることをしていない。それでも人は幸福を捜し求めている。あなたもその一人だと思うが、果たしてそれを発見できただろうか?おそらくまだ発見していないだろう。あるいは「幸福など手に入らないものだ」とあきらめきっているかもしれない。だが実際に幸福を手に入れた人もいる。そういう人たちは、幸福とは肉体的、精神的快楽を得ることにあるのではなく、理性を豊かにし、自らの生活信条にかなた生き方をするところにあると悟ることによって、幸福を自分のものとしているのだ。

・内省という大切な作業はいつ行うのがよいか。一人で帰る通勤電車の中などは、なかなかこれに適しているのではないかと思う。一所懸命その日の糧を稼いだ後などは、自然と自分を振り返って考えてみようという気になるものだ。一日のうちいつかは時間を割いてぜひとも内省の週間を実行していただきたい。

・最も大切なのは、物事の原因と結果を絶えず頭に入れておくことである。言い換えれば、世の中の有為転変の姿を認識することであり、さらに言うなら、物事が継起するその実相を知ることである。原因なくしては何事も起こり得ないのだという大切な心理を、頭の中に完全にたたき込んでおけば、歳を経るにつれて寛容になれるばかりでなく、思いやり深くもなれるのである。たとえば時計を盗まれるというのは辛いことだが、よく考えてみれば、それは「盗んだ側にも相応の経済的事情があり、やむを得なかったのかもしれない」という理屈で納得がいき、興味深くもある原因によって生じたことであるとわかる。すると、「喜んで」とまではいかないにしても、「とにかく仕方あるまい」と達観した気持ちで新しい時計を買えるだろう。多くの人は、今まで経験したことのない奇異な事態に新たに直面すると、必ずショックを受けたり傷ついたりするものだ。しかし、物事の原因と結果に深く思いを巡らせていれば、愚かな精神状態に陥らなくても済むようになるはずである。そういった人たちにとって、周囲にいる人の人間性は、いわば見たことも聞いたこともない奇異な風習に満ち満ちた異国の土地のようなものだ。しかしながら、人は成熟すれば異国の土地で異邦人のままでいることが恥ずかしくなるに決まっている。

・物事の原因と結果に深く思いを巡らせていれば、人生の苦悩は減り、他方、人生はより味わい深く、豊かなものになる。物事の展開に因果の連鎖を見ない者は、海ですら大仕掛けで単調な見せ物にしか見えない。しかし、物事は原因と結果の絶えざる継起によって展開するのだという考えが浸透している人間は、海を見てその基本的構成要素を知覚する。すなわち地質学的観点に立ち、「一昨日は蒸気で、昨日は沸騰し、明日は氷になる」という必然の要素を理解するのである。原因と結果に思いを寄せる人間は、液体とは固体になる過程にあるものに過ぎないということを知覚する。そして有為転変する人生の限りない豊かさに対する認識へと到達できる。そして絶えず自己を磨くことによって得たこのような真の洞察力ほど、人に恒久的な満足感を与えるものはない。

・小説は「思考を要する読書」には入らない。したがって、自分の精神を磨こうと、週3回90分ずつ、小説の作品を徹底的に研究しようと決意した人は、その計画を変更したほうが賢明だろう。というのも、小説が読むのに思考を要しない、つまらないものだからというわけではない。世界で最高の文学作品のいくつかは小説である。そうではなく、出来の悪い小説は当然読むべきではないが、反対に素晴らしい小説というのは、一所懸命頭を使って読まなければ中身がわからないようなものではないからである。

・想像力豊かな詩を読むときには、小説を読む場合よりもはるかに頭を使うことが要求される。おそらくあらゆる文学の中で一番意識的に頭を使わなければならないだろう。詩はもっとも崇高は喜びを与えてくれると同時に、もっとも深い印象を授けてくれる。要するに、詩に勝るものはないということだ。ところが、残念なことに、大多数の人は詩を読まない。

・2つの重要な一般的注意事項だけは述べておきたい。一つは、自分が努力を傾ける方向と範囲を限定しておくべきであるということである。一つの時代、あるいは一つの主題、あるいは一人の作家を選ぶことである。たとえば「フランス革命について勉強しよう」とか「鉄道の起源について調べよう」あるいは「ジョン・キーツの作品を研究しよう」という具合にするのである。そして「この時間はこの研究をやる」というようにあらかじめ決めておき、その時間はそのことだけに集中するのだ。自分があることの専門家であるというのは、実に気分のいいものである。2つ目は、よく読むと同時によく考えよということである。多くの本を読みながら、そのことがパター付きパンを切るのと同じ程度にしか、その人の人間性にプラスになっていない例を私は知っている。彼らが読書にふけるのは、酒好きが飲酒にふけるのと変わりがない。文学という国をただ動き回ることだけを目的に、車で走り回っているに過ぎない。そのような人間は1年に何冊読んだかということだけをやたらと吹聴したがるものだ。自分が読んだものについて、少なくとも45分くらいかけて、注意深く、しんどくなるくらいに反芻してみないなら、せっかくの夜の90分も無駄に費やされたのだといっても過言ではあるまい。読書は要するに、どんどん先へ読み進めてはいけないのである。時間がかかることなど気にすることはない。終着店のことは忘れるのだ。現在自分のいる周囲の景色のことだけに注意を払えばよい。そうすれば、おそらく予想もしないような時に突然、あなたは丘の上の美しい町に到着しているだろう。

・あなたが時間という予算をバランスよく配分する前から、地球はずっと順調に回転し続けている。時間の大蔵大臣という新しい任務を立派に果たそうが果たすまいが、そんなことにはおかまいなく地球は順調に回転し続けてきたのである。だからあなたは、自分のしていることなど、あまり大げさに他人にしゃべらないほうがよいだろう。世間では、それと気づいていながら毎日膨大な時間が無駄にされており、従って、大多数の人間は本当に充実した人生を送っていない。しかし、そうした悲しむべき事実を、大声で言いたててもどうにもならないのだ。所詮、人はそれぞれ自分で自分の人生について真剣に考えない限り、本来成し得ることも成し得ないのであるから。

・2つ目の危険は、自分で計画したことに奴隷のように縛られてしまうことである。計画に引きずりまわされてはならない。計画したことは尊重しなければならないが、盲目的にあがめたてまつるようなものではない。日々の行動計画は信仰の対象ではないのだ。

・一番重大な危険として指摘しておきたいのは、計画の出だしでつまずいてしまうことだ。出だしでつまずいてしまうと、新しく芽生えた何かを学ぼうとする欲求の芽も、一人前の若木に成長する前に簡単に枯れてしまう。だからそうならないように細心の注意を払わなければならない。欲求の芽に対してあまり負担をかけすぎてはならない。最初の一週芽はバカらしいくらいにゆっくりしたペースで回ることにしよう。しかし、できる限り規則的にそれを続けるのだ。

・最後に次のことを付け加えておきたい。それは、夜の時間帯を利用して何かをやる際、まず「自分の好みにあった心の底からやりたいと思うこと」から始めなさいということである。哲学に関する生き字引になるのも結構なことだが、たまたま哲学が好きではなく、行商人の呼び声の変遷史に関心があるなら、哲学はやめてそちらのほうに取り組むほうがはるかにいい。


良かった本まとめ(2017年上半期)

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