ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

 2008年10月から「第2マキペディア」として続けることにしました。

松の木、第08号、2003年10月22日発行

2007年01月14日 | 教科通信「松の木」
松の木、第08号、2003年10月22日発行

        浜松市積志公民館  哲学講習会の教科通信

 15日の問題は次の通りでした。

 牧野から教科通信をもらってみて、これはとてもためになる、と
思った学生が、アンケートで「教科通信を毎回出してほしい」とか
「もっとページ数を増やしてほしい」とか要望したとします(A)


 これは、イチロー選手に対して「4割を打ってほしい」と言うの
や松井選手に対して「3冠王になってほしい」と言う(B)のと同
じか違うか、どこが同じか、どこが違うか、でした。


   テーマについて

──Aは、数ある教師の中で1人にだけ負担となる作業を依頼する
のは不平等であり、負担になる。これは作業を要求するものである
し、返事でOKを出したら必ずやり遂げなければならない(やろうと
すればやれるものだから)。そこまで要求するのは正当でない。通
信を出さない教授もいる。サービスとして愛弟子を育てるという心
情から出せるのなら出してもいいが。

 Bは、ファンとして希望するのみで約束するものではない。望み
として出すだけだから正当。もし成果が出れば個人の見返りは比例
してくる。

 ★ プロスポーツの世界には「努力が報いられるシステム」が出
来ていますが、大学には(少なくとも現在は)それがありません。

 私が教科通信を出しても毎回出しても給与は変わりません。サボ
リ教授も給与は下がりません。

 正義とは真理とお金が比例することだと思います。正しい事をし
たら収入が増え、悪い事をしたら損する、そういう社会が「公正な
社会」だと思います。

 しかし、現実は「正直者がバカを見る」ことが多いと思います。
こういうお金の問題を見落としている点で、Aの主張は「コドモの
態度」だと思います。それは「正直者にバカを見させる」態度であ
り、悪い態度だと思います。

 又、「言いやすい人にだけと言う態度」として卑劣な態度ですら
あると思います。パートの私が最低限の通信を出しているのは、学
生や他の人々に、本当の授業とは何かを考えてもらい、大学(や社
会)を正しく改革していくように動いてほしいからです。

──Aの主語(生徒)は牧野先生以外にお願いしていない。他の先
生に教科通信を望めても不思議ではない点。なぜなら他の先生にお
願いしてもおかしくないから(他の先生でも実現可能であるから)
。(略)

 その他を考えて、Aについては、依頼者と依頼される側とは確実
なコミュニケーションがあるが、Bにはない点である。従って、現
実の問題か希望的な問題かの違いがある。

──基本的には「同じである」と言うことができる。その理由。第
1に、教科通信にしてもイチロー、松井にしても「実績がある」と
いうことである。まわりには沢山の教師、選手がいるが、実績のな
い者には、そういう事は思わないだろう。

 第2に、それ故に、「可能性がある」ということである。可能性
がない者には教師にしても選手にしても、まずそういう事は考えな
い。期待しない、ということである。

 ただ、少し違う面もある。Aは自分の意欲に関わることであり、
自分のためでもある。しかし、Bは自分には直接影響がなく、願望
である。この点は違うであろう。

 ★ 社会的「義務」については、それの「実現不可能な人」はそ
の役(仕事)から排除するようにするべきだと思います。つまり、
それが当人にとって「義務」であるか否かという観点が必要だと思
います。私見では、1学期に2回以上の通信は教師の義務だと思い
ます。

──仕事でもボランティアでも、忙しい人はついつい頼まれて、更
に忙しくなる事にもなる。

 ★ この「言いやすい人にだけ言う」という人間の心理、はっき
り言うと卑劣な性格が問題なのだと思います。

 子供が3人いたとします。親は、或る仕事をしてもらいたいと思
った時、その仕事に適当でかつしてくれそうな子に頼むと思います
。その時、「どうして私に頼むの?」と反問されたことはありませ
んか。この時どうしますか。

──先生は大変でいそがしいと思いますが、こちらの期待を裏切ら
ないでほしい。Bは、出来なくてもこちらの人生は変わらない。

 ★ 大学の授業でも、1度だけですが、4月以来毎回教科通信を
出したことがあります。授業の最後に10分間取り、その日の感想を
書いてもらい、それをまとめて翌週に通信を出したのです。

 6月になって、私が自分の本を出す仕事で疲れてしまい、出せな
かったことがありました。「今週は疲れて出来なかった」と言いま
した。その日の感想に、何人かの人が、その日通信の出なかったこ
とを残念に思ったと書いていました。中には、教科通信の意義を私
に教えてくれている人もいました。

 「これまで毎週出ていたことが決して当たり前の事ではなかった
のだと気づいた」と書いてくれた人は1人もいませんでした。私は
がっかりして、その後は時々しか出さなくなりました。これをどう
思いますか。

──私だって何か人が興味を持ってくれる内容があれば、通信を出
してみたいものです。

 ★ 学生が通信をもらってみて「これはためになる」と思った時
、取る態度は次の5種あると思います。

 A・出している人に「もっとやってくれ」と要望する。
 B・他の先生に「あなたも通信を出してほしい」と要望する。
 C・学長に言う。これはまた3つ可能で、
  (1) 「学長も通信を出してほしい」と言う。
(2) 「教科通信を全教員に義務づけ、制度にしてほしい」と言
   う。
(3) 「この先生にベストティーチャー賞を出してほしい」と言
   う。
D・自分でも通信を出そうと考える
   (通信を親や友達に見せて話し合う等)、
 E・誰にも何も言わない。

 どの態度が正しいか、それがなぜ正しいか、私は毎年話すことに
しています。


   「松の木」第7号を読んで

──○○さんの発言は、日本語を使う日本人のこれから考えなけれ
ばならない問題だと思う。

──文法を説くには面白さを出さなければ皆さんが付いてこないと
のお話に、なるほどそうかと感じました。「言葉の研究を」につい
て、教え方がまだしっかり出来ていない面もあるようでしたら、文
部省に一言申し上げられたら好いのではと思いました。早く正しい
日本語を広められるようにお願いします。

 ★ 講座の目的は受講生が向上することであって、受講生が講師
に忠告したりお願いしたりすることではありません。牧野の考えが
正しいと思ったら、自分で文部科学大臣とか県の教育長とか市の教
育長とかに手紙を出して、「牧野さんの意見を聞いたらどうか」と
言う人間になってほしいと思います。


   VTR「上川端商店街」について

──東京にはおばあさんの原宿というのがあるとか。原宿の竹下通
りという所に数年前に行ったことがありますが、いいとこだと思う
。歳をとってもいつまでも元気で楽しくハリのある日々を過ごせる
ように行政も力を出してほしい。老人福祉施設は少なくしてほしい
。ボケを増やすだけ。

 ★ 行政を「お上」と思わず、「奉仕者」(憲法第15条)と理解
して、それを要求して、提言していくことが大切だと思います。

──私の住む街も上川端商店街と同様に問題を抱え、今はさしたる
活性化もなされていないのが現状です。VTRを見ると、やっぱり
アクセスは重要だと実感しました。それはターゲット。年寄りと明
確化させたのは好い着眼だと思いました。(略)いつ行って(歩い
ても)そこにいつも新しい何かがある、行きやすい、そして居易い
街が好いなと思います。

★ 今回と次回でそれを考えましょう。