ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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松の木、第04号、2003年09月24日発行

2007年01月09日 | 教科通信「松の木」
松の木、第04号、2003年09月24日発行

       浜松市積志公民館  哲学講習会の教科通信

 前号にも書きましたように、受講生は講習を3回受けると、大体
、落ちつきます。3回目のレポートを読んで改めてそう思いました
。これが自然なのだと思います。我々の「自己紹介」は順調に深ま
りつつあるということだと思います。


   小柴昌俊さんの言葉について

──私たちは科学する者ではありませんが、人間の真実について明
らかにしたいという目的意識はあります。その上で思いますことは
、現在までの定説を更に発展させるために、小柴さんの精神はとて
も大事であろうと思います。

 ここで私が大事だと思うことは、先生とか上司に対する精神的心
構えだと思います。先生、上司、さらに親という者に対しての尊敬
の念がなければ、何も学べないということです。学ぶということは
、自己の存在の領域での価値を掴むことです。そこへ導かれるため
には、先生、上司、親に向かってゆくことです。

 それは必ずしもその場で誤りを指摘できなくても好いのだと思い
ます。強く疑いを持つことは、科学だけでなく、宗教においても不
可欠なことです。その場で誤りを指摘できなくとも、確かな大きな
ことを掴むことはできると考えます。多くの失敗を重ねながら、上
に立つ人の力量が強い場合に、必ずや人間の真実について実りを与
えられると思います。

 ★ 「人間は好きな人からしか学ばない」という言葉を最近どこ
かで読みました。私の経験からもそう言えます。

 →「講座要綱」の7。

 根本的な疑問については話し合いはありえない。Aさんが担任に
直接言ったことは疑問。年齢からみて仕方ないが。

──間違っていると思ったら誤りを指摘すること自体に問題はない
と思います。問題があるとすれば、指摘の方法と、指摘された側の
対応の仕方でしょう。

 ★ 所与の発言の「内容」が正しいか否かだけでなく、その前に
、その発言の「観点」が適当か、他の観点はないのか、何か根本問
題を避けるための方便ではないのか、ということも考えられるよう
になって下さい。

──科学を追求する者は自分の信念を勇気をもって主張するくらい
の態度が必要だと言っていると思います。若い学生にはっぱをかけ
る為に言ったのだと思います。発言の1つ1つをとって間違いを指
摘する事はないと思います。

──小柴教授の発言は適当でない。「その場で言う」ことは国民性
からいっても、又現社会の構成からいっても一般的でない。「間違
い探しをするように話を良く聞き、理解し、自分のものにする」よ
うにと教授は言われたと思う。

──小柴さんがノーベル賞を貰った科学者という人格とポストにあ
り、講演の相手は大学の科学する学生である関係から、科学者とし
ての常日頃の真実を追求する態度から言った言葉であると理解する
が、一般的な発言ではない、と思われる。

 ★ この発言は受賞の前です。念のため。

──ノーベル賞をとった偉い人が生徒に話をする強い立場の人がこ
う言うのはおかしい。そこの「場」が信頼できる場で、低い立場の
人の安全が保障されない限り、そういう事はやりづらい。

 上に立つ者と下に立つ者の関係性がどういうものかという日々の
生活が重要なことである。上に立つ者8割、下の者2割くらいの割
合で責任があるのではないか。特に日本のような縦社会ではむつか
しい。

 ★ 「組織はトップで8割決まる」が私の持論です。


   参考事例、その他について

──中田さんとAさんの例では、やはり受け止める先生の方に問題
があると思います。相手の言い分をしっかりと聞くゆとりがほしい
のではないでしょうか。ただAさんの場合はもう少し具体性がほし
いとは思いますが~。それを先生が引き出してくることも必要では
ないでしょうか。

 ★ 中田さんの例では親が校長と話し合うことが必要だったと思
います。

──参考事例のAさんのレポートの最後に「言わなければよかった
と思いました」とあるが、あくまでも言わなければならないと思う
。そうしないと解決の方向へも行かなくなってしまう。


   「松の木」を読んで

──自己紹介の方法が楽しめる時間になることが大切だと思えた。
固くなりがちなことだから、主催者の方で工夫することで、親近感
は大きくなる。

──皆さんの多彩な考え方に感心しました。感想文の中で牧野さん
は、哲学の出発点は「全てを疑う」こと、そして「疑う」ことと「
否定する」ことは違うと言われています。

 世の中に通用することを前提にして、肯定も否定も自在な「全て
を疑う」哲学の出発点に即されて受講を続けます。哲学の硬いイメ
ージが少しやわらぎ、身近に感じられそうです。

──「松の木」、何度も読みました。その中で、一番強く感じてい
る事に敏感に反応する自分を感じました。私は3人兄弟の一番下の
子供が劣等感が強くてとても悩んでいます。最近は親子の会話もあ
りますが、以前はそれすら無かったのです。(略)

 励ますことばかりやってきました。「励ませば励ますほど子供の
事をダメ人間だと言っているようなものだよ」とのアドバイスを受
けて、心が軽くなり、子供に申し訳ない事をしたと、今は話を聞く
ようにしています。


   VTR「福祉オンブズマン」を見て

──入所している人達は、こんな事を言ったらここを出されるので
はないかなどと心配するのだと思います。その心の語をオンブズマ
ンが形にして施設に話してくれる制度はとても好いと思います。

 でも、これもボランティアの善意だから出来ることだと思います
。どこからもお金を貰っていないから言えるのだと思います。

 ★ 北欧諸国では、独立した権限をもったオンブズを公費で制度
化しています。

──子供が幼稚園に行っていた頃、私立の幼稚園で園長に権力が集
中していて、ナンバー2はPTA会長という構図ができあがってい
る中で、下っぱ役員に選ばれてしまいました。その組織の中では本
当に「NO!」と言えない。誤りを指摘できない。ほのめかすこと
もできませんでした。

 もちろん反対勢力もあるわけで、両方の圧力にひたすらうまい事
「YES」を言いつづけた3年間でした。子供が中に入ると親はひ
たすらYESだと思い知りました。

 小学校、中学校では、この教訓を生かし、できるだけお付き合い
は無し、子供にも「お友達できなくてもいいのよ」と言ってきまし
た。自分の子供は自分で守るという意志がないと、学校で誤りを指
摘するのは大変です。

 ★ これを変えるにはどうしたら好いのか、それが問題なのだと
思います。


   その他

──哲学は「日常生活の中で本当に正しいことなのか」が問われて
、人間社会が共に豊かに成長できることなのか、と思えた。

──今日、この哲学の勉強の中で初めて深く自分で考える時を与え
られました。当初はノーベル賞受賞者のおごる言葉であると一笑に
付したのですが。これはただならぬ言葉である、と。もし私もノー
ベル賞を手にしていたら、このぐらいの言葉を投げかけていたかも
しれません。

──3人の会話では皆さんの個性をそれぞれ話していただきました
。今日初めてでした。客観的にお聞きすることが出来ました。

──グループの中でしゃべることによって自分の意見が明確化して
くるということを体験した。スタートした時はまったくぼやけてい
たけど。


      小柴発言を考える

 1、内容以前に、科学する者の態度が問題になる全ての場合を考
慮に入れていない。

 これは上下関係からみて3種ある。

 A・目上の者に対する態度
 B・目下の者に対する態度
 C・同僚に対する態度

 この3つの内で科学的精神の有無が最も問われるのはどの場合か
、又現実の生活で最も問題になっているのはどの場合か、それぞれ
の場合でどう対処するのが正しいか。

   哲学的結論

 ある人の発言の検討では、その発言がそれ自体として正しいか否
か以前に、その発言はどういう観点からなされているか、それ以外
の観点はないか、と考える。

 2、東大の卒業生(新入生、ではない)はこれから社会の指導的
地位に着くようになる人達である。

 → 部下の意見、目下の者の話を謙虚に聞く人間になれ。私(小
柴)はそのためにこういう努力をしてきた、とこそ言わなければな
らなかった。

 3、何かを主張する時にはなるべく自分の経験を言うべきである


 4、もし、目上の者の間違いをその場で指摘するべきだ、と本当
に信じているのなら、卒業式の場で、東大総長の大学運営の間違い
を指摘するべきだった。

 ・年頭教書を出していない(現状をどう見るか、昨年度の反省、
今年度の施策と目標、教員・職員・学生にはそれぞれ何をしてほし
いか等)
 ・大学オンブズを作っていない。(だから、補助金の不正使用と
なった)
 ・予算と決算を発表していない。
 ・HPに個々の教員の業績とアルバイト状況の詳細な発表がな
い。
 ・総長のメールアドレスが公開されていない。

 5、疑問を持つとしても、形式(授業のやり方等)への疑問(A
さんの場合)と学問内容についての疑問(中田少年の場合)とを区
別して考えるべきであろう。

 又、疑問の性質も問題。
 根本的な点での疑問と派生的な点での疑問に分けて考えるべきで
ある。

 根本的な点での疑問については「話し合い」は出来ない。それは
別の場で問題にするべきである(校長などに訴える、親が出ていく
、裁判で争うとか)。

 → 当事者が直接話し合うのがベストとか、話せば何でも解決す
るというのは間違い。

 → 「要綱」の「7」。話し合いの限界(次のテーマ)

 6、ついでに。

 小柴さんのニュートリノの「発見」は実験・観測による確認。湯
川さんの中間子の「発見」は「理論的予見」。後にアメリカ人が宇
宙線の中に確認。