ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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松の木、第06号、2003年10月08日発行

2007年01月12日 | 教科通信「松の木」
松の木、第06号、2003年10月08日発行

        浜松市積志公民館  哲学講習会の教科通信

   生徒(学生)による授業評価について

──教育の現場に対する評価は当然されるべきであって、問題にな
るのはその方法(手段)であると考えます。先生が生徒にアンケー
トをとるのならまだしも、教育を受ける側(生徒)が先生を評価す
るなど、あってはならない事です。教育現場のイニシナチブを取る
のは先生でなくてはならない。

──新聞の論説には、一定の判断力がなければ評価する価値がない
と述べている。私は、判断力がなくとも子供が「授業内容」につい
て評価する方を取る。

 第1に、先生の人格を評価するのではなく、授業内容や技術を評
価する。その点で小学生でもそれなりにできると考える。特に、児
童にとって分かりやすく勉強の意欲を持てるための条件づくりのた
めの改善を図ることが目的だからである。

 第2に、先生は1つのフィードバックと受け止めて、改善すると
ころは改善し、生徒・児童により分かりやすく伝えられるようにな
る。それによって教師も生徒も分かり合える場が出来る。

 ★ 参考までに静岡大学のある学生の意見を紹介します。

──前期の最後の授業の中で授業に対する評価を提出するのがあり
ました。選択式・匿名のものです。アンケートの内容が授業に反映
されるのは嬉しいことですが、これは対話ではなく、先生の意見の
聞けない一方的なものでした。

 昨年、浪人して予備校に通いました。そのとき講師に対する評価
をアンケートとして提出しました。予備校の講師というのは評価が
待遇に影響するそうで、講師は生徒の反応には敏感でしたが、人気
取りに気をつかわなければならないのか、授業態度を注意するのも
大変そうでした。

 一方的な評価を第三者が見て更に評価する制度というのは、この
ようにご機嫌取りを必要としてしまうのではないかと思います。

 牧野先生のアンケートのように、対話であることが本当の意味で
より良い授業のためになるのだと分かりました。昨年は「アンケー
トによる授業評価」自体を疑問に思いましたが、それが「一方的な
アンケート」に対する疑問に変わりました。

──今、私も小学校に勤務しているが、先生たちは忙しい。毎日毎
日があっと言う間に過ぎ去ってしまうが、教頭、校長たちはという
と、違う。それだけ今まで頑張ってきたから上に行けたと思うが、
先生たちが忙しければ手伝ってあげるとかして、和を作るのが上司
の役目だと思う。

 ★ 委員会とかが沢山あるそうです。ある校長はそれを半分にし
て教員が授業に力を入れられるようにしたそうです。

 日本の学校教育には、

(1) 学校は学ぶ姿勢の出来ている生徒に勉強だけを教える所であ
る事が理解されておらず、家庭や地域の仕事まで背負わされている
こと、

(2) 学校教育は個々の教員のするものではなく、「校長を中心と
する教師集団」が行うものであることが十分には理解されていない
こと、

(3) 教師についても生徒についても結果責任を問うシステムが極
めて不十分なこと、

などの根本問題があると思います。


   VRT「ディベート甲子園」を見て

──ディベートは、意見・考え方が異なる相手と初対面で行う議論
の1つと考える。一般社会において初対面の相手と重要な議題をそ
の場で結論を出すことはあまりないと思う。また、顔見知りの相手
であっても、重要な問題をその場の話し合いだけで結論を出すこと
は少ないと思う。

 つまり、ディベートは話術の1つであり、ある程度理解し知って
いればよい、と考える。

 それ以上に大切なものは、話し方の技術ではなく、自分の真意を
相手に伝え、相手の考え方を理解する事である。


   「松の木」を読んで

──NHKとの交渉について。

 追求する語学をお持ちの先生には感服いたしますが、何か行き過
ぎではないかなとも思いました。一般を対象に放送しているようで
すので、放送する方も聞き取り安い方法を取ったのではないかなと
感じます。

 ★ NHKTVの番組に「課外授業」というのがあります。第一
線で活躍している人が出身小学校の6年生に自分の専門の事を授業
するのです。面白い工夫をしています。しかし決して真理は曲げて
いないと思います。本当の専門家とはこういうものだと思います。


   その他

 ★ ロバの耳さんが、新聞への投書の切り抜きを下さいました。
社会人学生になっている中年女性が授業について意見を出したら、
2人の教師から聴講をクビになったというものでした。

 ★ 本号は頁数が少なくなりました。大学での授業とその他の事
が始まって私が忙しくなったことが1つの原因です。

 逆に言うと、このような教科通信を出すには週に1日か、せいぜ
い2日の授業でないと難しいということです。

 ですから、私は、定年退職した国公立大学教員は私立大学の教授
に天下るのではなく、週に1~2日の非常勤をして、こういう本当
の授業をせよ、と主張しています。