ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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教育の広場、第01号、悪貨が良貨を駆逐しないために

2006年04月02日 | 教育関係
教育の広場、第01号、悪貨が良貨を駆逐しないために

(2000年10月08日発行)

 (2000年)10月03日付け朝日新聞の声欄に次のような投書がありました。

「2番目の子が小学3年の時だ。もうすぐ夏休みが始まるというある夜、何
か一生懸命に書いている。何をしているのか見ると、担任の男の先生の通信
簿をつけていた。

例えば、算数では『分かりやすく教えたか』『後ろまで声が届いたか』、
体育なら『安全に教えていたか』『楽しく授業ができたか』などだ。どの教
科も5項目の評価になっており、それぞれの欄の『できる』『ふつう』『も
うすこし』に子供たちが印を付けるようになっていた。自作の通信簿だった
が、先生を採点する通信簿は初めて見た。

彼は、教職試験に合格するまで5年かかったという。初めての保護者会
で、産休教師や児童館の臨時職員などを経て、やっと念願の教師になれたと
話してくれた。そんな初々しい笑顔を思い出しながら、子供たちの自分への
評価を、これからの努力目標として頑張ろうという情熱が伝わってきた。

子供が書いた先生への評価を見ると、すべて『できる』に印が付いてい
た。すごいねと言うと、『先生、頑張っているもん』と言った。3年前の出
来事だが、この先生は今も頑張っている。こんな先生がたくさんいるといい
な。」

 投書者は東京都練馬区の主婦で43歳のMさんとなっている。

 実際、こういう風に自分の通信簿を生徒に付けさせる先生は少ないと思い
ます。高校でも大学でも「学生による授業評価」は少しずつ行われているよ
うですが、まだあまり広がっていないようです。それどころか、熱心な先生
が圧迫されたという例を聞くことの方が多いようです。

 或る中学校で或る先生が頻繁に学級通信を発行した所、同じ学年の他の
クラスの担任から「そんなにやられると私が迷惑する」と言われたという
話を聞いたことがあります。

 つい最近も「大学の授業を考える会」のホームページにこんな話が載って
いました。それはこの「学生による授業評価」が悪用されているというもの
です。つまり、評価のよすぎる教員に対してやっかみ、難癖をつけて解雇す
るというのです。

 残念ながら、教師社会の実情はこのようなものなのです。この投書で報告
された先生は、幸い、まだ頑張っているようです。それはそれで嬉しいこと
です。しかし、これから先、何かの事情でこの熱意が冷めてしまう可能性も
あると思います。それに対して我々はどういう応援の仕方があるでしょう
か。

 このように投書をするということもたしかに一つの行動ではあると思いま
す。しかし、良貨を駆逐しようとする悪貨の力に比べると、それはあまりに
も小さな行動ではないでしょうか。ではどうしたら好いのか。このメルマガ
ではこういう事も考え合っていきたいと思っています。

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