ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

 2008年10月から「第2マキペディア」として続けることにしました。

「ユーゲント」85号

2008年10月06日 | 教科通信「ユーゲント」
「ユーゲント」85号(2007年05月11日)

                     ドイツ語教室の教科通信

 第1回のアンケートを取りました。まだ慣れていないという感じでした。

   静岡大学の情報学科を選んだ理由

- オープンキャンパスでとても楽しかった。
- 情報学部の「文工融合」に興味を持ったから。科学科を選んだのは、自分が入学する確率が高かったため。
 ★ 実際の授業は「文工融合」になっていますか。

   外国に行った経験

- イギリスに2週間の語学研修
- 韓国に修学旅行で4日間滞在した。
- ハワイへ旅行で1週間。言葉が通じなくても身振りで何とかなる。

- 父と2人でアメリカに1週間、娯楽目的で行きました。ニューヨークへ行きましたが、少し汚なかった印象があります。当時、英語は出来ませんでしたし、日常生活では英語を使う必要がなかったので、軽視してましたが、海外に行って英語の重要さがはっきりしました。あと、ファーストフード店で英語で注文することが出来たのは嬉しかったです。
 ★ その後は英語の勉強に力を入れるようになりましたか。

- 韓国にホームステイで3泊4日。中国に研修旅行で2泊3日。韓国は日本とあまり変わりなく感じた。中国は日本の製品が多かったと感じた。

   中学と高校での英語の授業

- 中学ではレクリエーション的な授業が多く、ネイティブの方がATとして来たりして楽しかったです。
- 高校では英語の担当教師が3年とも違ったため、同じ事を繰り返し効率が悪かった。
 ★ 本学でもドイツ語の教師の連絡はありません。誰の責任だと思いますか。

- 授業は発音より書いて覚えるというもので楽しいとは言えなかった。
- 中高共に2コースに分けて、各々の能力に合わせた授業を行ってくれた。基本に重点をおいた分かりやすい授業だったが、自分の学習する努力が好くなかったので、あまり好い成果が出ていない。

   この授業についての感想

- 授業で何をやるのか具体的に把握できない。
 ★ どこが分からないのか、分かりません。分からない時は質問して下さい。

- 前に受けたドイツ語の授業より、会話の練習が多く、知らない人とコミュニケーションも取れるので好いと思います。
 ★ それも会話練習の目的の1つなのです。

- これまでの授業と比べて「休憩」などを盛り込んでいて、特殊な授業だと思いましたか。中高ではその科目と関係ないことはやりませんでした。この点で授業の幅が広がって好いと思います。
 ★ 根拠を挙げて自分の判断を述べています。これが意見の基本です。

- 授業の進行が遅くないですか。
 ★ 考えてみます。

- テープを聞いたり文の暗記したりするのはいいと感じたが、もっと文法的なことなど教えてほしい。
- 先生がご自身の考えを述べられた時に、「その通りだな」と思う事もあるし、「それは違うだろう」と思う事もある。それは人間が違って考え方が違うから当然の事だろうと思うけれど、先生が時々ご自身の考えを押しつけるような言い方をされているように聞こえる事があるので、それは少しどうかと思います(僕の気のせいかもしれませんが)。
 ★ 「それは違うな」と思った事を具体的に書くためにこのアンケートはあります。「気のせいか」確かめてから又発言してください。そうすれは「押しつけている」か分かると思います。

   LRT、インドのIIT、短歌についての感想

- LRT。ドイツは環境先進国と聞いていたが、公共交通機関を使わせようとする取り組みを見て、私が想像していたよりずっと環境を考えていると感じた。

 IITT。大学は勉強する場だが、サークルなど人との関わりも大切だと思うので、隔離するのはやりすぎではないかと思った。

 短歌。本当に短歌は奥が深いと思った。あの短い文の中に様々な気持ちを込めているのだから。吉川宏志さんの作品は、私も似たような経験があったので、本当に共感でき、心に響いた。

- インドのIITについての先生の意見は僕の考えていた事と違って新鮮なものでした。 ★ あなたの考えていた事も書いてください。

- 私は、インド=発展途上国で、あまり頭の好くない所と考えていましたが、後に情報社会をひっぱってゆく存在であることが分かりました。〔このDVDは〕現代の世界の流れを把握するのに便利だと思いました。
 ★ 自分の考えの変化を述べて、感想を書いています。

   その他

- 「サークルに入るか入らないかで大学の忙しさは大きく変化するものだなあ」「多分、ドイツ語の牧野先生は哲学を教えたくて仕方がないんだと思う」
 ★ 誰がそう言ったのか、それに対してあなたは何と答えたのか、こういった事を書いて下さい。授業の目的は生徒の成長なのです。

- 上手な辞書の使い方を教えてほしい。
 ★ 私には持論はありません。関口さんは「文を手掛かりにして辞書を読め」と言っています。

- 先生のブログの量には驚きました。
 ★ 8つ目のブログ「浜松市政ニュース」を出しました。これまで「浜松・静岡・日本」に載せていたものの内、浜松市政と教育委員会関係のものを独立させました。

- 先生の意見は今まで出会った先生とは違っていて面白いので、もっと聞きたい。特に政治については興味がある。
 ★ 授業は入り口です。後は先生の著書とか、今ならウェブサイト、ブログなどで自分でも追求するようにして下さい。それが大学生です。

   「壁」と女子高生

 壁を越えようとして命をおとした犠牲者を悼(いた)み、いまも花が絶えず、松明に火がともる。壁が開くほんの数ヶ月前にも死者がでている。かつてのアメリカ占領地区とソ連占領地区の境目。ここで両国の戦車が対峙したこともあった。

 戦前は繁栄を誇ったポツダム広場も冷戦中は殺伐としていたが、ドイツ統一後に次々とビルが完成し、モダンなオフィス・繁華街に様変わりした。

 日本にいたころから知っているなつかしい友人が、はじめてベルリンを訪ねてくることになった。なんといっても見所がいっぱいのベルリン。美術館や博物館めぐりだけでも数日がかり、ショッピングや食事はガイドブックをみただけで目移りし、夜も音楽会など豪華なカルチャー・プログラムが目白押しだ。いったい、どんな旅にしたいのだろう?

 そう思って「ベルリンで何がいちばん見たいの?」と電話でたずねると、「壁!」という答えが返ってきた。絶句しているわたしに、たたみかけるように、「壁、まだどこかにあるでしょ? もうないの?」

 確かに、当時のまま壁が保存されている場所なら数ヶ所あるし、「壁博物館」だってある。でも、ドイツ統一後、巨大な工事現場と化したベルリンでニュースをにぎわせてきたのは新しい建物の完成・オープン祝いラッシュ。そちらに目を奪われるあまり、数十年にわたって立ちはだかり、多くの命を犠牲にし、数知れない悲劇を生んできた東西ドイツの「壁」の存在を、わたしは知らず知らずのうちに記憶のすみへ追いやっていたのだ。

 わたしがケルンのギムナジウムに通っていたのは、まだ冷戦が永遠に続くもの、と思われていた時代だった。ある日、課外授業としてドイツ国防軍から人が派遣され、われわれ高校生に西ドイツの安全保障政策についての講義が行われることになった。しかし、我が校は女子校、しかもみな17、18歳のうら若き乙女たち(!)とくれば、もっぱらの関心事はファッション、メイク、ボーイフレンドやヒットチャートなどである。軍備関係の講義なんてたいくつ、さて内職は編物にしようか、彼氏にラブレターでもかこうか、という子が大半のはずだった。

 ところが、グレーの制服に身を固め、スラリと長身の若き軍人が講師として登場するや、教室内は色めき立った。「ハンサム! かっこいい!」の目配せが飛び交い、なかには髪をとかし、口紅を塗りなおす生徒までいる。たいくつそうな課外授業が一気に注目の授業となったのだから国防軍の作戦成功、といったところか。そして、さすがは職業軍人。ませた女子高生たちの熱い視線にびくともせずに(?)彼は講義を淡々と行った。

 冷戦における東西陣営の軍拡競争の推移、チェスゲーム的な核ミサイル配備、「恐怖の均衡」の仕組みについて。時々発せられる生徒たちの質問にもていねいに答えながら、さまざまな軍事用語や技術も説明。最後には、西ドイツが冷戦の最前線に位置するために防衛軍備が不可欠である、といった内容で締めくくった。

 一通り話がおわると、今度は彼が質問する番だった。「西ドイツではすべての18歳以上の男性に兵役が課せられています。そのため、兵役についている2年間(1980年代当時、現在はだいぶ短縮され、徴兵制そのものを見直す声もでている)も、大学入学、あるいは就職が遅れることになるわけです。国家の防衛は、本来国民全体のことであるべきことなのに、女性は兵役を免除されているのは不公平だというふうに感じるのですが、みなさんは女性としてどうお考えですか?」

 教室内はしばし沈黙。すると、ひとりが手をあげていった。

 「男性は子供を産まないじゃないですか。私たち女性は社会に出て、これからというときに子供を産み、育児のために何年も損をし、復帰しても職場では対等に扱われない、などというハンディを背負っているのです。それに比べれば、男が大学入学前などに2年軍隊に行くくらい、どうってことないのでは?」

 ファッション、ボーイフレンドのことばかりかと思いきや、この年でこういう発想がすでにあるとは~。ドイツの女子高生、なかなかシビアである。そして、さすがの職業軍人もこのときばかりは「な、なるほど。あなたのおっしゃる通りかもしれません」と、動揺を隠せなかったのであった。(2006年01月11日、asahi.com 、木本栄)