ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

 2008年10月から「第2マキペディア」として続けることにしました。

「ユーゲント」90号

2008年10月13日 | 教科通信「ユーゲント」
「ユーゲント」90号(2007年10月19日)

                     ドイツ語教室の教科通信

 夏休み明けのレポートを書いてもらいました。

     どんな夏休みでしたか

- 宿題と自動車学校に行くことだけで夏休みが終わったように感じた。道路で運転している時、歩行者がとても危ない存在に感じた。
- 一番印象に残っているのは、最初は全く上手くできなかった車の運転が10日ぐらい車校に通っていると、意識せず体を動かすように自然に運転できるようになったことだ。

- 趣味の読書に多くの時間を費やすことができました。15冊程度の本を読みました。推理小説ばかり読んできましたが、新たな分野に挑戦しようと思いSFなどいろいろな分野の本を読みました。

- サマースクールのボランティアをしましたが、当日は、いたる所で子供たちとボランティアさんが楽しそうに遊ぶ姿、帰り際に「楽しかった」と両親に話す姿を見ることができました。企画・運営は大変でしたが、この笑顔をみることができただけで、今までの苦労は吹き飛びました。

- 青春18切符を使って、帰省をかねて浜松から東京、新潟、京都と鈍行の旅をしました。電車に乗っている間は、何も考えずに車窓から景色を眺めたり、読みたかった小説をまとめて読んだりと、退屈せずに過ごせました。しかし何といっても東京や京都の友人と大学生活や将来について語り合えたことが一番印象に残っています。

- 夏休み中も相変わらずサークル中心の生活でした。強いて言うなら、ビッグバンドジャズの全国大会です。好い刺激を受けました。

- 一番印象に残っているのは、Java言語の勉強をしたことです。
- 生活のためにアルバイトを沢山しましたが、合宿が一番印象に残っています。
 ★ 先日の浜松の餃子祭りに参加した話。情報学部での意見交換会のことなどもありました。

     夏休みの宿題の内容と量は適当でしたか

 (1) 読本のレベルと量は適当でしたか。
- 「不気味な箱」は1回に7~8頁もあり、10時間程度もかかる量だったので、他の課題と同時に出すのなら、もっと減らすべきだ。
- 計画的にやれば出来るくらいだと思うが、僕は計画的に出来なかった。

 (2) 文法のプリントのレベルと量は適当でしたか。
- 量は適当だが、レベルが高すぎた。
 ★ これが多数意見でしょう。年々これが多くなってきています。

 (3) 「天タマ」の課題をどう思いましたか。
- 「天タマ」は多種多様な意見を見ることができ、好い課題です。

 (4) 出身校のHPの批評の課題をどう思いましたか。
- 出身高校に批評文を送るのは気が引けてしまいます。
- 母校のHPを初めて見ました。

 (5) 小説の粗筋をまとめる課題をどう思いましたか。
- 作者の考えや内容をまとめるのが大変だった。

 (6) 4回に分けて、3回は郵送にしたことについてどう思いますか。
 例年どおり、好評でした。異論も少しあり。

     友達や家族と話したこと

- ドイツ語の授業だけでなく勉強とは何かも考えさせられる授業だと親に話したら、大学は本当に授業といってもいろいろな事をやるんだなと言っていました。

- 高校の友人にもドイツ語履修者が多いので、よく授業の話をした。レポートの話をしたら多くの人に驚かれた。しかし羨ましがる友人も2、3人いた。特にHPの批判や小説の粗筋書きなどは機会がないとやらないので、やってみたい、と言っていた。全くその通りだと思う。

     これまでの「ユーゲント」の感想等

- 前期の「ユーゲント」を読み返した。号が後になるにつれて、皆の書く量・質共に上がっていて、成長しているんだなと感じました。後期もがんばって好いものにしたいと思いました。

- ドイツの結婚式がかしこまってなくて、僕は好きです。

     その他

- 「俳句ガールズ」を見て、俳句って面白いと思いました。自分の考えや体験を17文字で表現するのは難しいと思いますが、うまく表現できた時の嬉しさや、言葉の美しさにはえも言われぬ感覚があるのだと思います。

- プログラミングの授業が始まりました。最近、それの課題を友達と学校でやっているので、帰るのが深夜になります。これからもっとがんばらないと。
 ★ たまに遅くなるのは仕方ないとして、深夜帰宅があまり続かないように。

ホームページの話が興味深かったので考えてみました。
 まず気になったのですが、Wikiとよばれるツールがあって、Wikipedia はそのツールを利用してつくられているサイトである、ということはご存じですか。というのも、先生の言い方だと、どうしてもWikipedia の批判がWikiという技術そのものの批判と重なって聞こえてしまったからです。

 Wikiもブログも技術的な引っかかりを少なくして手軽にコンテンツをつくれるようにしようというツールです。それぞれに詳細なツール、サービス、設定が用意されています。自分または身内のみで更新できるWikiというのも構築できます。

 辞書のようなサイトをつくるというのはおもしろいと思いますが、それにブログを使うのは不適切だと思います。時系列の更新を前提にしたプログだと、先生がなさっているように自分で目次をつくるなどの手作業が必要になってしまいます。それならWikiを利用したほうが快適です。

 自前のサーバにWikiを設置するというのはたしかにややこしいですが、ブログと同じようにレンタルして簡単な設定もウェブで行えるというようなサービスもあります。先生の意図を実現するには、そういったサービスを利用することが便利だと思います。

 ここからは完全に僕の意見になりますが、よろしければ参考にしてください。

 僕からすると、個人が辞書的なサイトを作るということ自体に無理があると思います。いまコアなネットユーザというのは、RSS リーダによるウェブ巡回、同期的(リアルタイム)なコミュニケーション、半同期的(これについては一言では説明できませんが~)なサービスの利用など、どんどん新しいものを生産・消費していく形でウェブを利用しています。恐れ多い言い方になりますが、先生の意図はこういう流れに逆行しているように思えるのです。

 もちろん、時代に逆行しているからダメだ、なんて言うつもりはありません。しかし、いま述べたようなハイペースな情報消費の活発さに、旧来型のホームページでは太刀打ちできないのも確かだと思います。極論になりますが、昔書いたものが日々数十人に読まれるよりも、今日書いたものが今日1000人に読まれるほうが圧倒的に影響力があります。

 今ですとソーシャルブックマークなどの影響もあって、ある情報がインデックス化(簡単にいうと整理です)されるきっかけにもなります。

 たとえば、ソーシャルブックマーク内で情報を検索する、という形で情報を再利用する方が効率的です。だから、個人はただ情報を発信し、その整理は無数のネットユーザや機械に任せる、というのが今のウェブの方向性です。個人が自力で情報を整理する、ということが、僕にはどだい無理な話に聞こえるのです。

 あの場の話だけですと僕の理解もあいまいなので、的外れな言及になってしまっていたら申し訳ありません。その補足も兼ねて、先生のサイトの設計思想について一度ブログに書いてみると面白いと思います。コアユーザにはその手の話が大好きなひとがたくさんいて、ちょっと目につくようにすれば簡単に食いついてくると思いますので(笑)。

 ちなみに、ホームページの構成を面と線として捉えるというのは面白いと思いました。僕自身、これからホームページについて考えていく上で参考にしたいと思います。

    組織はトップで8割決まるという意見について

 この意見について家族に聞いたところ全員が賛成という意見でした。「どんなに小さい組織でも、どんなに大きい組織でもトップにいる人がその組織の雰囲気を作るのだと思う」という意見もありました。

 以前にも書きましたが、私は「組織はトップで8割決まる」という意見についてあまり理解できませんでした。しかし、テレビである中学校の話を見て、どういうことなのかがよく分かったと思います。その番組では、中学校の校長が代わり、その校長が自らいろいろなことをして学校の雰囲気を変えたというものでした。

 もともとはその中学校は不良中学校だったそうですが、現在ではとても良い中学校となっています。校長自らが授業風景を見に行ったりして生徒と交流を持つことで、他の先生も校長のように動きやすくなったりして良い流れが生まれていました。校長が先生を変え、生徒が先生に応え、そして最終的には学校を変えたということがとてもよく実感できました。この番組を見て「組織はトップで8割決まる」という意見がよくわかり、私もそう思いました。

 そこで私も過去を振り返ってみるとこのような経験があることに気がつきました。私が中学生のとき、みんなから信頼されている友人と初めて同じクラスになり、その友人が学級委員になりました。私が今までいたクラスにはいじめがありました。そしてこの新しいクラスにもいじめがありましたが、学級委員の彼がいじめを止めました。それから、今までいじめは好くないと思っていた人たちが注意をし始めました。この人たちは学級委員の姿を見て動きやすくなったのでしょう。結局いじめもなくなりました。これはリーダーである学級委員がクラスの雰囲気を変えたのだと思います。

 人は雰囲気に流されやすいと思います。その雰囲気を作る根源がリーダーだと思います。だからリーダーによってその組織が決まるといってもいいと思います。

    組織はトップで8割決まる

 私はこのことが言える場合もあるし言えない場合もあると思う。

 まず言えると思うのはその組織が小さい場合である。地元でバイトをしている人や大学の知り合いでバイトをしている人に聞くと店長など一番偉い人によってほとんどが決まるというようなことを言っていた。

 小さい組織ならトップとその組織の人が接することがよくあるだろうし、ほとんどの事をトップが決めていくと思うから組織はトップで決まると言えると思う。また大きな組織でもトップが悪ければ組織が悪くなっていくということは言えると思う。現在の北朝鮮なんかはトップが最悪で国もトップにより最悪になっている最たる例だと思う。

 逆に大きな組織になれば末端の人間はトップと接することなどないだろうし、すべてのことをトップが決めるわけでもなくなると思うから、トップで決まるとは言えなくなると思う。高校や大学など学校だとその評価は入ろうとする側の人からだと立地や施設、偏差値などで決まるだろうし、所属している人からすればこれらに加えて教師やその授業で決まるだろうからトップの影響はほとんどないと思う。

 結論としては組織がトップで決まるということはよくあることだと思うが、それが8割とまで言えるのかどうかは私には分からない。企業などで不祥事があるとトップが責任をとって辞任したりするが、そのことに意味があると私は思わないし、それでトップが代わったからといって組織が良くなっていくとは到底思えない。良い組織となるためにはトップが優れているのはもちろんのことで、優秀な人材が必要だと思う。

     ドイツの教育

 「隣の芝生は青い」と言われることがあります。とかく、よそのものは良く見えるものです。何気なく手にした『母親に向かない人の子育て術』(川口マーン惠美、文春新書)を読んで、久し振りにそんなことを感じました。著者はドイツ人の夫と結婚し、3人の娘さんを育てるピアニストです。書名とはまったく別のドイツの教育の紹介が、とても参考になりました。

 ドイツの学校(全国一律ではなく、州ごとに制度は少し異なりますが)は午前中で終わり、午後はスポーツや文化活動を地域で行う、と聞きます。だから日本も同じように、という意見を聞くことがあります。この本によると、朝8時前に始業し、1時ごろまでに6時間詰め込んで終業という強行スケジュールだそうです。始業が早いので、朝ご飯を食べていない子も多いそうです。著者によると、「何が何でも1時過ぎに授業を終わらせて、空腹の子供を家に帰すというのは、教師の都合としか思えない」とのことです。

 ドイツの学校制度は複線型です。小学校4年生の終わりに国語と算数の成績で、3種類の学校に分けられます。1つは、大学進学を前提としたギムナジウム。2つめは、大学進学は希望せず、事務職や専門職希望向けの実業学校(実科学校 Realshule)。3つめが、元は職人になる者が行った5年制の基幹学校(本科学校Hauptshule)です。

 ドイツもかつては職人をめざす人にはマイスター制度が機能し、それなりに棲み分けができていたそうですが、現在では成績による振り分けが実態で深刻な状況だ、と著者は指摘します(実は3人の娘さんがそれぞれの種類の学校に進んだため、すべてを経験したそうです)。

 一方子どもたちの生活面では、ドイツの教師は学校で授業をするだけで、校外の問題には関知しないそうです。ちなみに16歳以上は喫煙が許可されているため、多くの学校では生徒のための喫煙コーナーがある(州によって差はあるようですが)と、驚くべきことも書かれています。

 深夜の外出は警官の補導対象ですが、治安状況も日本の比ではないようで、都会ではドラッグの抜き打ち検査以外は黙認だそうです。著者の住むシュツットガルトでは、金曜と土曜の深夜に若者たちを自宅に帰すため、終電後に郊外向けの深夜バスのサービスまであると書かれています。

 こんなことを読むと、ドイツは一体どうなっているんだ、と思わされます。しかし一方、有名な大学入学資格試験アビトゥーアの内容には、感心させられます。特筆すべきは、ギムナジウムでの成績とは別に、卒業間近に行われる州全体の統一試験の内容です。まずは筆記試験です。国語と数学の2教科は必須で、それに自分で選択した2教科が加わります。

 たとえば国語(ドイツ語)の問題は、“あなたがこの論文を読み、新聞「ディ・ツァイト」に投稿すると仮定し、その文章を作成せよ”のような5題から1つを選び、5時間半で起承転結のしっかりした論文をまとめる、というものです。

 驚くのは、ドイツの試験答案に鉛筆は認められず、ペン書きでなければいけないことです。採点にも1人に3時間はかかり、他校の教師による2度目の採点が行われ、2つの採点結果に大きな差が出た場合は、さらに3人目が採点するというから大変です。

 これで終わりではありません。次に(と言っても2か月後に)2科目の口頭試問があります。1科目は20分間の質疑応答、他の1科目では10分間の研究発表スピーチと10分間の質疑応答です。外国語を選んだ場合は、もちろんこれを外国語で行うわけです。日本の入学試験とはずいぶん違います。大学入学資格試験というだけあって、アカデミックなものです。ちなみに、アビトゥーアを受けることができるのは、2回だけだそうです。

 どこの国の教育にも、背景にその国の歴史や文化があります。都合のいいところだけ持ってきて、というわけにはいかないことが分かります。隣の芝生をうらやましがるのではなく、これまでの取組みを生かしつつ、更なる改善を加えて行かざるを得ないことを痛感します。
 (愛知県小牧市教育委員会の「教育委員だより」2007年07月11日号、教育長・副島孝)

 ★ この教育長は、教育行政そのもののことは分かりませんが、このような随想的な「教育委員だより」を頻繁に書いています。かつては拙著『哲学の授業』を詳しく紹介してくれたこともあります。