第二の人生を満喫!+愛犬ウィル(享年14歳)

還暦で娘・息子は結婚し孫がいます
様々な障害を抱え妻に支えられながら前向きに暮らしてます。

偶 然

2006-12-06 16:03:13 | 職場と正面から向き合って(終)
   「テニスコートで行われた試合の中に、どれだけの偶然があったんだろう」

この記事は、過去に書いたもので、非公開にしていたものです。投稿日時も、そのままにしています。
過去の非公開記事から、見つめなおす為、公開します。
自分自身が、どれだけ成長しているのか確認したい。という意味もあります。
カテゴリーをクリックして頂ければ、見やすくなるかと思います。(ペコリ)



今日は晴れです。
そして
今日から休職4ヶ月目の日です。

休職
今後、副長、人事からの謝罪
メンタルケアの構築
自分の処遇
家族のこと
Etc・・・
が夢にまで出てきて、こころが不安定になり
朝から苦しくて吠えていた。 また、いつものこと。

夢にまで出て来たのは現実
現実だけれども
この出来事は必然なのか偶然なのか。

人が社会の中で暮らしていく内の何らかの出来事で
必然的なものは、どの位あるのだろうか。
たとえば、何か物事をしたとき努力したから結実した。と
言うのは必然的だろうけど、その中に偶然もあるんじゃないか。と思う。
その偶然は「運」と呼ばれるんじゃないか。

夢に出てきたことの中に、どれだけの必然と偶然があるのだろうか。
どちらかと言えば偶然の方が多いのではないか。

休職
前の副長に代わって今の長が4月に来なければ、休職にはならなかった。
これは、偶然だと考えることは出来ないだろうか。
規則だから。
みんなが言っているから。
今年4月に今の副長が来たのは偶然
そして
必然的に休職になった。

副長、人事班長からの謝罪
省庁からの意見があって、
トップが謝り
そして
科長が謝った。
みんなが謝るから俺たちも。。。
これも、偶然ではないか。
副長、人事班長が単独では謝らない必然性
その必然性は組織として、抜け駆けは出来ないからだ。

メンタルケアの構築
07’4月に作成した「うつ回復プログラム」が規則になる。
自分が吠えたから成るんではなく、この組織のメンタル面の限界という必然性がある。
以前、現在窓口になっているYからメンタル面が問題になっている
と言っていた。
それが、必然性だと思う。
この必然性の中に偶然が潜んでいるとすれば「時期的」偶然だと。思う。

自分の処遇
新たな副長が来た偶然性で休職になり今後も必然性よりは偶然に処遇が決まるだろう
それは、
今月12月5日に長が交代になり新しい長の偶然という裁量に委ねられるからだ
人間の裁量は、殺人を犯した。交通違反をしたという必然性があるのは良いが、
自分のように犯罪を犯した訳ではなく、
ただ病気になった。
その裁量は偶然だろう。

家族のこと
休職になった自分が家族を不幸にしているのは必然性だと思う。
この必然性の中に偶然があるとすれば
「運」良く離婚されないことだと。思う。

最後に
病気
偶然になった。

偶然に病気になったが
偶然に
人に出会えた。

偶然に
自分のことを知るようになった。

偶然に
感謝と謙虚を学んだ。

偶然に
同じ様な病気の人間が苦しんでいるのを知った。

偶然に
メンタルケアを充実しなくてと言う気持ちが涌いた。

偶然に
手を差し伸べなければと考えた。

偶然に
心の友に出会った。

偶然に
家族に感謝が出来る。

すべて偶然が生んだ産物

100%偶然とは言わないが多くは偶然だろう。

 日常生活の中に偶然は連続するし、必然性の中にも偶然は潜んでいると感じる