なすがままに

あくせく生きるのはもう沢山、何があってもゆっくり時の流れに身をまかせ、なすがままに生きよう。

当時の文化住宅

2005-05-18 11:03:26 | 昭和
上の写真は新しく引越しした西大谷団地の昭和36年頃の写真である。山の中腹から頂上にかけて同じ建物が並んでいる。当時は文化住宅と言われ入居希望者が多く抽選に当たるのは宝くじ並と言われていた。この団地に優先的に入居できるのは若戸大橋建設の立ち退き家庭だった。だから、この団地は以前戸畑渡し場からの移転家族が多かった。以前の木造住宅から比べてコンクリート造りの家は冬は暖かく夏は涼しい家だった。なにしろ高台にあるので夏はいつも涼しい風が吹いていた。何よりも嬉しかったのは風呂が自分の家に在ることだった、しかも、ガス釜である。以前は週に何回か銭湯に行っていた事を思うと夢のようだった。こうして、僕達一家は夢の文化住宅生活を満喫していた。僕が一番好きだったのは高台から眺める風景だった、戸畑の市街地や遠くは下関あたりまで見える、そして、夜景もきれいだった。僕は西大谷の環境が気に入っていた。渡し場時代の生活はすっかり忘れていた。そして時は過ぎ現在の西大谷は住宅やマンションが建ち並び、坂道には路上駐車の車が隙間なく留っている。今でも西大谷地区は戸畑でも土地の値段は高いと聞く、それは、高台からの見晴らしのよさで買い手が多いらしい。この写真から現在の風景は想像できない。この写真を見るたびあの住宅の一角で慎ましく暮らしていた僕達家族の生活を思い出す。そこには周りを緑で囲まれ、戸畑の街を見下ろしながら静かに暮らしていた一家がいた、今は車の離合も出来ない程の過密住宅地になってしまった。日本の道路交通法によれば車庫がないと車は所有出来ないはずだが、その法律はどうなったのであろうか?