なすがままに

あくせく生きるのはもう沢山、何があってもゆっくり時の流れに身をまかせ、なすがままに生きよう。

オムライスと井筒屋

2005-05-04 14:03:26 | 昭和
上の写真は小倉井筒屋屋上からの風景である。昭和28年撮影と記されている。僕がデパートに初めて行ったのは小学3年生の終わりの頃だった。我が家の経済状況は相変わらず火の車でそれに弟の誕生がさらに火をつけた。母は乳飲み子を抱えて炊事、洗濯に追われていた。子供とデパートに買い物など縁のない生活だった。そんな僕の家庭の事情をよく知っている近所のおばちゃんは時々若松に買い物に行くときなど僕を連れて行ってくれた。おばちゃんは子供のいない人で、僕をよく可愛がってくれた。ある日「Tちゃん今日は小倉の井筒屋に行こうか?」と僕を誘ってくれた。僕は喜んで付いていく事にした。小倉行きの西鉄電車は渡し場から魚町まで片道30分位の距離だ。僕は遠足に行くときのようにウキウキしていた。電車を下りて目の前にそびえる「井筒屋」の建物を見上げた時、中は何があるのだろうと胸がどきどきしていた。おばちゃんは買い物を済ませると僕を最上階の食堂に連れて行ってくれた、大きな広い食堂だった。人がいっぱいで美味しそうな食べ物の匂いが空腹をさらに加速させた。おばちゃんは店の人に「オムライス2つ」と注文した。初めて耳にする食べ物だ。すぐに「オムライス」は僕達のテーブルに運ばれてきた。その食べ物は学校の給食でも出た事はない初めて見る「オムライス」だった。最初の一口を食べて僕はその美味しさに言葉が出なかった、そして思った「世の中にこんな美味いものがあるのか!」。僕は家に帰ってからもオムライスの鮮やかな色彩が目に焼き付いて離れなかった。例えるならば、それまで食べていた日常の食事は「白黒映画」だ今日食べた「オムライス」はカラー映画だ。僕の洋食の原点は「オムライス」である。オムライスは僕にとって昭和30年代を彷彿とさせる食べ物である。八幡東区にオムライスで有名な店があり、僕は早速食べに行った、確かに美味しい、だけど、違う。ケチャップご飯の上に乗っている卵の量が多すぎる、しかも半熟だ、卵とご飯を混ぜるとまるで卵かけケチャップご飯だ。しかし、テレビのグルメ番組を見るとどれも卵半熟が主流なのである。だから、あの日のオムライスは家庭で再現するしかない。チキンライスを作って別のフライパンにバターを溶かして大きな丸い卵焼きをふんわりと焼いてご飯の上に載せる、それから、キッチンペーパーで楕円形の形に整えてケッチャプを真中に垂らしてパセリを添えて出来上がり。「これが昭和のオムライスぞ」と僕は娘達の小さい頃からその味を子供達の舌に覚えこませて来た。そして、彼女達が結婚して子供が生まれたら孫達にも作って欲しいと思っている。「これがおじいちゃんが子供の時に食べていた昭和のオムライスよ」と言って欲しいのだ。そして、孫の代その又孫の代まで「昭和のオムライス」を伝えて欲しいと願っている。