なすがままに

あくせく生きるのはもう沢山、何があってもゆっくり時の流れに身をまかせ、なすがままに生きよう。

猫の話 その3

2005-05-03 14:18:34 | 昭和
弟が生まれて何日目だったのか知らないが、ここ数日「ミー」の姿を見てないのに気がついた。あの時ミーも子供を身ごもっており僕はどうしたのだろうと心配していた。その時天井裏でミーの泣き声が聞こえた、その泣き声は普通のミーの声ではない、僕は猫の鳴き声で猫の心理状態がわかるのだ、嬉しい時、悲しい時、おなかのすいているとき全て分かるのだ、しかし、その時の泣き声は明らかに違っていた。僕は天井裏に上がってミーのいるダンボールを覗いたが暗かったので箱ごと下に下ろした。何と、ミーはその箱の中で赤ちゃんを生んでいた。しかしである、ミーのおなかのしたにある4個の小さな固体は動かなかった、死産だったのである。ミーは死んだわが子をずっとなめ続けていた。僕は父親を呼んだ、父は絶句していた。そして、ミーから4匹の冷たくなった子猫の死体を一個々布でくるみ小さな箱に収めた。そして、線香に火をつけお経を上げ始めた。父は戦争に行く前はお寺でお坊さんの修行をしていたのでお経は本物のお経である。そして、父は言った「T雄 ミーは自分の子供を犠牲にしてお前の弟の命を守ったんぞ」。そうだ、ミーは毎年元気な子供を生んでいた、死産など一度もない。やっぱり弟の身代わりになったのだ。父は箱の中でさみしそうに鳴くミーのお腹をさすりながらミーに言っていた「ミーありがとうな」。僕はその時父親が男泣きするのを初めて見た。その夜僕とT美と父は子猫の亡き骸の入った小さな箱を持って洞海湾まで行き海に流した、小さな箱が僕達の視界から消えるまで僕達はその場に立ち尽した。対岸の若松の灯りがやけにまぶしかった。そして、弟は順調に育ち一歳の誕生日を迎える頃ミーは再び元気な赤ちゃんを産んだ。ミーは近所で評判の猫になっていた、「命を救った猫」としてどこの家でも可愛がられた、食事もねこまんまから魚の煮付けそれも丸ごとに昇格していた。それから月日は流れて17年、高校生の弟は友達と若松に海水浴に行った時の事である。弟が沖で溺れたのだ、近くを泳いでいた人が引き上げて救急車で病院に搬送されたのである。当時、黒崎に勤務していた僕は警察からの電話で病院に駆けつけた。弟は一命を取り留めたのだ、「あと数分助けるのが遅れたら亡くなっていましたよ」とS医院の先生の言葉に僕は胸をなでおろした。そして、ベットで横になっている弟がつぶやいた「兄ちゃん 俺水の中で目の前が暗くなりよる時にはっきりネコの声が聞こえたんよ、そのネコはミーの声やったよ」そうか、こいつはまたネコに命を助けられたのだ思った。その弟は今48歳、広島市内で家庭を持ち双子の娘の父親として頑張っている。