現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

藤原道山氏から

2009-01-22 20:30:05 | プロとアマ
このブログ、毎日200人ほどの方が見てくださる。
どんな方が見、どんな感想を持たれているのか、
相手が見えないだけに、つい無責任なことを書いて
しまって、怒らせたり、傷つく人もおられるかと
不安になる。それが的中した。
昨日の「尺八といえば虚無僧?」に藤原道山氏から
直接コメントをいただいた。今をときめくスターだ。
超多忙の中、かなりの長文。びっくりするやら、
うれしいやら。

雑誌『清流』は、知人から見せてもらって、コピーせずに
返してしまったので、私の記憶は正確でなかったかもしれ
ない。レポーターが「尺八といえば虚無僧、そういうイメージを
藤原道山は払拭した」だったのか。道山氏はコメントで、
「『払拭したい』とは言っていない」と否定されている。
謝らねばなるまい。彼の考えが明確に示されている。その
一部を紹介させていただくと、

「私は古伝尺八も大好きですし、地無しの楽器も集めたり、
一休の吹いたとされる一節切も演奏させて頂いた事がございます。
私はただただ、尺八という楽器が表に出てもらいたいという思いで
活動しております」

ほんとにうれしい。道山氏のおかげで「尺八に関心を向ける若者が
増えた。私の公演でも、来場者の何人かは「藤原道山の尺八をTV
で見、聞いたことがある」と言ってくれる。先日の会では、「藤原
道山をTVで見て、尺八に興味を持ち、生の演奏を聴きに来た」と
いう方もおられた。こういうスターが登場してきてくれることを
私も願って止まない。もっともっと有名になってもらいたいと期待
しているのだ。

また「一部だけを取りあげられては困る」と言われますので、昨日の
「尺八といえば虚無僧?」のコメント欄全文を呼んでください。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

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尺八といえば虚無僧?

2009-01-21 23:02:21 | 虚無僧って?
月刊誌『清流』で、今をときめく尺八界の
貴公子藤原道山が、紹介されていた。
「尺八といえば虚無僧を思い浮かべるが、
そんなイメージを払拭したい」とあった。
それに逆らって申し訳ないが、今時の若者は
虚無僧を知らない。むしろ尺八と虚無僧の
結びつきをPRしたいというのが私の立場だ。

尺八界はフルートに追いつけ追い越せでやって
きた。今もう尺八はフルートを凌駕した。
むしろフルートや他の管楽器にはない魅力、
魔力がある。

虚無僧の始祖普化は「フーテン」と呼ばれる変人
だった。一休も「狂雲子」と名乗り、破戒僧として
振舞った。私も含めて、多くの尺八きちがいを
知っている。尺八の魅力にとりつかれた者は、家族
にも見放され、社会からも逸脱し変人奇人となる。
人の心を虜にする不思議な魔力が尺八にはある。

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パイパーズ

2009-01-21 21:57:49 | 虚無僧日記
1/21管楽器の専門誌『パイパーズ』の取材を受ける。
昨年は『禅と念仏』の取材で、私の過去の事ばかり、
面白おかしく書かれて、甚だ不快であった。今回は、
洋楽器ファンに向けて尺八の魅力を紹介するという
企画なので、尺八の歴史、種類、音楽領域、虚無僧
のことなどなど幅広く浅くだ。

話していて「常識の嘘」のオンパレード。

まずは「尺八はその長さが1尺1寸でから尺八」の嘘。
中国の古代にすでに「尺八」という言葉はあったが、
長さまちまちで、「1尺8寸を基準とする」という記録
はない。尺八は「チーパ=チューブ(管)」に「尺と八」の
漢字を当てたもの。

「虚無僧は幕府の隠密」も嘘。あの恰好では目立ちすぎ
で隠密にならない。

「虚無僧は普化宗という禅宗の一派」というが、普化宗が
公認されるのは昭和31年。それまではインチキ宗教。明治
政府は尺八を吹いて門付けすることさえ禁止していたのだ。
今でも虚無僧は僧ではない。半僧半俗の在家仏教なのだ。
本山の明暗寺は、臨済宗東福寺の塔頭であって、住職は
臨済宗のれっきとした僧侶であって、普化宗の虚無僧では
ない。

虚無僧が始祖と仰ぐ普化禅師は尺八を吹かなかった。
普化は尺八を“吹け”なかったのだ。
由良の興国寺の開祖法灯国師も尺八とは無関係だった。

「明暗」と書いた偈箱は江戸時代には無かった。

などなど、一般の人が信じているイメージをすべて
否定して、その後にある真理とは?。自嘲的な話の
中からどれだけ真理を見つけて書いてもらえるか。
ま期待しよう。

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禅と念仏

2009-01-20 22:36:35 | 心の問題
昨年『禅と念仏』という雑誌の取材を受けた。
他力の念仏と自力の禅は相対するものだ。その
両方を取り上げる雑誌とは、いかがわしい雑誌か
と思い描いていた。

水上勉の『虚竹の笛』を読んで、「一向念仏を唱え
るか、座禅に集中するか、また尺八を吹くか、方法は
違っても“仏を観る”ということは同じこと」と気づく。
今、五木寛之の『親鸞』は、仏の姿を観るまで五体投地を
続けるという「好相行」の真っ最中だ。

すべて、何かに集中し、自分を捨てることを悟るための
手法だ。そう考えると、念仏も禅も一緒と思えるように
なった。

私は、あちこちのお寺に招かれて尺八の吹奏と講演を
している。虚無僧は臨済宗の一派というこだわりから、
他宗派、特に念仏宗、日蓮宗では話の内容に戸惑いが
生ずる。すべては同じ、尺八もその一つと知れば、心は
楽になった。「他力と自力」この相反する命題の双方を
飲み込むことこそ「明暗双打」の普化の禅なのだ。

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虫歯も自力で治る?

2009-01-18 19:15:45 | 虚無僧日記
(1/16 の再掲載)
昔、虫歯の治療をして詰めたところが取れて、
そのままにしていたら、虫歯になったか、痛み
だした。医者嫌いの私だが、歯だけは歯医者に
行かざるを得ないと思っていた。そしたら最近、
「抜かずに治す」とか、「虫歯になるとすぐ削って
詰めるという治療は間違いだった」などの記事を
目にした。歯も自力再生することが判ったとか。
それを読んだら、歯医者に行く気がしなくなった。
そして気づいたらここ2、3日、水を飲んでも痛ま
ない。虫歯も治ったか。(ここまでは1/16の稿です)


と書いたら、ご親切にコメントをいただいた。

「虫歯の痛みが無くなったのは、治ったのではなく、
一段進行したのであって、危険な状態。放置して
おくといよいよ歯を全部抜かなければならないこと
になる」とのご教示。
世の中にはご親切な方も居られると感謝。明日に
でも、歯医者に行ってみよう。素直に従う私。
歯は尺八家にとっては“命”なのだから。

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北の漁場

2009-01-18 18:39:58 | 虚無僧日記
子供の頃音痴で歌が歌えないと思い込んでいた私。
社会に出て、必要に迫られて必死に練習し、今では
音楽で食べている。

カラオケで好きな曲は、北島三郎の『北の漁場』。
「北のォォ漁場はァよォォ、男ォォの死に場所さぁ」
が好きなのだ。
子供の頃からずっと死に場所を求めて生きてきたと
云ったら、“変”に思われるか?。“侍の血”か、
「男なら戦場で死にたい。戦争は男の死に場所として
かっこよい」と思っていた。過去形だ。今60過ぎて
今更志願兵にもなれない。

震災で死ぬのも、インフルエンザで死ぬのもいやだ。
死に方が美しくない。美しく散りたいと思うのだが、
「遺体処理業者」のブログを見ると、「美しい死に
方など無い」そうな。棺の中で遺族と最期の対面を
する遺体は、彼ら専門業者によって作られた仮面なの
だとか。

虚無僧が祖師と仰ぐ普化禅師は、空中に煙となって
昇華する「最終解脱」を果たした。その普化に憧れて
私は虚無僧になったのだ。私ってやっぱり“変”か。

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感染列島

2009-01-18 18:10:34 | 社会問題
今、『感染列島』という映画が封切られている。
テレビでさかんに宣伝している。それを見ただけで、
染まりやすい私である。ウィルスに侵された気分に
なって具合が悪い。

「インフルエンザAソ連型にはタミフル効かない」と
いう。鳥インフルエンザのように、どんどん薬への
耐性が増してきているのだ。『感染列島』の話は
架空の話ではない。現実に起こりうる話なのだ。

私の子供の頃、アメリカ映画で (TVドラマだったか)
『感染列島』と同じテーマのドラマがあった。
アメリカの小さな町で謎のウィルスが発生し、次々と
人が死んでいく。ウィルスが他に飛び火しないように、
国はその町を封鎖し、一切の交通を遮断し、人々は
町から出れなくなる。
その町の全員が死ぬのを待って、いや生存者がいた
としても、町全体を焼き尽くすより他に方策はないと
決定が出されたのだ。その事が洩れると、なんとか
町から脱出しようとする住民と町を封鎖している軍隊
との間で死闘が展開される。
送りこまれた医師たちにも生き残る道は無い。感染
して病死するか、生きたまま焼き殺されるか、脱出を
図り、銃弾を浴びて死ぬか。まさに死に方の選択に
迫られる。

私は、子供心にも強烈な印象を受け、今でもその
シーンを思い出す。結局人間は誰でも、いずれかの
方法で死ぬのだ。病死か事故死か殺されるかだ。
それは遅かれ早かれの差でしかない。死をどう受け
止めるか。子供の頃からずっと私は、このテーマに
とらわれてきた。

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院内感染

2009-01-18 16:58:36 | 社会問題
東京・町田で院内感染3人死亡 患者ら101人インフルに(共同通信) - goo ニュース

「院内感染で、101人がインフルエンザを発症、
女性患者3人が死亡」とのこと。
こういうニュースを聞くとますます病院が怖い。
病院に行くと、かえって病気になる。菌だけで
なく、悪い気を取り込みそうなのだ。

元妻の祖父母も父も、従兄弟二人も、検査で病院に
行き、ガンが見つかったとかで、即、抗がん剤やら
切除手術で、たちまち病人に仕立てられ、そのまま
帰らぬ人となってしまった。祖父も父も「家に帰り
たい」と夜中に抜け出すものだから、ベッドに紐で
縛り付けられ、悲惨な状態だった。
私の父は11年も母の介護で生きながらえたのに、
最期は病院に連れて行ったがために、喉を切開され、
言葉を失い、苦しんで死んだ。病院は自分たちが
看護しやすいように、患者を“物”としか扱わない。

母も父を病院に入れたことを悔やんで、「自分は死ぬ
まで病院には行かない」と言っている。私も同意見だ。

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仏とは?

2009-01-18 07:04:15 | 五木寛之
中日新聞に連載中の五木寛之『親鸞』に染まって、
今、五体投地に取り組んでいる。五体投地を1回
6秒のペースでやると100回で600秒=10分で終わる。
それを休憩しながら10回繰り返せば1000回なのだが、
1日300回でダウンだ。

これを五木寛之の小説の中で、親鸞は、毎日3,000回。
1カ月以上続けている。10万回だ。それでも仏は見え
てこない。親鸞は悩み苦しむ。「自分は仏画や仏像で
知っている仏を見たいのではない。これまで身に付けて
きた知識や体得してきたことが、ボロボロと古い垢の
ように剥げ落ちていく。今まであたりまえのように信じ
てきた仏とは何か。なぜこの世には仏が必要なのか、
人はなぜ仏を求めるのか」という根本の疑念に苦しむ。

さすが五木寛之だ。私も五体投地をやったからといって
仏の姿が見えるとは信じていない。それでもなぜやるのか。

神社や寺にお参りすれば願い事が叶うなどと、真剣に
信じている人はいないだろうに、人はなぜ神社や寺に
お参りし、賽銭を入れるのか。私のような虚無僧にも
喜捨してくれるのか。虚無僧を初めて見る小学生の
子供から20代の若い人も、親から教わったわけでもない、
前に経験したわけでもないのに、虚無僧に「喜捨しよう」
という心が湧き起こる。これは何なのか、人は心の中に
生まれながらに“仏性”を抱いているのか。“仏性”とは
何なのか。私の問いもそこにある。

五木寛之の『親鸞』はそれを明かしてくれるだろうか。
毎朝、新聞を心待ちにして、真っ先に『親鸞』を読むのだ。

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1/17 センター試験

2009-01-17 21:12:43 | 虚無僧日記
私のH.P.管理者一珍君が、今日いよいよセンター試験を
受けに行った。彼の合格を祈願しに、七尾天神と真如苑と
熱田神宮にお参りに行ってきた。

熱田神宮はすごい人だった。若者が圧倒的に多い。神社
や寺に詣でるのは年配者と思っていたが、最近若者が
まじめに参拝している姿を多くみるようになった。虚無僧
の私に手を合わせて喜捨してくれるのも、中高年より20代
30代の若者だ。戦前の風潮に逆戻りか?と思うのは危惧か。

今朝の中日新聞のコラム欄。「若者の〇〇離れ。活字、
煙草、酒、マージヤン、車、恋愛、カラオケ、ボーリング、
相撲、演歌、ゴルフなどなど、団塊世代の青春そのものが、
今の若者にはそっぽを向かれている」。そして「おじさん
代が惹かれたものに惹かれない若者をどうやって惹き
つけるのか、不況より難事かもしれない」と。

今日のセンター試験の問題も、私にはさっぱり解けない。
名大医学部をめざすからには、ものすごい高度な勉強を
している。数Ⅲの微分積分、物理に化学、もう全く私には
チンプンカンプンだ。彼との距離がどんどん遠くなっていく。

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