現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

御館の乱

2009-01-27 05:26:55 | テレビ・映画・芸能人
上杉謙信亡き後、景勝と景虎、二人の間で跡目争いが
起きる。「御館(みたて)の乱」と呼ばれる。
この時、景虎は北条の出なのだから、北条家が援軍を
送れば形成は逆転したであろうに、北条の後ろだてを
得られず敗死した。
その後、天正18年(1590)、小田原北条家が秀吉に
攻められた時、上杉景勝は秀吉の命に従って、北条方
の北関東の城を攻めている。北条氏が御館の乱の時に
景虎を救っておれば、景虎ならば、北条家に味方した
であろうに。

この8年後の1598年、秀吉の命で、上杉は、越後から
隣国会津に国替えとなる。そして1960年の関が原では、
石田三成と組んで徳川家康に抗したため、会津を没収
され、米沢に移るのである。わが先祖の地、会津は
ここでも歴史の舞台となるのである。楽しみ。

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北条幻庵と尺八

2009-01-26 22:32:52 | 尺八・一節切
景虎は、上杉謙信の養子となる前、北条幻庵の娘と
結婚し、幻庵の婿養子になっていたのだ。

北条早雲--氏綱--氏康--氏政
      |           |
      |-幻庵--娘  |-景虎


北条幻庵は尺八の名手だった。幻庵は幼い頃京都で
育てられ、京の雅びな文化とともに尺八をも学んだ。
彼の作る尺八は「良く鳴る」と評判で『幻庵切り』として
もてはやされ、宮廷にも献上された。

幻庵の影響で、小田原の家中には尺八を吹く者が多かった。
『北条家掟(おきて)書き』には「悪友に交わらないため
には囲碁将棋や尺八の友と交わるのが良い」とある。この
条文はたぶんに幻庵の作為であろう。

『小田原北条記』の末尾に「川上喜助の聞き書き」として
「小田原では茶が流行り、一味違った茶ということで、一門
や家老衆が、巡礼や修行者、虚無僧姿で茶屋に入ること
が毎日行なわれていた」とある。そして「このようなことは
不吉の前兆であり、まもなくして北条家は滅びた」と。

この当時の尺八は、『一節切り』と云われる短い尺八である。
武田信玄も上杉謙信も一節切を愛好したという。

関東に虚無僧寺の多くが集中しているのは、北条滅亡後、
浪人となった者の何人かが、虚無僧になったからと私は
考えている。

さて、幻庵作の一本を小田原落城後北条氏政の遺児香沼姫が
所有していた。後に江戸幕府を開いた徳川家康は、香沼姫に
「幻庵の尺八を寄こせば、北条家を再興してもよい」と文を
送ったが、香沼姫はこれを断ったという。

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井上さんが亡くなった

2009-01-26 12:16:32 | 虚無僧日記
近所に住む井上さんが亡くなられた。昨年暮れ12/25だという。
知らなかった。共産党や年金者組合、民商、医療生協などの
仕事に奔走していた。とにかく人がいい。共産党というと
ちょっと身を引いていた私だが、彼をはじめ、みなさん“いい人”
ばかり。誘われるままに、『赤旗』を購読し、年金者組合や
医療生協に加盟し、事あるごとに連絡をくれた。各種行事には
虚無僧として招かれ、尺八を披露させていただいてきた。
その井上さんからパッタリ連絡が来なくなったので気にはして
いた。今日『赤旗』の集金に別な人がみえたので、聞くと
「心筋梗塞で突然」とのこと。「いい人だったのに、残念なこと
しました」と。世のため人の為東奔西走していた。そして惜し
まれての突然の死。私もそうありたい。(合掌)

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1/26 朝から虚無僧

2009-01-26 11:46:54 | 虚無僧日記
朝8時から名古屋駅のはずれ、笹島交差点に立つ。
指先が冷たい。漸く冬を体感できた。こうでなけ
れば寒修行にならない。虚無僧は冬の風物詩だ。

出勤の人が足早に通り過ぎて行くが、尺八の音に
結構、こちらを見てくれる。「この寒いのに」と
驚きあきれた顔を向ける人。大欠伸(あくび)を
しながら虚無僧に気づかずに行くおネェちゃん。

15分もすると指先の感覚がなくなってきた。これを
過ぎると尺八が温まってくる。がまんがまんで、出る
音をつなぐ。

ビルの谷間から朝日が差してきた。その陽だまりに
ホームレスが一人、太陽をまぶしそうに仰ぎ佇む。
私の尺八をじっと聞いてくれているようでもある。
「尺八の名は、生まれ育った郷里(ふるさと)を思い
起こしてくれる」とは水上勉の「虚竹の笛」の一節。

あのじいさんも遠い昔を思い起こしているのだろうか。
頼るべき家族もいないのだろうか。日焼けした顔に深い
皺(しわ)、目を細めて冬の日差しを仰ぎ見る目は、
写真に撮りたいような構図だ。じいさんの心が尺八に
移ったか、侘しくもの悲しく竹が泣く。そう思ったら、
涙があふれてきた。涙が頬を伝って口に入る。管の中にも
伝わっていく。天蓋の網目を通して陽の光が入ってくる。
その光が虹色に輝く。風景は涙でぼやけて見えなくなり、
七色の光だけが見える。親鸞が五体投地で見ようとした
「好相」が、一瞬だけでも見えた気がした。

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仏具屋と喫茶店

2009-01-26 10:56:26 | 虚無僧日記
このようなことを書いては 差し障りがあろうか。
「仏具屋は意外に冷たい」。「仏具屋ならさぞかし」
と期待していくと、確かにダメ。ところが「きっとダメ
だろう」と思って行くと、意に反してである。

宇和島の仏具屋さんでは、丁寧に熨斗紙に入れて
5,000円もいただきビックリした。昨日は大垣で
仏具店の前に立った。お店の人はこちらに気づいて
いるが、一生懸命吹けども無視。柳の下に二匹目の
泥鰌(どじょう)はいなかった。

ところがである。その隣りの喫茶店から、小柄な
ママさんが出てこられ、「(熨斗袋を)用意して
おりませんで大変失礼ですが、これで受け取って
くださいませ」と、白い封筒を差し出された。恐縮。
さらに「お休みいただきたいところですが、あいにく
今日は休業日ですので、申し訳けございません」と、
何度も手を合わせ、頭を下げられる。

後で、封筒を開けてまたびっくり、ピン札で3枚だった。
いつもピン札は用意しているのだろうか。谷汲山華厳
寺にお参りしてきたから、さっそく観音様がこの喫茶店
のママになって現われたのだ。畏れ多い。手を合わせる
のは私の方だ。このお店のために自分は何ができる
だろう?。ただただ「千客万来、商売繁盛、無病息災」と、
祈りをこめて尺八を吹く。

「仏像は、そのままではタダの木偶(きぐつ)。人様が
手を合わせて祈ってくださるから、仏像に魂がはいる」
とは瀬戸内寂聴。虚無僧も手を合わせていただいて、
尺八の音が浄化されるのだ。

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1/25 谷汲山~大垣

2009-01-25 21:14:51 | 虚無僧日記
この冬一番の寒さとはいっても、まだまだ温かい。
“寒”を求めて、濃尾平野の北端、谷汲山華厳寺へ
向かった。JR東海道線で大垣へ。大垣から樽見
線で谷汲口。そこからバスで10分。名古屋から 2
時間、片道1,490円。ここまでくれば雪も所々に見
える。

谷汲山華厳寺は西国三十三観音霊場の33番目、
満願の地として、参詣者も多い。数百mの参道の
両側には土産物店が並ぶ。だが「ビラ、チラシの
配布、募金活動禁止」の貼紙。虚無僧をする雰囲
気ではない。バスも1時間半に1本しかないので、
早々にお参りを済ませて、大垣まで戻る。

大垣の町は人も車も閑散。駅前のデパートも客は0。
大垣城は駅から近かった。その脇にある「郷土館」
を訪ねた。9月13日(日)ここで「一路会おさらい会」
をする予定。下見に行ったわけだ。史料室の2階の
和室だが、「箏・尺八の音を出してもいいのか」
受付で聞いたところ、「OK」とのこと。

商店を門付けしながら大垣駅に戻る。結果は、今日
の往復交通費代以上はいただいた。ありがたい。
帰途、名古屋駅でも立って尺八を吹く。名古屋は
不況どこ吹く風のにぎわいだ。「うまいなぁー尺八」と
チャリン、「これ募金ですか?」とチャリン、チャリン。
こうして吹いていれば、全然寒くない。尺八も温まって
きて、音も一段と冴え渡る。手がかじかんで吹けない
ほどの寒さを今年はまだ体験していない。

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定額給付金の行くへ

2009-01-24 23:59:05 | 社会問題
全住民に約1万円、台湾では好評…政府発給の「消費券」(読売新聞) - goo ニュース

「欲しがります、貰うまでは」。さてさて、
定額給付金とやら、喜びも次第に遠のいていく。
人気ブログラーの小杉氏も「誰だって欲しい
定額給付金」と題して、「早く支給すべき」と
賛成論を説いているが、それに対しての反対
意見も殺到している。

台湾ではもう支給された。現金ではなく「消費券」
だが、好評とか。

オーストラリアでは、12月中に年金受給者や
低所得層に一人当たり5万~8万円も支給され
たが、「ギャンブルに使われ、ギャンブル業界を
潤しただけ」との批判が出ているとの、今日の
夕刊記事。

なるほど「悪銭身につかず」また「あぶく銭
身につかず」ともいう。労せずして手に入れた
金は、無駄遣いされるということだ。
私も宝くじでも買おうと思っていた。不況の時
ほど宝くじは売れるという。消費に使われな
ければ、景気対策にはならぬか。

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寒修行 つづき

2009-01-24 19:31:25 | 虚無僧日記
1/24 深夜1時に寝て、4時起床。5時から朝起き会。
6時半から真如苑。五体投地も今日から再開。さすが
眠気でフラフラだ。今日は名古屋も雪がチラつく。この
冬一番の寒さとか。ようやく冬本番となった。野外で
尺八吹く手もかじかむ。

でも、20日ワシントンで行なわれたオバマ大統領就任式で、
あのヨーヨー・マも屋外でチェロの演奏を行なった。他に
バイオリン、ピアノ、クラリネットの四重奏だ。その日の
気温は氷点下だったという。オバマ氏大統領就任の熱気が
寒さを克服させるのだろう。

一昨年、モスクワへ行った時も、零下8度の路上で、ギター
やパンフルートの演奏をするストリート・ミュージシャンが
いた。私も路上で尺八を吹いてみた。まず指が尺八にくっついて
一瞬離れない。15分も吹いていると竹が温まってくるが、今度は
吐く息が管の中で凍り、管尻からはツララのように垂れ下がる。
それでも1時間大丈夫だった。カップラーメンの器を前に置いて
おいたら、道ゆく人が次々に日本円で10円ほどを入れてくれる。
その心がうれしい。私の胸も熱くなった。

あの時のことを思えば、寒さなんか平気、平気。
名古屋駅前でも、若者がギターの路上ライブをやっているが、
弦楽器はさぞ指が痛かろうと思う。それに比べれば尺八は楽だ。
熱い、寒いも心の持ち様ひとつ。

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1/23 昭和橋小学校

2009-01-23 21:27:54 | 虚無僧日記
今日は、昭和橋小学校で6年生を対象に、お茶と
尺八、箏の体験学習。毎年この時期に招かれる。

児童数は85名、体育館で寒さにふるえながら、
まずは和菓子とお茶の接待。先に和菓子をいただく
のだが、誰も手をつけようとしない。お茶がきてから
一緒に食べるものだと思っているのだ。いや、若い
先生がそのように指導していることにびっくり。

ステージ上で、お点前の間、鈴花と恭花が箏・三絃
で「六段」「千鳥」をたっぷり聞かせる。よくぞ
ここまで上達したものだ。
さてお茶をいただき終わって、私の出番。まずは
虚無僧尺八を3分。それから梶田先生と「春の海」
を演奏する。そして子供たちのリクエストに応えて
「崖の上のポニョ」。尺八でこういう曲を吹く意味が
あるのか、本物を聞かせるだけでいいのではないかと、
いつも悩む。

「尺八ってこんなキレイな音がでるのか」と、目を
輝かせて聞いてくれる子が2割。逆に全く無反応の
子も2割。あとは??。

そのあと、塩ビ管で作った15cmのミニ尺八を全員に
配る。市川氏に特注したもので、これで「チューリップ」
などが吹けるのだ。85人中20人ぐらいが音が出る。
3人の子が「チューリップ」を吹けた。わずか10分でだ。
尺八に全く興味を示さない子も増えたが、年々、音を
鳴らす器用な子も増えている気がする。

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寒修行

2009-01-22 21:56:08 | 心の問題
1/20の大寒から2/3の節分まで、毎年寒修行にはいる。
朝5時から朝起き会で1時間、6時半からは真如苑で、
1時間座る。

20年前は、早朝4時は寒かった。今年は全然寒くない。
コートも手袋もいらない。なにか気が抜ける。

昨年は赤目四十八滝での水行を控えていたので、毎朝
冷水を浴びて練習したものだ。今年はやっていないので、
緊張感が全然ない。竹坐氏は伊那の山中で、氷を割って
水行を行なっているのだろうか。

五体投地は、6日でダウン。足首が痛み、立てなくなって
しまった。弱気になると、風邪もうつりそうだ。こんな修行
は尺八の上達に必要なのかとの疑問も湧く。精神修養より
技術の練磨かと、またまた二極の間に揺れ動く。

それは、五木寛之の「親鸞」も同じだ。見てもない仏を
見たと、自分を偽り、人を騙し、仏をも欺くことに、
親鸞は苦悩する。

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