現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

北条幻庵と尺八

2009-01-26 22:32:52 | 尺八・一節切
景虎は、上杉謙信の養子となる前、北条幻庵の娘と
結婚し、幻庵の婿養子になっていたのだ。

北条早雲--氏綱--氏康--氏政
      |           |
      |-幻庵--娘  |-景虎


北条幻庵は尺八の名手だった。幻庵は幼い頃京都で
育てられ、京の雅びな文化とともに尺八をも学んだ。
彼の作る尺八は「良く鳴る」と評判で『幻庵切り』として
もてはやされ、宮廷にも献上された。

幻庵の影響で、小田原の家中には尺八を吹く者が多かった。
『北条家掟(おきて)書き』には「悪友に交わらないため
には囲碁将棋や尺八の友と交わるのが良い」とある。この
条文はたぶんに幻庵の作為であろう。

『小田原北条記』の末尾に「川上喜助の聞き書き」として
「小田原では茶が流行り、一味違った茶ということで、一門
や家老衆が、巡礼や修行者、虚無僧姿で茶屋に入ること
が毎日行なわれていた」とある。そして「このようなことは
不吉の前兆であり、まもなくして北条家は滅びた」と。

この当時の尺八は、『一節切り』と云われる短い尺八である。
武田信玄も上杉謙信も一節切を愛好したという。

関東に虚無僧寺の多くが集中しているのは、北条滅亡後、
浪人となった者の何人かが、虚無僧になったからと私は
考えている。

さて、幻庵作の一本を小田原落城後北条氏政の遺児香沼姫が
所有していた。後に江戸幕府を開いた徳川家康は、香沼姫に
「幻庵の尺八を寄こせば、北条家を再興してもよい」と文を
送ったが、香沼姫はこれを断ったという。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

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