現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

御福餅が売れ行き好調

2007-10-24 06:26:53 | 虚無僧って?
赤福似?で「御福餅」好調 名古屋駅地下街、売り切れも(朝日新聞) - goo ニュース

昔、名古屋で「赤福」と思って買って帰ったら「御福」だった。
「『赤福』は当日製造品のみを売るので、伊勢でしか販売して
いない。名古屋で売っているのは『御福』だ」と、聞かされた。

「御福」は、どうみても、「赤福」を意識したコピー商品だ。
今日の記事では、「赤福」が姿を消し、「御福」が売れ行き好調
とのこと。ライバルがこけた隙に、抜け駆けしているようだが、
「製造日」は印字されておらず、賞味期限のみという。え!?
それでいいの??である。
土産物店にうず高く積まれている和菓子は皆大丈夫なのか。
当然防腐剤やら、堅くならないための薬品処理がされているはずだ。
ならば、赤福はその表示をしなかっただけの問題だったのか。
売れ残りを冷凍もせず、再販していたことは「当日製造」の信頼を
裏切ったことになるが、他では皆やっていることという。「赤福」
だけ、なぜ問題視されているのか。大手だから槍玉に挙げられた
感がある。これを他山の石とせず、中小も襟を正すことだろう。


写真家の丹羽さん

2007-10-23 22:15:52 | 虚無僧日記
もう2年も前のことになる。名古屋駅で虚無僧していた時、
大きなカメラを抱えた男性から声をかけられた。体格は大きい
が、心優しい男性の名は、丹羽さん。以前、雑誌の報道カメラ
マンをしていたというので、アマチュアではない。以来度々、
写真を撮っていただき、写真展にも出品された。

昨日、私のブログにコメントを寄せてくださったので、電話を
してみた。10/21日に大鹿村の村歌舞伎を見に行き、帰りに
児玉さん宅へ寄ってきたとのこと。伊那の山中に住む児玉さん
は、私の心の師だ。その生き方はうらやましいが私にはできない。
(食べていけない)。また近々児玉さんに会いたいと思う。冬枯れ
の野に薄(すすき)が茂る季節が、虚無僧にはよく似合う。

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超長管尺八の児玉宏幸氏

2007-10-23 22:15:33 | 筝尺八演奏家
長野県下伊那郡松川町の山奥で、自然とともに暮らし、
尺八道を極めんとしている人がいる。九州博多の出で、
東京で見つけた奥さんと愛娘を連れて、十年前に松川に
引っ越してきた。古い農家を借り受けて、100年前の
日本の生活そのまま。長男の月之介君は、この藁畳の
部屋で出産したという。コンビニも無いこんな辺鄙な
所で過ごす奥さんの方がすごい。でも奥さんは、「全然
不便と思っていない、それより自然の方が大事」と、
いたって明るい。

さてさてその人の名は児玉宏幸。近くの山から竹を伐って
きて尺八を作る。尺八といっても長さ三尺、90センチ前後
の超長管。中に地を入れない地無し管だ。

最長3尺3寸、1メートルの尺八を吹く。そこから響く竹
の音は、深く清く心に染み渡る。曲名は「心月」。
もう尺八のテクニックは通用しない。心で響かせ、心で
聞く音だ。彼の生き様と、そこから奏でる竹の音に、私は
圧倒され、言葉を失った。

彼のような尺八が、人知れず山中に埋もれているのは、
残念な気がする。本物はもっと世に現われ、認められる
べきと思うのだが、一切の欲を捨ててこその真価なの
だろう。

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真剣と模造刀

2007-10-23 20:09:26 | 虚無僧って?
私は“侍”の血か、刀や鎧が大好き。退職金で夢が
叶って、欲しい刀を二振り買った。三百万した。
そのせいで、妻には逃げられ離婚。“切れて”しまった。
あげくのはて借金苦で、結局、買った刀も、先祖伝来
の刀も手離さざるをえなくなった。売る時は三十万。
二束三文。武士の魂の刀まで質入れせざるを得ない
浪人の心境が痛いほど判った。でもこれできれいサッ
パリした。

と思いきや、Yahooオークションで、模造刀が3,980円
と見て、うずうず病気が出て欲しくなった。後ろめたい
気持で落札し、昨日現物が届いた。素人芝居で使うよう
な代物だが、値段の割りには重量感もある。居合では使え
ないが、これはこれで満足。幸せな気分になれた。


真剣と居合刀

2007-10-23 20:09:10 | 虚無僧って?
実はまだ、真剣を二振持っている。15万で買った模造刀
もある。模造刀は居合には使えない。居合用の刀は、最低
50万はする。それでも居合刀は所詮居合刀。真剣に比べ
れば、似て非なる物なのだ。

この違いは何なのだろう。真剣を見ると心が落ち着く。
吉川英治の『宮本武蔵』で、武蔵が本阿弥光悦に「刀を研い
でくれ」と頼むと、光悦は「人を切る為の刀は研ぎません」
と断る。「刀は人を切るためのものではないか」と問う武蔵に、
光悦は「人を切りたくなくなるように刀を研ぐ」と答える。

解かる解かる。まこと素晴らしい刀は、ほれぼれする。これ
で人を切ろうなんて、これっぽっちも思わなくなる。勇む心も、
逸る心も、怒りも妄炎も断ち切ってくれる。

ところが粗悪な刀や居合刀は、何か切ってみたくなる衝動に
かられるのだ。ただ切るためにしか作られていない道具に
すぎないからか。優れた刀鍛冶が精魂込めて打った刀には、
善なる魂が宿っていると思われてならない。

本物のかもし出す、この“気”は、一体何なのか。どうやった
ら生まれるものなのか、これも虚無僧修行の『公案』として、
大切にしたい。



生命保険セールス

2007-10-23 20:08:50 | 社会問題
「生命保険は、形の無いものを売るのだから難しい
でしょう」と、よく言われる。保険会社で長年、教育
の仕事に携わってきた私である。「そんなことは、
ありません」と答える。「物を売るのも保険を売る
のも同じ。“満足”を売るのですから」と。

以前「どうしたら物が売れるか」というTV番組を見た。
家電販売店で、百万近くするデジタルテレビを一日に
何台も売るカリスマ販売員。テレビを買いにきたお客に、
たくみに話しかけ、上手に“その気にさせて”買わせて
しまう。彼は“満足”を売っているのだ。
テレビが見れればいいだけだったら、もっと安いのも
ある。お客は2、30万の予算と考えて来たのに、
リビングルームにド~ンと大スクリーンの薄型テレビ
が置かれる。そんな“夢”を描き、満足するのだ。

空調機買うのも、夏涼しく、冬暖かい、“快適な生活”
という満足を買う。
宝石も持っているだけで幸せ。自分でも買えたという
喜びを売るのだ。

してみると、保険も“安心という満足”を売るのである。
虚無僧も“癒し、安らぎ”さらに「布施をしたという満足」
を売るのである。



売る“気”と “無心”

2007-10-23 20:08:18 | 虚無僧日記
虚無僧はあくまで受身だ。ただ立って尺八を吹くだけで、
喜捨してくださる方を待つ。待つ身だが、これにも要領
がある。「お金お金、ちょうだいよ」と、あからさまでは
敬遠される。かといって、「全く、要りません、欲しがり
ません」の無欲では、相手も素通りする。ほどほどの“欲”
をどのように“気”で表すかなのだ。

これは、物を売ることと同じだ。お店に入って、全然売る
気の無い店員を見ると、「買ってやるもんか」となる。
逆に「買って、買って、これもあれも」としつこく迫られる
と、嫌気がさす。「買って欲しい」という気を発しつつ、
上手に商品の説明をして、顧客のニーズ喚起をし、自発的
に“買わせる”のがベテラン販売員だ。お客は“買わされた”
ではなく“自分で欲しい物を買った”という満足を得る。

「全く無心で吹いてます」と言うと嘘になる。無心ならば
山中で独り吹けばいい。人前で吹くこと事態、“欲”あって
のことだ。聞いて欲しい。気づいて欲しい。感動して欲しい。
だが、もっともっとの貪(むさぼ)りの心と、不足の心。どう
して入れてくれないの!これっぽっち?というような不満の
心を静めるのが修行かと、最近ようやく見えてきた。




夫婦漫才 大空遊平・かほり

2007-10-23 20:07:07 | 虚無僧日記
漫才ブームも浮き沈みがはげしい。最近のテレビで
活躍のお笑い芸人は、私にはよく理解できない。今は、
「そんなのカンケイない、そんなのカンケイない」が
ウケているそうだが、何がおかしいんだか?私は笑え
ない。
「ひろしです」も「ギター侍」も最近は見ない。芸人にも
賞味期限があるそうな。

そんな中、夫婦漫才の「大空遊平・かほり」コンビを
知った。コンビを組んで25年。婦唱夫随の軽妙な芸風。
二人の漫才には、ホッとする温かさがある。「世間の
噂や、イヤな事件、人さまの不幸には触れません」と、
きっぱり。私も心したい。

富士松松園

2007-10-22 20:19:42 | 虚無僧日記
富士松松園は新内浄瑠璃の芸名。本名は増田松子さん。

9/30 愛知県吟舞道文化連盟の大会に、京都から友好団体
の一員として来られた時、私が尺八伴奏を務めた。その時
の尺八を気に入っていただき、10/20の円光寺さんでの観月会
に招かれた。

私は、開演前に、虚無僧姿で尺八を吹き、来場者を迎える役。
今日、増田さんからお礼の電話があり、好評だった由。「別世界に
引き込まれるような演出で良かった」との感想など、聞かされた。

増田さんは、印刷会社の経理担当で、日常多忙ながら、詩吟、
新内、都都逸と多芸多彩。10年前から始めたこの「観月会」、
毎回100名余のお客を集めている。客層が違う。さすが、ご婦人
方は着物が多い。

人脈もすごい。三味線は家元の富士松菊三郎師匠、上調子の
相方に富士松菊子さん。そして篠笛を望月太喜助師。みな東京
から呼んでいる。

演目は、「沓掛の時次郎」「お富・与三郎」そして「鳥辺山心中」
私の年代で、かろうじて知っている話だ。私より若い世代は、もう
なんのこっちゃ判らぬ世界だろう。食事の後は、ライトアップされ
た幻想的な庭で、新内流し、都都逸、詩吟などが披露された。
最高に贅沢な時間と空間だった。こういう催しが、いつまで続く
のか。貴重な会だ。

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精進料理 お多長

2007-10-22 19:50:32 | 虚無僧日記
10/20 円光寺さんで、富士松松園の新内浄瑠璃を聞いた
後、精進料理が出された。右京区花園妙心寺の南にある
老舗「お多長」のお弁当である。鴨肉や刺身に見立てて、
すべて野菜の食材で作られている。小さいながら松茸も
入っていた。今年は松茸が不作という。いただけただけ
でも至福の時であった。

その箸袋の内側に『食事五観文』が書かれてあった。

一つには、功の多少を計り、彼の来所を量る
二つには、己が徳行の全欠をはかって供に応ず
三つには、心を防ぎ、過貧等を離るるを宗とす
四つには、正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんが為なり
五つには、道業をね成ぜんが為に、将にこの食を受くべし

この食をいただくまでには、幾多の人の労力がかかって
いることに感謝。
徳が至らぬのに、この食をいただくことは過分に思います。
食に対して、むさぼりの心、厭(いと)う心を起こしません。
この食は、命を宿す良薬と心得ていただきます。
この食は、道業を成すためにいただくものです。

という意味。虚無僧の私には、過分に贅沢すぎる食。心して
有り難くいただきました。「有り難い」とは、有り得難い、
有り得ない事、つまり、仏が現出されたという驚きと感謝の
気持を表す言葉である。