![4人、立っている人の画像のようです](https://scontent-sjc3-1.xx.fbcdn.net/v/t1.6435-9/240983434_1054513681985165_8981914046731111106_n.jpg?_nc_cat=111&ccb=1-5&_nc_sid=b9115d&_nc_ohc=GsuGyI52c1MAX-pP6r0&_nc_ht=scontent-sjc3-1.xx&oh=27cd6e79bf7d7610c68a1d538132cf7b&oe=6192D033)
『新撰組斎藤一(53歳当時)家族写真』
この写真が撮影された明治30年は日清戦争の直後で、斎藤は東京高等師範学校で撃剣師範を務め、若者たちを鍛えていた頃。斎藤の剣技は衰えることなく、その竹刀には誰ひとり触れることすらできなかったといわれる。そういわれてみると、くつろいだ家族写真ながらも、幾多の死線をくぐり抜けてきた剣士の鋭い眼光を感じる。
(軍服姿の長男・勉と着物姿の次男)
『妻 時尾について』
高木時尾は会津藩大目付・高木小十郎の長女として生まれた。母の藤田克子は大変な美人であったらしい。長じて時尾は会津藩主・松平容保の姉・照姫付きの祐筆となる。
斉藤と時尾さんの結婚の仲人は、会津藩主松平容保公、同じく会津藩家老だった佐川官兵衛と山川浩、倉沢平治右衛門が下仲人を務めています。
じつは斎藤一にとって時尾は2人目の妻。はじめ斎藤は、篠田やそという女性と結婚したらしい。やそはあの悲劇の自刃をとげた白虎隊士・篠田儀三郎の遠縁にあたる女性とのことだが、ふたりの間に子どもはなく、数年で別れてしまった理由もよくわからない(なお、最近では、斎藤一は篠田やそさんではなく、時尾さんが初婚だという説もあるらしい)