江戸時代の初め、岩佐又兵衛 (1578〜1650)によって描かれた虚無僧は
長い刀を差している。笠は筒型の天蓋ではなく三角の笠である。
この図から、慶安(1648-1652)頃までは、虚無僧は浪人者であり、
刀を差していた。やがて、幕府から「袈裟をつけ僧形でありながら刀を差すとは
いかなることか」と詰問され、「慶長の掟書」も「侍の心得を忘れず、
木太刀を持て」とか「刃渡り一尺以下なら持って良い」とか。さらに
幕府の詮議が厳しくなると「尺八を作るため」と言い訳して「五寸まで」
と改定されている。
千日回峰行の行者や山伏も「五寸」までの刃物を所持している。
なお、「袈裟を左肩に掛けるのは、刀の柄を隠すため」というような
言い訳をしていた文書もあった。
『慶長の掟書』 初期のものか
一 虚無僧常々木太刀懐剣等心掛所持可致事
「木太刀、懐剣等を心掛けて所持せよ」と。
後のものは
一 虚無僧托鉢之節、刀脇差並武具類一切為持申間敷、尤壱尺下の刃物為懐剣
差免可申候事
「刀、脇差ならびに武具類は一切持ってはならない」としながら「もっとも
一尺(30cm)以下の刃物を懐剣として差すのは可としている。
他の写しでは「五寸(15cm)まで」というのもある。
尺八は、詩吟の発表会で聴いた経験があります。
子どもの頃に祖父から習っていた友人がいました。
私は華道をたしなみます。最近は、ご縁があり詩吟も少し…伝統文化なので、継承していきたいですね。
貴殿の人柄が、みえるような誠実な文でした。
私もそんな文が書けるようになりたいです。