明日は 諏訪学区で講演。ところで、
「諏訪(すわ)」の語源が、いまいち不明。調べてみた。
『日本書紀』では「須波」。平安、室町時代に「諏訪」という記述あり。
これは当て字だから、なぜ「スワ」なのか。
古代の発音では「スファ」ではなかったか。すると、「スファ」とは、
「スファラディ・ユダヤ」の「スファ」ではないかという説が浮上。
「スファラディ・ユダヤ」とは、アブラハムの子孫のユダヤ人の意味。
旧約聖書で、アブラハムは、子のイサクをモリア山で、神の命に従い、
生贄(イケニエ)にしようとする。
諏訪大社上社のご神体は「守谷(もりや)山」。
『日本書紀』によると応神天皇14年に弓月君(秦氏の先祖)が百済から来朝。
「百二十県の民を率いての帰化を希望しているが、新羅の妨害にあって果たせない」
と訴えてきた。そこで、16年8月、軍を新羅へ派遣し、弓月君とその民を日本に
つれてきたとある。応神天皇は実在したとされる大王。その在位は4世紀後半から
5世紀初頭で、高句麗の英雄・広開土王の時代。応神朝に大人数の渡来人の
来朝があった。その数は10万人とも。琵琶湖周辺から関東にまで広く分散し、
農耕、工芸の生産技術を広めた。当然、諏訪の地にも多くとどまったことが、
古墳などから判っている。秦氏はイスラエル人であった。
この地には、奇妙な地名がいくつかある。「ジャッコ原」「タカボッチ山」
「ミシャ山」「ガボッチョ」「カシガリ山」など漢字では表記されない地名が多い。
古代ヘブライ語で解明できるといい。
この地には、4,5世紀ころから、日本人とは違う言葉の人が多く住んでいた。
そこで、大和政権が征服し、言語を取り上げた。「言」を「取る」で「諏」と
いう文字が当てられたと、これは面白い仮説だ。