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新選組ファンの間で根強い人気があるのが、函館まで戦い続け戦死した「土方歳三」、天才剣士と呼ばれ労咳で若くして散った「沖田総司」、この二人に負けないほどの人気があるのが「斉藤一」です。
「斉藤一」は謎が多い人物です。 出身が明石藩(現在の兵庫県)と言われています。
「斉藤一」の剣術の腕前は、「沖田総司」(天然理心流)、「永倉新八」(神道無念流)に並ぶほどの凄腕。 「斉藤一」の剣術の流派は、「無外流」「一刀流」「太子流」かと、諸説ありますが、「無外流」が最有力説のようです。
「斉藤一」は「突き技」の達人と言われ、明治維新後は、警視庁の警察官として就職していました。 西郷隆盛ら旧薩摩藩の士族が起した「西南戦争」に鎮圧で出動した「警視庁抜刀隊」の中に「藤田五郎」と改名していた”斉藤一”がいました。
後年は警視庁を退職して、女子高等師範学校の職員となり、その最期は衣服を着替えさせて身支度を整え、床の間に正座したままの姿で亡くなりました。
映画「壬生義士伝」では”佐藤浩市”、大河ドラマでは”オダギリジョー”が、「斉藤一」の役を熱演されました。
「斉藤一」(藤田五郎)の墓は、福島県会津若松市の「阿弥陀寺」にあります。 生前から「斉藤一」は阿弥陀寺に多くの寄進を行なっていました。 この阿弥陀寺には、戊辰戦争の「会津の戦い」で戦死した会津藩士の墓所があり、新選組隊士として共に戦った会津藩士の菩提を弔うためと思います。
平成十六年の九月に「斉藤一」の菩提寺阿弥陀寺に於いて、第一回「斉藤一忌」が開催され、「斉藤一」の墓前にて「無外流居合兵道」の奉納演武が行なわれました。
生前の「斉藤一」は、無口で物静かな剣客、晩年は孫や身内の子供たちに剣術を教えていたそうです。